夢から醒めたあとには
青年がいなくなってから、数時間後。
デジタル時計の数字がパッと切り替わるように、イブはパッチリと目を覚ましました。
起き上がると、きょろきょろとあたりを見回します。
見慣れた森の家の中。
ここで昼寝をするのは、日常茶飯事なので驚くことではありませんが、今日はどことなく違うような気がします。
「あれ?」
いつの間に、森の家に来ていたのでしょうか?
イブには覚えがありません。
今日は雪が降ってうれしかったから、久しぶりに森へ行って遊ぼうと思ったのです。
さく、さく、さくっと、雪を踏みしめて、雪の道をわくわくしながら、歩いてきたのです。
そして、森の中に入って・・・
イブは記憶をたどっていきます。
「それから、どうしたっけ? 森の中に入って、それから・・・」
思い出そうとしても、そこから先が、どうしてもわからないのです。
霧がかかったように、曖昧で、記憶の糸をつかもうにも、その糸の先さえわかりません。
(何かがあったような気がするのに)
何も思い出せません。もどかしいような気持ちを抱えて、イブは外に出ました。
樫の木さんが知っているかもしれません。
ドアを開けると、太陽が雲の合間から顔を出しています。
朝はどんよりと曇っていて、また雪が降りそうな空模様だったのです。
陽射しに照りつけられた雪が、少しずつ融け出しています。
「雪が・・・遊びたかったのに」
このぶんでは、雪は夜を待たずに、ほとんど融けてしまうかもしれません。
寝ていて、雪だるまも作れませんでした。がっかりです。
「樫の木さん。イブはいつ来たのかな? 教えて?」
『 』
樫の木から返事はありません。
「樫の木さんも知らないの?」
なんでも教えてくれるはずの樫の木は、沈黙したまま。
青年のことは言えません。樫の木は嘘をつけないのです。だから、黙っているしかないのです。
「変だなあ」
頭をひねりながらも、それ以上は聞きませんでした。
樫の木の根元は雪が融けきって、こげ茶色の地面が見えています。
イブはそこをじっと見つめます。
なぜか気になります。けれど、それが何なのかわかりません。
血に染まっていたはずの雪は、完全に融けて、跡形もありません。
雪が不浄なものを浄化し、太陽の光がそれを昇華させてしまったのでしょう。
イブはもう一度、記憶の糸を探すように、目を瞑ります。
けれど、何度探ってみても、霧に阻まれたまま、先へと進めません。
胸に焦燥感にも似たもやもやが残ります。
思い出しそうで思い出せないのは、消化不良を起こしたみたいに、気持ち悪いものです。
辛抱強く何度も試みたものの、ダメでした。
これ以上は無理なのでしょう。
イブは諦めて、大きなため息をつきました。
「またおいで」
樫の木の穏やかな声がしました。
その声にイブは木を見上げます。
「今度また、話をしよう。待っているから」
帰りを促されました。
いつまでもここにとどまっていても、記憶を思い出すことはないのでしょう。
知っているはずの樫の木さえも教えてくれないのですから。
イブは素直に頷きます。
太陽の位置からすると、昼はとっくに過ぎているようです。
パパとママも心配しているかもしれません。
「じゃあ、また来るね」
樫の木に別れを告げて歩き出します。
てく、てく、てく。
雪が融けた森の道を歩いていきます。
てく、てく、てく。
木々の隙間から、陽が射しています。
てく、てく、てく。
ぽたり、ぽたりと、融けた雪のしずくが枝から落ちていきます。
まるで、今日の出来事を消してしまいたいかのように。
てく、てく、てく。
もうすぐ、森の出口です。
『イブ、さようなら』
『またね。イブ、今度遊ぼう』
森から声が聞こえます。
「さようなら。みんな。またね」
イブは振り返り、大きく手を振って森に別れのあいさつをしました。
森を背に歩き出します。
けれど、数メートル進んだところで、もう一度振り返りました。
後ろ髪を引かれるような思いで、大事な忘れ物をしたような妙な気持ちです。
しばらく佇んでいたイブでしたが、
「そうだった・・・」
思い出しました。
今日は十二月二十四日。
イブの誕生日なのです。
パパとママとレストランで食事の約束をしていました。
ずっと、楽しみにしていたのです。
「早く帰らなきゃ」
イブはおうちへと急ぎます。
た、た、たっ。
走っていきます。
た、た、たっ。
この頃には、森のことはすっかり忘れていました。
た、た、たっ。
約束は守らなきゃ。
一生懸命、急ぎます。
た、た、たっ。
おうちが見えてきました。
「ただいまぁ」
玄関のドアを開けて、はあ、はあと息を弾ませます。
「お帰りなさい」
パパとママのにこやかな声がしました。
そして――
イブのいつもの日常が始まるのです。
読んでいただき、ありがとうございます。
冬の童話祭に参加したくて、思いついた話です。
楽しんでいただけたら幸いです。m(__)m