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「な、なぜなんだ……」
少女の後ろで、ディーラーは呟いた。
少女は振り返る。ディーラーが見たのは、純粋であどけない少女の笑顔だった。
彼は自分の娘のことを思い出した。三年前に離婚した、妻に引き取られた娘。
離婚後、一度も会わせてもらっていない、たったひとりの娘。
今頃は中学生になって、そう――目の前の少女と同じくらいに成長しているはずだ。
なぜだ、なぜ、この少女は、死のうとしているのだ。こんな笑顔で。
理解できない。理不尽だ。
この世の中は、理不尽なことばかりだ。
「おじちゃんは、死んじゃだめだよ。だって、おじちゃんは、死ぬべき人間じゃないから。神に選ばれてない人間は、死んじゃだめなの。だから、生きてよ」
少女が言った。そしてまた、銃口へと視線を戻した。
強盗の男の手は震えていて、今にも引き金を引きそうな様子だ。
ディーラーの中年男性は、内心で苦笑いをする。
ははは、神に選ばれてない人間、か……。
たしかに俺は、神に選ばれてないよ。
入社した年に会社は粉飾決算がバレて倒産し、今の野菜証券に転職。
仕事がようやく軌道に乗り始めたと思えばリーマンショックだ。残業でほとんど家に帰れず、妻は愛想を尽かして出て行った。
俺はいままで、なんのためになにをして生きてきたのだろう。
人生に、なんの意味があったというのだろう。
少女は言った。
俺は神に選ばれてないから、だから生きろと。
そうか、俺はまだ、神に選ばれてないんだ。
神に選ばれるまでは、生きていなくてはいけないんだ。
神に選ばれるためには、なにをすべきなんだ?
そうか、明白じゃないか。
俺はどうしてそのことに気がつかなかったんだ。
俺がいま、しなくてはならないことは――、俺を救ってくれた、目の前の少女を救うことだ!!!
「うおおおおおおおおお!!!!!」
中年男は叫んで、立ち上がる。覆面が驚いたのか、足をうしろに引いた。
少女を横に突き飛ばし、真正面から強盗犯に飛びかかる。
強盗犯は目をすっと細め、右手の銃を取りこぼした。それと同時に、中年男と強盗犯は衝突し、抱き合う形のまま勢いで床をごろごろと転がった。
そのタイミングを見計らったかのように、いつの間にか身を潜めていた警察部隊が突入し、強盗犯は無事に捕らえられた。
少女は、「チョコパイ食べたい」という一言を残して、ふらふらとどこかへ消えてしまった。警官がすぐにあとを追ったが、少女を見つけることはできなかった。
***** *****
「あーあ、また死にそびれちゃった」
橋から身を乗り出し、少女はいじけたように言った。
「強盗に殺されて死ぬなんて、滅多にないチャンスだったのに」
やっぱり、飛び降りにしようかな。でもそれならもっと高いところからがいいな。
「あ、でもそのまえにチョコパイ買ってこなくちゃ」
少女は街の方へ、軽い足取りで歩き始めた。
ガサッと何かを踏んだ音で足を止めると、捨てられた新聞記事の紙面が目に入った。
《お手柄証券員 強盗犯に立ち向かい子ども救う》
「ふーん」
つまらなさそうに言って、また歩き出す。
おじちゃんは"まだ"神に選ばれてない。
選ばれてない人間に、死は必要ない。
「おじちゃんの人生は、まだまだこれからだよ」
死にたい少女、宮野夜美
死に場所とチョコパイを探して、今日もさまよう。
【第一話 死にたい少女と覆面強盗】 (完)