森の中で
今日は十二月二十四日。クリスマスイブです。
昨日から降り続いた雪が、すっぽりと街を包みました。
温暖な土地柄、めったに降らない雪を見ただけで、心がうきうきとします。
一面、銀色の世界。
聖なる日に神様からの贈り物のようです。
さく、さく、さくっ。
まだ誰も歩いていないまっさらな雪の道を。
さく、さく、さくっ。
森へと続く道を。
軽快な足音と共に進んでいく、小さな女の子の姿がありました。
さく、さく、さくっ。
帽子に隠しきれなかった、くるくるの天然パーマの髪が頬のあたりでふわふわと揺れて、大きな目を輝かせて。ふっくらとした頬を紅潮させ、白い息を吐きながら、五歳になったばかりのイブは、森へと向かっていきます。
神社の裏には、神霊が宿るといわれる鎮守の森があります。
森はイブのお気に入りの場所なのです。
「おはよう」
森の入り口に立つと、元気な声であいさつをします。
『 』
雪の中に埋もれるように、しーんと静まり返った森の中。
物音ひとつしません。
「おかしいなあ」
イブは首をかしげます。
今は冬眠の季節で、森の生き物の大半は眠っています。
けれど、中には冬眠せずに、森の中を駆け回っている生き物もいるのです。
冬の間はわずかながら、うさぎや鹿や樹木たちがあいさつを返してくれるのです。
「おはよう」
もう一度、さっきよりも大きな声であいさつをしました。
『 』
それでも、返事は返ってきません。
「みんな、寝ているのかなあ?」
十何年ぶりの大雪。
そのため交通機関も麻痺しています。
会社のはずのパパも、終業式のはずのイブの幼稚園もお休みです。
マフラーと帽子と耳当てと手袋と、たくさん着込んできたイブでさえも、寒さで鼻の頭が真っ赤です。
動物たちも寒くて、外に出られずに、寝床で休んでいるのかもしれません。
イブは仕方なく、誰の声も聞かないまま、森の中へと入っていきました。
さく、さく、さくっ。
鬱蒼とおい茂る木立の中を、迷うことなく進んでいきます。
大きな森は、迷いやすいので人間はあまり入ってきたがりません。
けれど、イブは森に導かれるように歩いていきます。迷ったことなど一度もありません。
動物たちが、樹木たちが道を教えてくれるからです。
話すことのできない生き物たちと心話が結べる。
でもこれは、誰にも内緒なのです。
それが森との約束。
イブは森が大好きなので、約束を破ったりしません。
さく、さく、さくっ。
しばらく歩いていくと、目印になっている樫の木が見えてきました。
齢五百年は越えようかというくらいの大きな木です。
けれど樫の木は笑って言います。
『わたしなんかまだまだ若造だよ。この森の中には、もっと長生きをしている仲間がいるからね』
と。
樫の木の言う通り、森の奥には齢千年を超え、ご神木として祀られている銀杏の木があります。
樫の木は色々なことを教えてくれ、話を聞いていると、時間が経つのも忘れてしまいます。イブの大好きな樹木の一つなのです。
目の前にイブが見えているはずなのに、樫の木はしゃべりません。
どんな時でも、姿を見かけると、陽気にあいさつをしてくれるのですが、今日はどうしたのでしょうか?
沈黙を保ったままです。
イブは不思議に思いながら歩いていきます。
さく、さく、さくっ。
近づくにつれて、木の根元に大きな塊が見えてきました。
さく、さく、さくっ。
雪でしょうか?
重みに耐え切れず、木から落ちてしまったのでしょうか?
それにしては、どっさりと落ちすぎなような気もします。
さく、さく、さくっ。
「うっ・・・」
微かに、呻き声のようなものが聞こえてきました。
「樫の木さん?」
イブは思わず、聞いてみました。
『 』
相変わらず、返事がありません。
さく、さく、さくっ。
だんだんと近づいていくと、
「ううっ・・・っつ!」
どうやら呻き声は、木の根元から聞こえてくるようです。
さく、さく、さくっ。
さらにそばまで行くと、正体がわかりました。
それは雪の塊ではなく、人間でした。
けれどその姿は、日常とはずいぶんとかけ離れています。
最初に感じたのは恐怖。
「ひっ・・・」
初めて見る光景にイブは、息をのみました。
純白のはずの雪の上に、赤い染みがそこら中に広がっています。
むっとするような独特の血の匂い。
そのそばで、うずくまるようにして、脇腹あたりを手で押さえ、鮮血を滴らせた男性の姿がありました。