竜の想い人
昔々、あるところに一匹の竜がいました。その竜が気まぐれで人の世に降り立った時、1人のお姫様が助けを求めました。
「私をこの檻から連れ出して下さい」
竜はお姫様の必死の願いに心を揺さぶられ、お姫様をそこから連れ去りました。そして竜とお姫様は仲良く暮らします。
しかし人々は、お姫様を連れだした竜は悪い竜だと言って退治しました。
【竜殺し】に殺され、お姫様が涙する姿を見ながら竜は思いました。もしも自分がお姫様のような人間だったらこんな結末にはならなかったのだろうかと。
そして、次に生まれる時は、お姫様を守る事のできる、人間として生まれたいと、竜は強く強く願いながら、最期の時までお姫様をその瞳に映していました。
◇◆◇◆◇◆◇
「やーい。山猿女! 山が恋しいのか?」
「うるさい、消えろ」
木に登っていると、足元で馬鹿な男子が私をからかうように叫ぶ。1人じゃ何もできないくせに、弱いものほどよく吠えるというのは本当のようだ。
私が木から降りれば、逃げていく癖に、本当に毎回よくやると思う。
「私は機嫌が悪い。また泣かされたいのか?」
そう言うと男子は、お前なんか怖くないといいながら、逃げるように去っていった。怖くないなら逃げるなと思うが、同い年の中では、私が一番剣術が上なのだから仕方がない。
そして男子たちが去った後、私は再び山のほうを見つめる。
山が恋しいかという、馬鹿にした言葉は、実のところ図星だった。私は山が恋しかった。山だけではない、高い空も、草原も、すべてが恋しかった。
何故ならば、私には竜であったころの記憶を持っていたから。
ただし私は人間だ。人間の腹から生まれ、鱗も一つもない。それでも生まれる前は確かに竜だった。
たぶん死ぬ直前に、人になりたいと願ったから神が叶えてくれたのだとは思う。しかし実際に人に生まれ変わって、これほどまでに人とは脆弱で窮屈なものなのかと感じた。
鋭い爪も牙もなく、硬い鱗もなく、火も吹けなければ、空も飛べない。そして、周りに合わせなければ、変人扱いをされる。
竜であった頃はもっと自由だった。竜が子育てをする為に戻る竜の谷は、集団生活をするけれど、一人前になれば、群れたりなどしない。
「キル。また、木登りか」
「あっ、兄さん」
私は次に現れた人間の男が、兄さんだと気が付いて木から降りた。人間の中でも、兄さんは好きな人間だ。時折口うるさくはあるけれど、それは私の事を思ってだと知っているから。
それに私の村に馴染めない行動も、兄さんは個性だと言って笑って認めてくれる。
「竜を退治に行くという話が出てから、キルは元気がないな。きっとキルは竜が好きだからだよな」
そして私の状態を簡単に見破ってしまうのも、兄さんだけだ。先ほど私を山猿呼ばわりした男子たちは知らないだろう。
「竜が人にとっては、危ない生き物だと分かってはいるよ」
「そんな大人ぶらなくてもいいぞ。昔、童話の結末が気に入らなくて書き換えたもんな」
そう言って兄さんは意地悪くニヤッと笑った。
昔書き換えた童話というのは、竜がお姫様を連れ去ってしまう物語だ。お姫様を連れ去った竜は悪者で、【竜殺し】に殺されてしまい、最後はお姫様が【竜殺し】と結婚するというもの。
その中の一部を書き換え、お姫様は竜の為に涙だするという結末にしたのだ。そしてお姫様を連れ去ったのも食べる為ではなく、お姫様に助けを求められたからにした。
それは私が知っている、前世の竜の物語。
そもそも竜は何もないのに決して姫を連れ去ったりしないからおかしいと兄さんに訴えたのだ。人を食べたいならどうして警備の厳しい王宮など狙うのかと。竜は人の財宝になど興味はない。姫が美人だと言われても、そもそも種族が違うから、好みだって違う。
そう言うと、兄さんは苦笑して、ならば私が物語を書けばいいと紙とペンをわたしてきた。それを使って、私は辞書で言葉を調べながら1つの物語を書き換えた。
「ごめんな。お前が嫌がっているのは知っている。でも、村で決まった事なんだ」
「いいよ。兄さんの所為じゃないのは知ってるから」
私はもう竜ではない。
だから敵対してしまうのも仕方がない事。でも悲しくて、私は毎日山を見つめる。昔が……前世が恋しくて。
「だから、怪我をしないで、気をつけて帰って来て」
非力な人間に生まれてしまった私にできるのはそう言葉をかけるぐらいだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
【竜殺し】の一団が村から出ていって、しばらくして帰ってきた。
「ほら、これが竜の牙だ!」
倒した龍の牙や爪、鱗などをもって帰ってきた男たちがそれを女の人達に自慢する。村の中はそれはもうお祭り騒ぎだ。
竜のそういったモノは、高い値がつく。竜はむやみに殺してはいけないとされているし、中々倒せないから貴重なのだ。
竜の瞳は宝石、牙や爪や鱗は薬になる。だから大喜びするのは間違いがないのだ。村で一生懸命小麦を収穫するよりも多くの価値があるから。
でも私はそれを見ても、まったく心浮かれなくて、そっと祭から離れて、いつもの木の上に座った。
どうして私は人間なのだろう。
私が死ぬ間際助けたいと思ったお姫様はもうとっくの昔に死んでしまった鬼籍の人。だから私が転生したのはまったくの無駄なのだ。
自由に空を飛ぶこともできずに、私は山を眺める。
「キル、ここに居たのか」
「兄さん……ごめん。勝手に祭から抜けてしまって」
かつての仲間の牙を掲げている姿を見ると、吐き気がして駄目だった。弱肉強食で、負けた為に肉が食べられたりするのには特に嫌悪感はない。そう言う世界だと、私は生まれる前から知っている。だから薬になるのも致し方ないと思うし、むしろただ土に変えるよりは有効活用でいいと思う。
でも死者の骸を高く掲げたり、アクセサリーにするのには、どうしても慣れない。竜は只住んでいただけだ。悪い生き物だと決めつけているのは人間の方。
「いいよ。キルが竜が好きだって知っているから。嫌だったんだろ? 兄さんの事も嫌いになってしまったかい?」
「そんな事ない!」
私は木から飛び降りて、兄さんに抱き付いた。
「私は兄さんが生きて帰って来てくれて嬉しいから。兄さんを嫌いになるわけないじゃないか」
例え兄さんが、【竜殺し】になってしまったとしても。私が兄さんを嫌うはずがない。
私は竜であったことを今でも忘れられない。どこか同族のように感じている。それでも、兄さんは兄さんなのだ。お姫様と同じでこの世で1人しかいない。
「意地悪な事を言ってごめんな。俺もキルの事が好きだぞ。ただな、できれば俺も【竜殺し】なんてしたくなかったんだ。それだけは分かって欲しい」
「うん。兄さんが、動物に優しいのは知ってるよ」
兄さんはとても優しい。
生きていくうえで必要な狩はするけれど、それ以上のものは求めない。怪我をした動物を飼って自然に戻した事もある。
「ちゃんと約束を守って、帰って来てくれてありがとう」
私はそう言って、大きな兄さんの体に抱き付いた。
そして照れくさくなって、兄さんと笑っていると、祭りをしている方から、悲鳴とざわめきが聞こえた。
「キル、ちょっと様子を見て来る」
「ううん。私もいく」
「分かった」
私は幼くはあるが、身体能力はかなり高くて、並みの男以上だと思う。それを兄さんも分かっていてくれるので、兄さんはすぐに許可してくれた。
走って村に戻ると、1カ所に人の輪ができていた。
「おい、どうしたんだ?」
「ああ。ケイト。実は、どこかから、子竜が付いてきてしまったみたいで、今どうするか考えてるところなんだ」
「子竜?」
「ちょっと、どいて!!」
子竜と聞いて、私は人の輪の中に無理やり体をねじりこんで進んだ。そして最前列まで来て、そこに純白の子竜を見つけた。
「……どうしてこんな場所に」
子竜というのは、普通は竜の谷で暮らすものだ。
こんな場所にいるはずがない。
まさか。
「子持ちの竜を殺したのか?」
時折、竜の谷につく前に産卵をしてしまい、生まれてから移動する竜もいる。そういう竜は、子供が飛べるようになったらすぐに竜の谷へ引っ越しをするのだ。
目の前で人間に囲まれて怯えている小さな竜はまだ長距離を飛ぶには羽が弱い。
「子持ちの竜を殺すのは、禁止されてるんじゃないの?!」
「し、知らなかったんだ。ちょうど、餌をとりに出かける時だったみたいで、巣まで確認しなかった」
私の勢いに押されて、さっきまで竜の牙を自慢していた男は顔を青ざめさせながらそう言い訳をした。
餌を獲っている間に倒されてしまい、子竜は母親の匂いを頼りに村までやって来てしまったのだろう。
「どうしよう。殺してしまうか?」
「殺す?!」
私は咄嗟に、子竜を抱きかかえた。
「馬鹿っ!子供だって、竜の牙は危ない――」
「生え変わり前の竜の牙からは毒なんて出ないし、この子はまだちゃんと生えそろってもない……そりゃ痛いけど」
驚いて私の腕に噛みつく子竜の顎はやはり強い。
でも、脆弱な人間の腕の骨一本喰い折る事すらできないのだ。それぐらいまだこの子は幼い。それなのに、殺すだなんてあり得ない。
そんなの、私の誇りにかけて嫌だ。
しばらく噛んでいた子竜だが、竜は馬鹿じゃない。私が危害を加えないと認識したようで、口を開いた。
「ほら。危険なんかじゃない。国の法律でも、竜の子供は殺してはいけない事になってるでしょ?!」
「しかし、このままここで、竜を育てる事なんてできないだろ」
「羽がちゃんとすれば、帰巣本能で竜の谷に飛んでいくよ」
ただこの場所だと、竜の谷が分からないかもしれないから、元々いた巣までは戻してあげないといけないかもしれないけれど。
私はにじり寄る大人を睨みつけた。もしここでこの子を見捨てたら、きっと私は人間が心底嫌いになってしまう。
「まあ、まあ。この子竜はうちで預かって、森に返すから、妹を睨みつけるのは止めてくれないかな?」
「兄さん!」
私が睨みあっていると、兄さんが間に入ってくれた。やっぱり兄さんは、この村の人と違う。
「じゃあ、怪我の手当てをしなければいけないから、祭りの途中だけど先に退席させてもらうな。悪いな。このまま、皆も楽しんでくれ」
兄さんはそう言うと、私の手を引いて歩く。兄さんが歩くと、人の輪がさっと別れた。後ろを付いてくる子竜をちらちらと確認しながら私は家の方へ進む。
一緒に歩く兄さんの足は、少しだけ早い。
いつもだったら、私の歩幅に合わせてくれるのに。
「兄さん、子竜が遅れちゃう」
「ああ……ごめん」
「もしかして、勝手な事をして怒ってる?」
子竜を家に連れて帰らなくてはいけなくなたのは、私が原因だ。
兄さんと私は血のつながりがない。たまたま、隣の家に住んでいて、うちの両親が流行り病で死んだときに私を引き取ってくれたのだ。ごく潰しでしかないのに、更にお荷物を連れ込んでしまったという状況。
「怒ってないよ」
「……本当?」
「うーん。正直に言えば、キルには怒ってない。怒っているのは俺に対してだから。キルに怪我させてしまってごめんね」
「こんなの全然大丈夫だよ」
兄さんは足を止めて私の腕を掴み傷を見る。足元で、子竜も心配そうに私を見上げた。
「私、山猿ってよばれてるぐらいだし、これぐらい何って事ないから」
怪我なんて、しょっちゅうしている。
「駄目。キルは女の子なんだから」
「兄さんだけだよ。私が女だって覚えてるの」
そもそも私は男とか女の前に、人間である意識の方が薄いのかもしれない。人ではなく、いつも山の方ばかり見ているから。
「でも、兄さん、ありがとう」
それでも、兄さんだけは私の味方で、私の仲間だという事は知っている。
◇◆◇◆◇◆◇
「チビ、おいしい?」
ククと呼ばれる実をカリカリと小さな牙でつぶしながら食べるチビに私は話しかける。
私が引き取った子竜はモリモリ餌を食べて、順調に大きくなっていく。
「ククの実は栄養価が高いし、森にもなっているからね。森で見つけたら食べるといいよ」
竜は頭が良い。こうやって教えていけば、直に自分で餌を見つけて食べられるようになる。
「キルッ!キルッ!」
私の名前を呼ぶことができるようになった子竜はおいしいの代わりに私の名前を呼ぶ。本当にかわいいなぁ。
「キルは、竜の事をよく知っているね」
「まあね。前に兄さんに話した通り、私の前世は竜だったんだよ。冗談だと思て、全然信じてくれなかったけれど」
竜の言葉は忘れてしまった。だからこの子竜に竜の言葉を教えてあげる事は出来ない。でも、何が食べられるのか、食べられないのかは教えてあげられる。
「まさか。ちゃんとキルの話は信じてるよ。昔お姫様を助け出した竜だったんだよね」
「本当に?」
やっぱり笑っている。
信じているのか怪しいところだ。
「チビは信じてくれてるもんねー」
「キル、キルッ!」
そう言って、子竜は私に頬をスリスリと摺り寄せる。頬を摺り寄せるのは親愛の証。私の事をもしかしたら親のように思っているのかもしれない。
「こらっ。チビはまだ食事中なんだろう?」
「はーい。 私がさ、人間に生まれ変われたんだから、もしかしてチビがお姫様の生まれ変わりだったりして?」
ククを食べるチビの頭を撫ぜる。
「なんてね。そんな運命、あるわけないけど」
この世界に伝わっているお姫様と竜の物語は、お姫様が【竜殺し】と結ばれて終わっている。結局はそう言うオチだったのだと思う。お姫様を好きだったのは結局私だけだ。
「チビ。お前は私の事を忘れないでね」
「忘れないでどうするんだい?」
「また会いに来てくれたらいいなって」
「会いに来て、どうするんだい?」
私の事忘れないで、会いに来て……そうしたら――。
「私を竜が住んでいる所に連れていってくれると嬉しい」
やっぱり私は竜が懐かしい。
もう竜ではない私がそこに行ってどうするのかと言われてしまいそうだけど。
「物語のお姫様の様に?」
「うん。私は絶対、竜を裏切らないよ」
仲間を裏切るはずない。だから、私がお姫様だったらきっとあの物語とは違う結末になるはずだ。
「だとしたら、俺は【竜殺し】として、キルを迎えに行くんだろうね」
「何で? 私が行きたくて行ってるんだよ? 兄さん、【竜殺し】なんかにならないでよ」
「うん。そうだろうね。きっと、お姫様もそうだったんだと思うよ。でも、迎えが来た。きっと俺がキルの事を好きなみたいに、お姫様を好きな人がいたんだね」
「お姫様は【竜殺し】と結ばれたと思う?」
そっか。
確かにお姫様を好きだったのは私だけではなかったのかもしれない。【竜殺し】だって命がけでお姫様を奪いに来ているのだ。命をかけるだけの何かがそこにはあったのだろう。
「いいや、きっと恨んだのだと思うよ。お姫様も竜の事が好きだっただろうからね」
「……恨んだのかぁ。それは嫌だな」
綺麗なお姫様が恨みで歪むのは見たくない。それぐらないなら、私の事を忘れて欲しい。お姫様が笑うと、とても幸せだったから。ずっと笑っていてくれたらいい。
「キルは優しいね。でも、俺はキルが恨んでも迎えに行くよ。キルはもう竜じゃないんだ」
「分かってるよ」
私はもう竜じゃない。
チビにはいつかできる事も、私にはできない。私には翼がないから空も飛べない。
「分かってるから」
私を慰めるように、チビが私に頬ずりをした。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「そろそろ、チビも空を飛べそうだね」
子竜は最初に私の家に来た時より一回り大きくなり、羽の骨格もしっかりとした。これなら、もう空を飛ぶこともできるだろう。
「兄さん。そろそろチビが前にいた巣に行きたいんだけど」
「……キルの事だから、この子を離したくないというのかと思ったよ」
「まさか。竜の谷でちゃんと竜に育ててもらわないと、チビは竜として生きていけなくなってしまうもの。竜の谷で大きくなった方がチビは幸せだから」
そんなのは当たり前だ。
私の我儘だけでチビを不幸にはできない。
「キルは優しいね。じゃあ、ちょっと待っていて。今準備をするから」
それからしばらくして、私は兄さんと一緒に山へ向かった。
「チビ。覚えてる?これから、チビが以前いた巣に戻るよ。そこに戻ったら、自分の力で、竜の谷へ向かうんだ」
「キル、キル」
チビはどこまで分かってるのか、私の名前を呼んで後ろをついてくる。
まだまだ私より小さいけれど、ちゃんとした足取りだ。きっとこの子はとても強い竜になれる。
「キル。ここが俺達が、チビの親を殺した場所だ」
兄さんが案内してくれた場所は、大木の折れた跡があり、ああ、ここで竜が倒れたんだなと思う。竜が暴れたのだろう。少し見晴らしがよくなり、背丈の長い草が生えていた。
「親はあまり離れる事はないから、たぶん、この近くに巣があるのだと思う。大抵は、大木のくぼみとかを使って子竜が収まる程度の簡易の巣をつくるから」
私は草をかき分けて、巣の跡を探す。
「キルッ」
「うん。少し待ってて……。そうだ。チビ、匂いで分からない? チビが前に住んでいた場所はどこ?」
「クゥゥ」
クンクンと匂いを嗅ぐと、チビは草をかき分けて歩いていく。私はその後ろをついていった。
「キル、もうこの辺りでいいじゃないか?」
「ごめん。最後まで見届けたいから」
兄さんが私の肩を叩いて止めたけれど、私はキルについていく。最後まで見届けたかった。あの子が竜の谷へ飛びたつまで。
「キル、キルッ!!」
しばらくして、チビは私を呼んだ。
そこには枯れ葉が敷き詰められていて、ここで卵を温めたんだなというような形になっていた。確かにこれは竜の巣だ。
「さあ、チビ。私たちは帰るから、お前も竜の谷にお行き」
「キル?」
「そこで立派な竜になるんだ」
私はチビの頭を撫ぜてやる。
「そしてもう、人里に来ちゃ駄目だよ。私の事は忘れて」
もしかしたら本当にチビが私に会いに来てはいけないと思い、そう伝える。竜は竜として生きるのが幸せで、人は人として生きるのが幸せだ。
「キル。イッショ……キル、イッショ」
「ごめん。私はもう人間なんだ。だから一人で行くんだ。兄さん、帰ろう」
私は兄さんの手を掴み、来た道を戻る。
「キル、キルッ!!」
子竜の声が聞こえるけれど、私は振り向かない。ただ真っ直ぐに森を進んでいく。しばらくすると子竜の声が聞こえなくなった。きっと、竜の谷へ向かう決心をつけたのだろう。
「キル、本当は、一緒に行きたいんじゃないの?」
兄さんの心配げな声が聞こえて、私は首を横に振った。
「いいえ、兄さん。私は兄さんと一緒にいるから」
泣いてしまっているけれど、決して後悔しているわけじゃない。
私はお姫様をさらった時から、結局は人に引かれてしまったのだ。だから人になってしまったのだと思う。
そして、兄さんを捨てて竜の谷へ向かう事は出来ない。
「そうしたら、兄さんは恨みに駆られて、【竜殺し】になったりしないでしょう?」
お姫様に憎まれてしまった【竜殺し】。そんな風に私は兄さんを憎みたくない。たぶん私は竜よりも、兄さんが好きなのだ。
もう、あんな悲劇は繰り返さない。
竜に戻りたいと思う事もある。でも、私は人の温かさも知ってしまった。きっとだから戻れない。私は、ここで生きていく。
「ありがとう、私の可愛い竜」
兄さんはお姫様が昔私に伝えた言葉を囁き抱きしめた。




