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 何故まだ俺は生きているのか。あの事件から、その疑問がついて回る。何度か死のうとしても、死にきれなかった。左手首に切り傷が残っただけだ。

 首にも細い痣が残っている。首吊りではもう少しで死ねそうだったのに、奈瑞菜さんに助けられてしまった。

 あの人は俺の変化に敏感であるらしく、俺の気分が落ち込んでいる時には決して俺の側を離れようとはしない。

 奈瑞菜荘まで戻ってきて、軽く昼食をすませる。あとはやることなどない。

 いや、少しばかり昔語りでもしようか。

 俺は小さな頃から天才と呼ばれていた。

 小学生ですでに大学レベルの教養をみにつけており、先生方から随分と煙たがられた。それはそうだろう。へたすると先生より頭がいいのだ。嫌われても仕方ない。子供というのは大人に引きずられやすい。先生の態度はクラスメイトにも影響を与え、結果的に俺は孤独だった。

 俺に優しくしてくれたのは両親だけ。だが、両親は若くして亡くなった。孤児育成基金からの援助で生活には困らなかったが、まだ幼い俺は一人暮らしを許されず、会った事もない叔母に引とられることとなる。

 叔母は俺の母親に何か一物もっていたらしい。それがなんなのか、知るよしもないがとにかく叔母は俺に冷たく当たった。

 学校では孤立。家では無視される生活。

 その中で俺は、両親を生き返らせることは出来ないかと考えた。当時の俺ですら思っていた。馬鹿ばかしい考えだと。 

 だが、俺はその馬鹿な考えにしがみ付いた。

 色々な文献に目を通した。自我、超自我、イドなど比較的科学的なものから、エーテル体、アストラル体などいかがわしいものまで。その中で、特に興味を惹いた一文がある。

《脳は送受信機に似ている》

 この一文が記された文献には、詳しく書かれていなかったが、俺には天恵のように思えた。

 研究を始めたのは公立小学校から、私立川原学園中学部に進学してから。特待生扱いの俺には、授業に出る義務はない。実際にはあるのだが、中学からは先生達もあまりうるさく注意はしてこない。

 もともと、川原学園は自主性を偏執的なまでに尊重する学校である。成績がよければ授業に出る必要もないわけだ。

 中には大学部の講義に参加してみてはと、誘ってくる先生もいたが研究に没頭したかった俺は特に考えもせずに断った。


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