第16話:澱みの購買部(コッペパン)
生徒たちの喧騒が消え、夕闇が廊下の隅々に澱みを作る時間。狗巻陣は、作業着に身を包み、清掃員を装って旧校舎の隅にある「購買部」へと歩を進めていた。
「……バロン。あんまり鼻を鳴らすなよ。シッポを下げて、仕事のフリだ」
足元のビーグル、バロンは低く伏せながらも、その濡れた鼻を敏感に動かしている。
購買部のカウンターの奥。そこでは、白衣の上にエプロンを重ねた初老の男――購買員の平田が、奇妙な作業に没頭していた。
カサッ、カサカサ……。
平田は、棚に並んだ『コッペパン』の袋を一つずつ手に取り、不自然なほど丁寧に並べ替えている。いや、並べ替えているのではない。パンの底面に、小さな「シール」を貼り直しているのだ。
狗巻は物陰からその様子を盗み見た。
平田の手元にあるのは、何の変哲もない、ふっくらとしたコッペパン。
パフッ、……。
平田がパンの腹を軽く押すと、中の空気が抜けるような、柔らかい音が響く。
スッ、……。
次の瞬間、彼はピンセットを使い、パンの合わせ目から「何か」を滑り込ませた。
(……あいつ、何を入れた? 練り餡か、ジャムか? ……いや、そんな美味そうなもんじゃねえな)
狗巻は、平田がゴミ箱に捨てた「空の小瓶」を、バロンに合図して回収させた。
バロンがそれを咥えて戻ってくる。
クンクンッ、……フシュッ!
瓶の匂いを嗅いだバロンが、嫌悪感を示すように鼻を鳴らした。
「……分かってる。レモンケーキと同じ、あの『酸っぱい鉄の匂い』だろ」
狗巻は、平田が席を立った隙に、カウンターに置かれたコッペパンを一つ、強引に「検分」した。
ベリッ、……。
袋を引き裂く。小麦の香ばしい匂いの裏側から、微かに鼻を突く化学薬品の刺激。
ムギュッ、……ジャリッ。
狗巻がパンを割ると、中には何も入っていないはずの「プレーン」の生地の奥に、不自然な白い結晶が固まっていた。
「……ただのパンに、これだけの『火薬』を仕込みやがって。……これじゃあ、食った生徒たちの腹が爆発するのも無理はねえぜ」
狗巻はスルメを噛み締め、奥歯でギチリと音を立てた。
教授のラボは潰した。だがこの男は、ラボが潰れた後も動いている。ということは——
「平田……。あんた、教授に雇われてたのか。それとも、もっと上の誰かに?」
その時。背後で、パチリと電気の消える音がした。
「……おや。掃除の時間は、もう終わったはずですよ、刑事さん」
暗闘の中で、平田の持つピンセットが、冷たく銀色に光った。
狗巻は、バロンのリードを力強く握りしめた。
「……バロン」
短く、それだけ言った。
バロンが、低く、腹の底から唸った。
(第16話・了)




