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「行くよアイ。座標計算にも時間がかかるしね」
言って歩きだそうとしたところ、足が動かなかった。足首に圧迫感。
「後悔、していませんか」
俺の足首を掴んだアイが睨みつけてくる。
「していないよ」
きっぱりと答えた。もとより、覚悟は出来ていたのだ。異界から正体不明の存在を呼び出す。神さえ恐れぬこの愚考を、現実のものにしようと覚悟した時から、俺は俺の命に見切りをつけた。
俺は自然法則に逆らった咎人だ。たとえこの世界に神などいなくとも、誰かが俺の愚かさを裁く。何故ならば俺がしたことは世界のバランスを崩し、全てを無に戻す可能性があるから。世界を壊すかもしれないこの俺は、あらゆるモノを敵に回したのだ。
だが、俺は後悔などしない。
命をなくしたとしても、俺は後悔などしない。
俺はアイの孤独を知っていたから。
俺はアイの寂しさを知っていたから。
俺はアイの悲しみを知っていたから。
俺はアイの絶望を知っていたから。
そして何よりも俺は。
いや、やめておこう。俺にこの言葉を口にする権利などない。あるとすれば、別の世界でだ。
「アイ、念のためこれを被って」
アイに仮眠室から失敬しておいた毛布を投げる。
「ふわっ」
頭から毛布をかぶったアイが、微かな悲鳴を上げた。
「銀髪は目立ちすぎる。それで隠して」
アイはもぞもぞと毛布から頭を出し、毛布に鼻を近づけて顔をしかめた。
「コートとかなかったんですか? なんか臭うんですけれど」
「気にするな」
医者や看護師にだって色々あるんだ。
「さあ、行くよ」
手を差し出す。
アイは少し迷うような素振りをしてから俺の手を握った。柔らかく暖かな感触が、手から頭まで駆け抜けて俺をとろけさせる。




