【第参話】 カビと部室
実は、この話の元ネタというのは――。
ま、ご想像にお任せします(笑)
突然だが、俺の名は竹原という。
どこにでもいる普通の高校生だ。
だが、今回はそんなありふれたティーンネイジャーである俺がやらかしてしまった、普通ではない行為について話したい。嫌がらずに聞いてくれれば嬉しい。ま、ブッ飛んでいる分、聞いていて退屈することはないと思う。呆れる奴はいるかも知れないが――。
大阪府内の割とへんぴなところに、俺の通うS高校はある。
今ではへんぴなところだが、それでも数十年前は、ニュータウンとして栄えたらしく、今でも住宅街として多くの一軒家、マンションが立ち並び、電車の駅も近い。それなりに住みやすい地域ではあるのだ。
自慢じゃないが、S高校はまあまあの進学校で、勉強もそれなりにさせられる。だが、もちろんそればかりが学園生活じゃない。部活に励んだり、友だちと遊びに行ったり、中には彼氏・彼女をつくるリア充もいた。それなりには楽しくやっているのだ。
俺は、顔に似合わず合唱部に所属していた。全員で10人程度の部だが、男子は部長の川元と俺のふたりで、あとは全員女子だ。まぁこれだけ聞くとハーレム状態のように思うかも知れないが、俺と川元を男としてみなす部員など、まずいなかった。
ある日の昼練のこと。部活仲間の川元が、音楽準備室にある先生の冷蔵庫から、あるものを発見した。
それは、カビの生えたアイスクリームだった。
アイスクリームにカビなんか生えるか? と思うだろうが、先生の冷蔵庫は年代物といっていいくらいの旧式で、どうやら冷凍機能がなかったようなのである。それで、冷蔵庫に入れて放置していたところ、カップの中のアイスクリームは腐敗して凝固し、カビまで生えてしまったらしい。
その時、俺はひらめいた。
「川元、そのアイス捨てるの待ってくれへん?」(←もち関西弁)
川元は驚いた顔をしていた。
「え、何で?」
俺は得意げに答えた。
「ちょっと、そのカビ、培養してみたいねん」
俺はその足で、生物科の逸見先生のもとへと走った。
「カビ培養したいんですけど」
と、目を輝かせて云う俺に対し、先生は、
「あっそう――」
と冷めた口調であった。だが、その時の俺はそんなことが気にならないくらい舞い上がっていた。今となって冷静に考えれば、アイスのカビくらいでどうしてこんなになるんだと自分でも思うが、昔から俺はおかしなものに興味を示す性分だった。
放課後、俺は川元と生物実験室に赴いた。川元は別段カビには興味がなく、俺が誘ったから仕方なくついて来た、みたいな感じだ。逸見先生は、無言でババロアか何かのような形状になったアイスの、カビのついていない部分をスプーンにとり、シャーレに入れた。
「カビ入ってないですよ?」
という僕の問いに対し、
「胞子が根付いているから大丈夫や」
とぶっきらぼうに答えた。何だか不機嫌そうに見えたが、なぜなのかは分からなかった。今ならハッキリ云える。分からなかった俺はアホであると。
ともかく、俺は意気揚々と音楽室に帰り、部室のロッカーにシャーレを入れた。
2日ほど経って、シャーレを見ると、アイスクリームにうっすらと緑色のカビが生えていた。先生の云うことは正しかったのだ。
毎日、部室に行くたびに、シャーレの中のカビはすくすく成長しているのが分かった。俺は楽しみで、毎日ワクワクしながら部室に行った。カビの成長する様子を携帯のカメラで撮り、それを眺めては喜んでいた。しかし、当然というか、他の部員からは大ブーイングだったらしい。
「ちょ、先輩おかしいんちゃう? 部室にカビなんか持ちこんで」
「ねー、病気になったらどうするんやろ……。勝手に捨てたらあかんかな――」
後輩たちからはこんな会話が繰り広げられていたらしく、当然カビを眺めてる時のメンバーの視線も痛かったんだろうが、なにぶんその時の俺は、カビのことで頭がいっぱいで、そんなことに気づくはずもなかった。
カビはすくすくと育ち、土日休みを挟んで月曜に行くと、すでにシャーレの中びっしりになっていた。俺は2日間観察をサボってしまったことを少し悔やんだ。けれど、シャーレの中のカビを捨てる気にはなれず、しばらくの間ロッカーの中にしまっておいた。
しかし、そんな生活にも、突如終わりが訪れた――。
俺はその日、うちの高校の学生対象に催されたとある大学の見学会に行った。逸見先生引率のもと、見学会は終了し、俺たちは大学の近くのバス停から出ているバスに乗って、駅へと向かっていた。バスに揺られながら、俺は逸見先生に云った。
「そういや、あのカビ、めっちゃ育ちましたよ」
すると、先生。
「さっさと処分せんと、胞子が飛んで病気になんで~」
「えええええ~っ!」
俺はここで事の重大さに気づいた。先生はニヤついていた。もうひとりの引率の先生 (名前は知らないが同じく生物科の先生だ) もニヤニヤしてこちらを見ている。どちらも、こんなアホな生徒、どうなろうが知らんというような感じだろう。
だが、当事者としてはこれは一大事だ (ついでに、見学会に参加していた合唱部の後輩にとっても他人事ではない) 。さっそく処分することに決めた。その旨を告げると、逸見先生は云った。
「責任もってちゃんと自分で処理しなさい。やかんにお湯を沸かしておくから、校舎のウラでお湯かけて消毒したらいい。ただし、生物科の近くではやらんとってな。向かいの化学実験室の方でやってな」
先生はニヤリと笑った。飽くまで、自分は被害をこうむりたくないというスタンスは崩さないのであった――。
かくして、俺のカビとの日々は幕を閉じた。俺にはいつもの日々が戻ってきた。あれだけ愛着をもって育ててきたカビだが、処理した後は感慨も何もない。ただ、あんなに熱中していた自分を不思議に思うばかりだ。
シューズボードで靴を履き替え、校舎を出てふと見ると、隅にある排水溝の前にしゃがんでいる女子の姿が見えた。先日うちのクラスに転校してきた津山 美咲だった。ミステリアス系女子として、転入早々その名を轟かせている。俺が云うのも何だが、明らかな変人である。
津山は排水溝をじっと見つめていた。
「おい津山、何してんねん」
俺は気になったので、彼女にそう声をかけ、近づいていった。津山はふと真顔でこちらを見て、すぐに溝へと視線を戻した。
「知りたくなったの。ここにあるものの気持ちを」
津山は他県から引っ越してきたらしく、関西弁があまり話せないらしい。あまり話したことはないが、それでも会話をすれば、コイツはこのように標準語だ。
「ここにあるもの? 何や、それ」
俺は訊いた。津山は短く答えた。
「――コケ」
どうやら、俺もコイツと似たり寄ったりらしい。そう思うと、何だかやるせない気持ちになった……。