冷凍希望者
ある寒い冬の日のことだった。コーヒーの香り漂う静かな研究室。窓からしんしんと降りつもる雪を眺め、静謐な景色に浸っていた俺を邪魔するように、けたたましい呼出ベルの音が響いた。来客らしい。
元々出無精なうえ、こう寒い日は暖房の効いた部屋から出ること自体が億劫だ。まったく面倒臭いとぼやきながらドアを開けると、そこには小さくかしこまった小学生くらいの少女がいた。
「すみませ……くちゅん!ズズズ……ズビバゼン!ここにおられる、コールドスリープの研究をしていらっしゃる方にお会いしたいのですが」
少女は鼻水をかみすぎて目と鼻が真っ赤になった顔をむけ、まっすぐこちらを見て言った。そのあまりに真剣な様子に少したじろいでしまう。
「それは俺だが……」
「なんと、あなたが!」
少女は目を輝かせた。そしてがっしと俺の手を握ると、胸のあたりまで引き寄せた。
「博士、わたしを、冷凍してください!」
「はあ?何を言っているんだ」
「よろしく、よろしくお願いします!」
ずいずいと接近してくる。少女の固い胸が薄い布越しに押しあてられる。ん?薄い布?
「いや、ちょっと待て。」
俺はふと気付いた。少女はキャミソールにホットパンツという、真冬では考えられない薄着だった。
「おまえ、寒くないのか?」
「はい!全然!こう見えても寒さには強いんです!クチュン!」
「いや、とてもかわいらしいくしゃみが聞こえるんだが」
「これはそうじゃないんでチュン」
「雀かおまえは!こんな寒い日にそんな薄着で何考えてるんだ。話はいいからまず中には入れ!」
「いえ、ここで、ここでいいですから!」
「そんなわけにいくか。さっさと入れ、風邪ひくぞ」
俺は抵抗する少女を無理やり室内に迎え入れた。
「くちゅん!くちゅん!……はぁはぁ」
俺は少女を研究室の応接用ソファーに座らせた。少女は心なしかさっきまでと比べて辛そうに見える。
「あたたかいコーヒーだ。飲みなさい」
「いえ、遠慮します……はっくちょーん!」
「しかしこのままでは風邪を……」
「いえ、本当に結構なんです。それに、クシュン!このくしゃみは、風邪が原因ではないんです」
「はぁ?風邪が原因じゃない?花粉症かなんかか?いや、この真冬に花粉症もないだろうが……」
「花粉症、おしいです。わたしはあるもののアレルギーなんです」
「ああ、アレルギーか」
それならくしゃみをする理由もわかる。そういえばこの部屋はさっきまで俺が飲んでいたのも含め、かなりコーヒーの香りが漂っている。ということは、
「コーヒーにアレルギーがあるのか?」
「いえ、そういうわけでもないんです。くちゅん」
違うらしい。
「わたしはこのアレルギーのために、博士にコールドスリープして欲しいと思ってきたのです」
「どういうわけだ?アレルギーとコールドスリープの間に何の関係がある」
「わたしのアレルギーはこれまでずっと薬でなんとかしてきたのですが、それが効かなくなって、症状が抑えられなくなったのです」
「しかしそれなら病院でもっと治療を受けたらいいんじゃないのか?」
「駄目なんです。どんな薬も効かなくて……。くちゅん!失礼。しかもわたしのアレルギーはどんどん重症化していて、このままではいずれ死んでしまうだろうとお医者さんが話しているのを聞いてしまったんです」
「ははあ、それで治療法が見つかる未来までコールドスリープしたいと言うわけか。たしかにアレルギーの原因療法は確立していない」
「いえ、それだけではないんです」
「なに?どういうことだ。そういえば、何のアレルギーなのか聞いていなかったが……」
「問題はまさにそれなんです。実は、わたしのアレルギーというのは熱なのです。つまり、熱によってアレルギーが引き起こされてしまうという、世にも珍しい熱アレルギー患者なのです」
「はぁ?そんなことがありえるのか」
「信じられないかもしれませんが本当です。ですから冬だというのにこのようにこんな薄着でやってきたのです」
「そんな馬鹿げたアレルギーがあるか。ふざけるのも大概にしてもらおう」
「信じてください!なんなら試してみてくれてもいいんです!お願いです!試してみてください!」
必死ですがりつく少女の様子に俺は少し試してみる気になった。
「じゃあ、さっきのコーヒーを飲んでみろ」
「うう、わかりました……」
少女は2、3回フーフーと冷ますと、ゆっくりと口をつけた。
その瞬間。
「くちゅん!くちゅん!くちゅん!」
けたたましくくしゃみを繰り返す少女。その皮膚に蕁麻疹がプツプツと浮き出る。
「くちゅん!……はぁはぁ、これでいいですか?」
「うーむ」
確かにアレルギーの症状が出ていることには間違いない。だがまだ熱のアレルギーと決まったわけではない。俺はいつもポケットの中に密かに忍ばせているカイロを不意に少女の脚に当てた。
「ひぃぃぃ!!」
見るとカイロが触れている部分から蕁麻疹が広がっていく。
俺は慌ててカイロをどけた。
「くちゅん!くちゅん!ひどいです、ううう……。くちゅん!」
少女はうらみがましく涙目で俺を睨みつける。
「悪かった、信じよう」
どうやら熱アレルギーというのは本当のようだ。
「うう、分かっていただけて嬉しいです。くちゅん!お医者さんに言わせると、わたしの症状はどんどん重くなっており、薬も効かない今、このままでは死ぬしかないということです。くちゅん!先生、どうかわたしを助けてください!」
「そのような事情ならば当然だ。さ、早くコールドスリープ装置の中に入りなさい」
「ああ!ありがとうございます」
「ただしコールドスリープは研究途中だ。成功するかどうかは五分五分だぞ」
「ええ、それで結構です。このままではどうせ死ぬのですから生きていられる可能性が50パーセントもあるだけで贅沢言えません」
「わかった。ではもう聞くまい。さ、そこのカプセルに入りなさい」
「はい。このご恩は一生忘れません。きっと恩返しします」
そう言って少女がカプセル内のシートに腰掛けると、透明な蓋が自動的にしまった。
「そのとき俺か君のどちらかが死んでいなければいいがな。……よし、装置に入ったな。いくぞ」
「お願いします」
俺は端末を操作して冷凍開始のスイッチを押した。
装置が作動し、窓から少女が徐々に凍っていくのが見える。
やがて端正な青白い顔に霜が降りて、ピクリとも動かなくなった。
するとノズルから装置の内部に水蒸気が吹き出し、しばらくすると少女は分厚い氷の柱の中に閉じ込められた。
全て終わったとき、モニターにCOMPLETEの文字が表示され、俺はコールドスリープが成功したことを知った。
装置からかちんこちんに凍った少女を取り出す。
人一人救うことができたということと、ずっと研究していたコールドスリープが成功したということに俺は達成感を覚え、しばし満足げに笑った。
しかしぼやぼやしているとせっかく冷凍した少女が溶けてしまう。
俺は、被検体を保存する冷凍シェルターまで少女を運ぶことにした。
その途中、俺は熱アレルギーという奇妙な病気に思いを巡らせていた。
熱などというものによってアレルギー、つまり生体内の免疫の過剰反応が引き起こされるなんて、常識的にみて考えられない。
おそらく生体内の免疫システムが、熱、つまり元素の振動という刺激に反応したのだろうが、そんなことはたしてありえるだろうか。
しかし、これも何かの縁だ。
いつかきっとおまえの病気も解明してみせよう。
そしてなにげなく少女の身体を包む氷柱に手を置いたとき、俺は戦慄した。
少女は病気がどんどん進行していると言っていた。
そして元素の振動でアレルギーが引き起こされるなら、原理的には絶対零度、マイナス273.15℃にしない限りアレルギーは起こるはずである。
しかしコールドスリープはマイナス数十度付近で凍らせているだけなのだから……。
俺がはっと少女の顔を覗き込んだ瞬間、まるで遥か遠くから聞こえてくるようなくぐもったちいさな音で、
「くちゅん」
という声がしたかと思うと、目の前の氷柱が粉々に砕け散った……。
ただの思いつきで、科学考証とかないです。