※追記 *彼の国にて1*
二大強国と呼ばれるうちの一つ。
広大な国土を誇り、三つの属国を治めるエル・リシウス国。
青年はイブの元から消えた後、直接、自室へと戻りました。
夕闇迫る時刻というのに照明はおとされ、最低限度の明るさしかない部屋でしたが、気にする風でもなく、テーブルの上に剣を置き、どっかりと椅子に腰かけました。
青年の名前は、ルビアシェンナ。この国の第一王子です。王位継承権第一位でもあり、次期国王として、玉座に一番近いと目されている人物でもありました。
背に体を預けて天井を見上げるようにして、
「はあ。今日は怒涛の一日だったな」
こめかみあたりを押さえながら、大きくため息をつきます。
日頃から注意していたとはいえ、日中の明るいうちに、命を狙われるとは思ってもいなかったのです。
それにしても、王子は先ほどから発せられる、無言の視線が気になります。
王子の視線の先には一振りの剣。
『・・・・・・』
王の宝剣と呼ばれ、白い鞘と白い柄、何の装飾も施していないシンプルなデザインではありますが、直系の者に受け継がれてきた由緒ある品なのです。
宝剣と言われるだけあり、立派で鋭利な刀身を持っているのですが、残念ながら戦闘用ではないのです。人はもちろんですが、髪のひと筋さえも切ることはできません。
用をなさない鈍な剣は、いつしか守護の剣と呼ばれるようになりました。
そのため、装飾品の一つとして、壁に飾られているだけでした。
王子もそれを知っていたので、お守り代わりに普段から携えていました。 絵画ではないのですから眺めるだけよりも、身につけておこうと思ったのです。
意思表示の一つとしても。
ただし、この剣は他と違うところがありました。
それは魂が宿っているのか、意思があったことです。
父にもそれとなく聞いてみたのですが、剣に意思があることなど知らないようでした。
ですから、誰とでも、意思疎通ができるわけではないのでしょう。
人間の能力なのか、剣の好みなのか、気難しいのか人を選ぶようなのです。
その稀有な剣に王子は選ばれたのです。
「何か言いたいことがあるのか? ずいぶんと不満そうだな」
『・・・・・・』
会話が交わせるわけではなく、剣の思いがわかるといった方が正解なのかもしれません。
「主を見つけたのか?」
『・・・・・・』
嬉しそうです。犬がしっぽを振っている感じでしょうか?
「もしかしてあの少女か?」
くるくるとした黒髪に、黒紫色の大きな瞳の可愛らしい五歳の少女。この世界の人間ではない、おそらく異世界の。
そう思ったのは、少女を取り巻く景色の空気が違ったからです。自分の世界とは違う、独特の雰囲気がありました。平和でゆったりとした時間が流れているような、和やかな空気を感じたからでした。
『・・・・・・』
「やっぱりか」
剣の気持ちが伝わると、どこか納得したように剣を見つめます。
テーブルの上の剣を手に取ると、鞘から抜きました。
血がついていたはずの刀身は、それが一滴も見当たらないほど、見事に磨かれて、いつも通りの、いえ、それ以上の清浄な気を纏っています。
少女が浄化してくれたのでしょう。
王子には、血振りをすることも、血を拭き取ることも、できなかったのですから。
人を切ることを嫌うこの剣が、人を切ったのです。
本当は切れないのではなく、切らない。これが剣の意思でした。
頑なに守っていたその意思を曲げさせ、王子の命を助けるためとはいえ、刃を向け人を殺めたのです。
耐え難い断末魔のような剣の叫びを聞いたその時に、脳裏に浮かんだのは、癒しの聖乙女のことでした。
剣を傷つけ、自分自身も怪我を負い、夢中で願ったのは彼女のところへ行くことでした。
果たして、願いは叶い、癒しの聖乙女によって、自分の怪我を治癒してもらい、剣までも癒してもらったのです。
それに少女から剣を渡された時、驚いたのは片手で持っていたことです。
細身ですらりとした姿に似合わず、男性が持ってもずっしりとした重さがあるのです。少女が軽々と持てるようなものではないのです。
だから、驚いてしまいました。思わず己の剣かと確かめた程に。
間違いなく自分のものでしたが。
剣の主とはこういうものなのかと、まざまざと見せつけられた感じでした。
それから、自国に帰ると知った時、嬉しそうで、幸せそうで、楽しそうな思いが、一気に萎んでしまったのです。塩をかけられた青菜のように、しゅんとしてしまった剣の思いを感じた時、思ったのです。
とうとう、主を見つけたのだと。
『おまえではない』
初めて剣を手にした時、はっきりと聞こえてきた言葉。
それ以来、剣は自分の主を探しているのだと思いました。ずっと、探していたのかもしれません。まだ見ぬ、本当の主が見つかるまでずっと。
しかし、まさか自分の代で見つかるとは。
ましてや、異世界の人間で、少女で、癒しの聖乙女だとは思ってもいませんでしたが。
「まさか、あそこにずっといたいとか、思わなかっただろうな?」
王子は問いかけます。
『・・・・・・』
すごい勢いで肯定されました。正解だったようです。
「気持ちはわかるが、それは無理だろう? 剣なんて、女の子が持つものじゃないからな。あの子にしたら、すごい迷惑かもしれないぞ」
少女に剣なんて似合いません。意地悪心でちょっと言ってみると、
『・・・・・・』
憤慨されました。すごく不満なようです。
長い長い間探していた己の主だと、一目見た瞬間にわかったのです。どれほど嬉しかったでしょうか。
イブから、冷たい雪で手がかじかむのも堪えながら、浄化してもらった至福の時間。
おまけにきれいだと褒められて、どれほど感激したことでしょうか。
離れたくないと思ってしまうのも当然でしょう。
「すまない、冗談だ。お前の気持ちはわかっているから。望むようにしてやるよ。ただ、今はそれどころではないことはわかるだろう?」
『・・・・・・』
王子の言葉に剣は静かになりました。
現状を考えると、己のわがままを通すだけの余裕がないことは、剣にもわかります。
「だから、もう少し待っていてくれ」
とそこまで、言った時、
ガチャリ。
寝室のドアを回す音が聞こえました。
(誰かいたのか? 自室には自分だけしかいないはず。気配は確かめたはずなのに)
王子の顔に緊張感が走ります。
(また、昼間の・・・? まだいたのか? それとも新手の・・・)
殺気を寝室へと向けて、とっさに手にしていた剣を構えました。