策士な王妃様
非常に書いてて楽しかったです。
――むかしむかしあるところに、とても綺麗なお姫様がおられました。
光を浴びて煌めく豊かな銀灰色の髪に、神秘的な紫紺の瞳。
朝一番に降り積もった新雪の様に白い肌に、薔薇色の輝きを帯びた柔らかな頬。
もし月の女神がこの世におられたとしたならば、きっと彼女の様な姿であろうとまで謳われたお美しいお姫様でした。
そんなお姫様が年頃になると、当然の様に周辺諸国からお姫様の元へと大量の縁談が舞い込みました。
年頃になれば、国家間の結びつきを高めるためにお姫様が他所の国へと嫁ぐのは当たり前の事。
しかしながらお姫様を娶りたいと思っている国と人々の数はお姫様のお父様であられる王様が思われる以上に多くて、娘思いの王様は姫君のより良い縁談を望んで頭を抱える毎日。
こうして王様が悩んでいる間に二年もの年月が過ぎ去り、このままでは大事な娘が婚期を逃してしまうと気付いた王様は、とうとう決断を下します。
求婚のお手紙が舞い込む様になってから二年目の春。
ようやくお姫様は生まれ育った祖国を旅立ち、大勢のお供とただ一人の友人を連れて、自らの夫となる相手のいる国へと向かったのでした……――。
* * * *
「――姫様、いえ王妃様。どうぞお気を確かに」
「気になさる事はございませんわ。相手がどのような女であれ、私達の姫君があんなどこの馬の骨ともわからぬ女に劣る筈がございませぬもの」
「そうですわ、王妃様。陛下もいずれ王妃様のお美しさにお気付きになられる筈です」
周辺諸国にその美しさを謳われた『銀の月姫』。
大勢の男達に乞い願われながらも、ようやくとある王国に嫁いで来たお姫様。
まるで美しい恋物語の様に幸せな結末が待っていた筈のお姫様を待ち受けていたのは、思いもしない現実でありました。
「その様な弱気な態度ではいけませぬわ! これは我が国に対しての侮辱も同然!
直ちに陛下に文をお送りして、この様な縁談は即刻破棄なさるべきです!!」
消沈する姫君を囲んでいた侍女の一人が義憤に耐えかねる表情のまま、叫びます。
――それもそのはず。
望まれて嫁いだ先の王には、もう既に王の寵愛を受けている女性がいただなんて、ここにいる誰もが知らなかったのです。
「いいのよ……。聞けば、陛下の寵愛なさる女性は二年も前から陛下のご寵愛を受けておられるとの事。無理に割って入って来たのは私の方ですもの」
儚げな微笑みを浮かべて弱々しく微笑んだお姫様に、周りの侍女達が悔しさを耐えかねる様に「ですが!」と叫びますが、お姫様が悲しそうな表情で「暫く一人きりにしてほしいの」と訴えれば、主思いの侍女達は押し黙って部屋から出て行くしかありません。
納得のいかない表情を浮かべたまま最後の侍女が部屋から退室するまで、お姫様は今にも泣き出しそうな顔で窓の外を見つめていました。
切な気な表情を浮かべ、いつもは神秘的に煌めいている紫紺の瞳は涙で潤みだします。
どんな荒くれ者であろうと、一目見た瞬間に思わず相手に同情してしまいそうなその面差し。
悲しさに耐えかねる様に、お姫様が顔を伏して繊細な刺繍の施されたハンカチで顔を覆いました。
周囲に侍女達もいなくなった今、結婚相手に裏切られたお姫様の感情の発露を邪魔する者はもういません。
「――っふ、くぅ……」
堪え切れない嗚咽を堪える様に、お姫様がますます顔にハンカチを押し当てました。
素敵なデザインの服に包まれた華奢な肩が揺れて、そうして――――。
「っふ、ふふ……。ふふふふふふふ。あーはっはっはっはっ!!」
――――嘆き悲しんでいた筈のお姫様は、とうとう堪え切れず声を上げて笑い始めたのでありました。
「あーはっはっはっは! とうとうやったわ、私は成し遂げたのよ!!」
誰もいない部屋で、ハンカチを片手に踊り出すお姫様。
傍から見れば、非常に不気味な光景で百年の恋も冷めてしまいそうな有様ですが、幸運な事に目撃者はいません。
それを良い事に、お姫様は今にも歌い出してしまいそうな程晴れ晴れとした表情で、独り言にしては大きすぎる独白を続けました。
「苦節十数年、とうとう私はやり遂げたのよ! これでもう、男共からうざったい手紙を受け取る必要も無いし、お父様から結婚しろと言われる事も無い。なんて素晴らしいのかしら!!」
軽やかにワルツのステップを踏みながら、お姫様は一人きりの部屋の中を踊ります。
――そう、全てはお姫様の望んだ通りに事が進んだのです。喜ばずにはいられないでしょう。
「うふ、うふふふふ。うっふっふっふっふ」
含み笑いを浮かべるお姫様。
もしこの場にお姫様の信奉者達がいれば、即座に目を逸らしてこれは夢だと自分に言い聞かせるに違いません。
――儚げな眼差し、涙に潤う紫紺の瞳? 生憎、先程まであった筈の光景こそが幻なのです。
「ご機嫌麗しゅう、お姫様。ご計画通りに事が進んで、大層お喜びの様子。あたくしとしても嬉しい限りですわ」
「その通りよ、エバ! 今ならカエル相手にでもキスが出来るわ!!」
背後に大量の花々が咲き誇ってしまいそうな朗らかな笑みを浮かべて、お姫様が振り返ります。
笑顔を向けられた先にいたのは『銀の月姫』と謳われるお姫様と並んでも遜色の無い美女の姿でした。
紅を差さずとも赤い唇に、妖艶なる輝きを宿した黒檀の瞳。
艶めく黒い髪を大雑把に括り、真紅の薔薇を挿しています。
大雑把に括っているせいで黒髪が幾筋かうなじに落ちているにも関わらず、それがまた何とも色っぽいこと。
おまけに真紅のドレスに包まれたふっくらとした胸は、同性異性問わずに一度は見惚れてしまうでしょう。
「長かった、本当に長かったわ。ここまで来るのに、何度挫けそうになった事か……!
でも、これでようやく私は大嫌いな男達に二度と苛まれる事のない生活を送る事が出来るのね……!」
うっすらと歓喜の涙を流したお姫様を、愉しそうな表情でエバと呼ばれた女が見つめます。
「それにしても、本当に残念ですこと。お姫様、いえお妃様ほどのお美しさであれば、どのような男であれ、選び放題であられましたのに」
「仕方ないじゃない。カエルとネズミの次に私は男が嫌いなの。結婚だなんて冗談じゃないわ」
ふっくらとした薔薇色のほっぺたを膨らませ、お姫様が拗ねた様な表情を作ります。
そうすると、それまでの何処か神々の作った精巧な人形の様な姿から一転して、ひどく人間臭くなるから不思議なものです。
「だからわざわざ、周辺諸国をリサーチして愛妾のいるこの国を選んだのよ。
国王の寵愛を独り占めしている相手がいるのならば、私に手を出さないでしょうから」
「すべて、お姫様の掌の上……と言う事ですわね」
「いいえ。私だけでは無理だったわ。エバ、貴方がいてくれたからこそ、私はここまで来れたのよ」
「勿体無い御言葉でございます、お妃様」
「おまけに私の付き添いまで務めてくれてありがとう。そんな貴方と暫く会えなくなるなんて、本当に悲しいわ」
唯一無二の協力者にして、お姫様の大事な大事な親友。
万感の想いを込めた感謝の言葉に、エバはうっすらと微笑みました。
見慣れた妖艶すぎるその微笑みに、何故か向けられた側であるお姫様の肌に鳥肌が立ちます。
しかしそれも一瞬の事だったため、お姫様は気のせいだったと思い込みました。
「まだまだお妃様に付いていたくもございますが、あたくしはここで帰らせて頂きとうございます。お妃様とこの国の国王陛下との婚姻式も無事に終わりましたし、辞去の挨拶に参りましたの」
「もう帰っちゃうの? 早すぎるのじゃなくて?」
「ええ。――……それに、あたくしも馬に蹴られたくはございませぬし」
「え?」
ぼそぼそと何かをエバが呟きましたが、お姫様の耳には入って来ません。
お姫様の当惑を無視したまま、エバは婉然と微笑んでその蠱惑的な声でお姫様を言祝ぎました。
「どうかお幸せに、あたくしのお姫様。素晴らしい結婚生活を送られる事を祈っておりますわ」
「ええ。ありがとう、エバ」
――――よくわからないまま、お姫様はにっこりと微笑んだのでした。
* * * *
「――……帰るのか?」
「あら、陛下。顔がにやけておりますわよ」
男女問わずに視線を集めながら、一人廊下を進むエバに声がかけられます。
振り向いた先にいたのは、この国の頂点にしてお姫様の結婚相手であられるこの国の陛下でありました。
「それも仕方あるまい。なにせ、こちらこそ十年越しの想いが叶ったのだからな」
「うっふふ。悪いお人ですこと。物語の中の悪徳貴族の様な顔をなされておりますわね」
陽光を浴びて朱金に輝く獅子の鬣の様な頭髪に、切れ長の赤銅色の瞳。
よく鍛えられている事がわかる逞しい体に、日に焼けた肌。
まさに太陽の寵児の様な、雄々しくも猛々しい雰囲気の美丈夫。
『銀の月姫』と謳われるお姫様と並べば、さぞかし目にも眩いお似合いの一対になる事間違い無しです。
「それは俺だけに言える事かな? 貴女がした事を妃が知ったら、彼女はなんと思うのやら?」
「ですから、あたくしは一足先に国に帰りますわ。お妃様にバレて、縛り首にされるのはまっぴらごめんですもの」
道行く人々が、美男美女の二人組にうっとりしながら見惚れています。
しかし、表面上は友好的な微笑みを浮かべている二人の会話を聞いたら卒倒間違い無しでしょう。
「男嫌いの『銀の月姫』。あの方と結婚出来たのはよろしかったですけど、これから先の事まではあたくしは手助けは出来ませぬわ」
「分かっている。十年待ったんだ、これから口説き倒すさ」
ふっふふ、あっはっは、と笑い合う二人。
――――お姫様は知りません。
十年も昔、まだ少年だった陛下が滞在先の小さなお姫様に一目惚れしていた事なんて。
愛妾と言われている相手が実は陛下の妾腹の妹で、兄の恋を応援するために見事に陛下の寵愛を受けている女性を演じていただなんて。
協力者と思っていた親友が、娘の嫁ぎ先に困り果てた父王の命を受け、なんとかしてお姫様を結婚させようと企んでいただなんて。
「ごめんなさいね、お姫様。あたくし、こう見えてワルですの」
足早に王妃の私室へと向かう国王の後姿を見つめながら、今や異国の王妃と成られた大事なお姫様を思ってエバ・セラーレは蕩ける様な笑みを浮かべます。
――――本当の策士は果たして一体誰だったのでしょう?
<登場人物紹介>
・お姫様
このたび目出度く結婚なされたので、本当は王妃様。外見を裏切って非常に芯のお強いお方。少々事情があって男嫌いになってしまった。二年の結婚延長は彼女の父親への反抗の結果だったりする。
・陛下
お姫様の結婚相手。お姫様は十年越しの片思い相手だったりする、ある意味粘着質なお方。この度、無事に意中の相手と結婚する事が出来た。一応、お姫様との面識あり。
・エバ・セラーレ
『黒猫令嬢』おなじみのあのお人。『黒蝶』とは彼女の事。男嫌いのお姫様の将来を憂えた国王陛下の命令で、お姫様に偽装とはいえ結婚を承諾させた張本人。因みにこれが彼女の『黒』の<試練>だったりした。