第4話:積層する殺意(バウムクーヘン)
広島・瀬戸内海を望む断崖にそびえ立つ、要塞のような校舎。
広島純真学院高校。
表向きは西日本屈指の進学校だが、その実態は「教授」と呼ばれる怪物が支配する、巨大な麻薬製造拠点だ。
私は、御影家の財力を持って、この「掃き溜め」への編入をあっさりと済ませた。
膝丈より少し短いスカート、気品溢れる歩調。
校門をくぐる私の鼻腔を、潮風に混じって、甘く、それでいて喉を焼くような工業薬品の匂いがかすめた。
「……あら。歓迎の挨拶にしては、少々刺激が強すぎますわね」
私は制服のポケットから、いつもの『オレオクッキー』を取り出した。
パキッ、ジャリッ……。
黒い粒子の荒々しい刺激が、学園を包む欺瞞の霧を切り裂いていく。
「御影瑠璃さんですね。……理事長室で、『教授』がお待ちです」
案内されたのは、窓のない、異様に冷房の効いた一室だった。
部屋の中央には、切り分けられた一切れの『バウムクーヘン』が鎮座していた。
「……ようこそ、神戸の小鳥さん。まずは、我が校自慢の『年輪』を召し上がれ」
モニター越しに響く、電子音で加工された声。
私の指先が、フォークの上で一瞬だけ止まった。
加工されていても、わかる。この声の底に沈んでいる、冷えた無関心の質感。命を数字として扱う人間だけが持つ、あの温度のなさ。
ロンドンで、私を殺した組織の上層部も、こういう声をしていた。
カルナに値段をつけたのも、こういう声だったのだろうか。
私は静かに、フォークを握り直した。
無言でフォークを手に取り、その美しい層を見つめる。
スッ、……。
ナイフを滑らせると、吸い付くような弾力とともに、密度の高い生地が切り分けられる。
断面は、完璧な同心円。だが、その一層、一層の間に、極小の「星」が瞬いているのを、私の瞳は見逃さなかった。
(……これですわね。ザッハトルテにも練り込まれていた、あの『ガラス粉』)
私はそれを一口、口腔内へと招き入れた。
モニュッ、……ザリッ。
しっとりとした卵の風味と、ラム酒の香り。
しかし、噛み締めるたびに、**ジャリッ、シャリッ……**と、無数のミクロの刃が舌の表面を撫でる不快な感触。
それは、胃壁を傷つけ、血流に直接「毒」を流し込むための、精密に計算された「殺意の層」だ。
「……素晴らしい食感ですわ。バウムクーヘン本来の柔らかさを、あえて『研磨剤』で汚す。……あなたの美学、反吐が出ますわね」
私は、口内の生地を飲み込まず、ハンカチへと吐き出した。
「ほう。……あの『黒薔薇』のケミストを潰したというのは、伊達ではないらしい」
モニターの向こう側で、教授が愉悦に満ちた笑い声を漏らす。
「この学園の地下には、君が追っている『ブラッド・マリア』の最終工程が眠っている。……手に入れたければ、この『年輪』の迷宮を潜り抜けてみせたまえ」
私は、ダージリンで口内を洗浄し、冷徹に微笑んだ。
「迷宮? 違いますわ。……わたくしにとっては、ただの『お茶菓子』に過ぎませんわよ」
私は立ち上がり、部屋の片隅に仕掛けられた隠しカメラを真っ直ぐに見据えた。
「教授。……あなたの作るお菓子は、層が厚すぎて、真実の味が濁っていますわ。……わたくしが、その厚化粧を一枚ずつ、剥がして差し上げます」
理事長室を出ると、潮風が頬を打った。
瀬戸内の海が、冬の光を受けてひどく穏やかに光っている。
私はその光を一瞥し、すぐに視線を校舎へ戻した。
バウムクーヘンの断面が、まぶたの裏に焼き付いている。何十層にも重なった、美しくて醜い同心円。
一枚ずつ、剥がす。
その中心に何が眠っているのか、私はもう、薄々知っている気がした。
それでも、剥がさなければならない。
カルナのために。そして——まだ名前も知らない、次の誰かのために。
「……さて。次は、この学園の『食堂』にでも挨拶に行きましょうか」
(第4話・了)




