第18話:螺旋の牙(コルネ)
放課後の静寂を切り裂くように、平田が短く指笛を鳴らした。
暗いカウンターの奥から姿を現したのは、研ぎ澄まされたナイフのような肢体を持つドーベルマン――『ジャック』。
その漆黒の毛並みは、購買部の淀んだ空気の中で不気味に沈んでいる。
「……バロン。退くなよ。デカいだけが『猟犬』の仕事じゃねえ」
狗巻は、バロンのリードを解き放った。
ビーグルのバロンに対し、ドーベルマンのジャック。体格差は歴然。だが、バロンの瞳には、幾多の現場を潜り抜けてきた、泥臭いまでの闘志が宿っていた。
平田は、手元にあった『コルネ』の袋を破り、その中身をジャックの前に放り投げた。
カサッ、……。
螺旋状に巻かれたパン生地。その中心に詰められたのは、ドロリとした黒いチョコクリーム……ではない。
グチャッ、……。
ジャックがコルネを噛み砕く。溢れ出したのは、嗅覚を麻痺させる強烈な「興奮剤」を練り込んだ、赤黒いペースト。
(……! あのコルネ、パンの中に直接『ブラッド・マリア』の濃縮液を詰め込んでやがるのか)
次の瞬間、ジャックが興奮剤の効果で瞳を血走らせ、バロンへと跳びかかった。
ガルルルルッ!
影のような跳躍。だが、バロンはその場に踏み留まらなかった。姿勢を低く保ち、螺旋を描くようにジャックの死角へと潜り込む。
そのわずかな隙に、平田がカウンターから二つ目のコルネを掴み、バロンへ向けて投げつけた。
(……っ、バロン!)
狗巻は咄嗟に飛び出し、床に転がったコルネをバロンの鼻先から蹴り飛ばした。だが、勢い余って足で踏み潰す。溢れ出た赤黒いペーストが、靴底に広がった。
狗巻は、ペーストの臭いを嗅いだ。鉄と薬品。御影の令嬢が言っていた、あの「金属の熱」だ。
「……やっぱりか。食わせてたまるか」
狗巻は口の端についたペーストをスルメで強引に上書きし、平田が突き出したピンセットを鍛え上げた腕で弾き飛ばした。
キンッ!
火花が散る。同時に、バロンの牙がジャックの前脚を捉えた。
キャンッ!
ジャックがバランスを崩す。バロンは、その隙を逃さず、螺旋を描くように相手の懐へ飛び込み、その首元へと咆哮を上げた。
「……バロン! そのまま押さえろ!」
狗巻は、平田の胸ぐらを掴み、冷たい購買部のカウンターへと叩きつけた。
ガシャーン!
散らばるコッペパンと、砕け散るコルネの残骸。
「……平田。あんたの『レシピ』は、ここで終わりだ。……広島の毒、全部吐き出させてやるぜ」
狗巻の目が、勝利を確信した刑事の鋭さを取り戻す。
バロンが、倒れたジャックの首筋を静かに制圧した。
遠吠えはしなかった。ただ、静かに座って、狗巻を見上げた。
十年来の相棒の、それがいつもの「終わった合図」だった。
(第18話・了)




