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ダンボール箱のなかから、ヘビのあたまがニョキっと飛び出ている。デフォルメされた白と黒のまるい目玉が、道行く人々を見つめる。細長い舌をペロッと出す表情には、どこかユーモラスがあった。
通行人のひとりであった少女は、その"ヘビのぬいぐるみ"を見つけ「うわぁ、かあいい」と声を弾ませた。
少女はスキップしてダンボール箱の前まで行くと、ヘビの頭を両手で掴み、引っこ抜く。
ヘビの頭は綿の入ったフェルトのぬいぐるみであったが、胴体はグリーンの毛糸で編んだマフラーになっていた。尻尾には黒いボンボンがついていて、ふわふわとくすぐったそうだ。
「ふわぁ、なんてすてきなの!!」
少女はヘビのマフラーを手にぴょんぴょん飛び跳ねた。
「お譲ちゃん、悪いけどそれは売り物だよ」
商人は言いづらそうに声をかけた。
商人――、とはいっても、この男、ホームレスである。
家庭ゴミを漁って使えそうなものを集め、ダンボールに入れて路上で売るのだ。一日に入る、二、三百円の路銀が男の生活の綱であった。
「いくらなの?」
少女が訊く。
「千円だよ」
満面の笑みの少女をまえに、良心を痛めつつも男は吹っかけてみる。
こんなボロ雑巾のように汚れたぬいぐるみなど、十円でも買う人はいないのだが、幸いにして目の前の少女はそれを欲しがっていた。
「なあんだ」と言って少女は肩にかけている大きなバッグのポケットから一万円札を取り出して、男に差し出す。
男はごくりと唾を飲み込むが、残念そうに首を横に振った。
「ごめんよ、それじゃあ、お釣りが出せない」
「いいよ、ぜんぶあげる」
「で、でも……」
「おばあちゃんが、『金に糸目はつけるな。お金はそれが必要な人のために使いなさい』っていってたから」
男は震える手で少女から一万円札を受け取り、丁寧にハンカチに包み、リュックサックのなかに仕舞う。
それから両手を拝む形にして、涙ぐんだ声で少女に言う。
「お譲ちゃん、ありがとよ。何ていったらいいのか……ほんと、こんな嬉しいことは久々で……おばあさまにもありがとうって伝えておいてくれ」
本当ならば、こんな社会を何もしらない幼い少女から一万円をぼったくるなど、あってはならないことだろう。しかし、生きるためなのだ。生死を前にして、倫理や道徳など、まったく意味を持たないのだ。
「どういたしまして」
軽くお辞儀をして、少女は付け加える。「それにおじさんは、神に選ばれてなさそうだし」
首を傾げる男をまえに、少女は恥ずかしそうに俯いて、肩から下げた大きなスポーツバッグを手で撫でている。
バッグは、少女が持つには不釣合いなほどに大きかった。
「そのカバンは……」
何の気なく、男はつぶやく。
「えへへ、これはひみつだよ」
「大切なものが入ってるんだね」
「うん! 宝物だよ」
少女は満面の笑みで答え、ふたたびお辞儀をしたあと「また会えたらいいね」と言い残し、もと来た道を駆けていった。軽やかなスキップで。首に巻いたヘビのマフラーが、風になびいてふわふわと揺れる。
ホームレスの男は、少女の姿が見えなくなるまで、夢でも見ているかのような気持ちでぼんやりとその方角を眺めていた。