第15話:琥珀色の迷宮(クイニーアマン)
尼崎、臨海部。街灯もまばらな廃倉庫の奥。
今朝、マックスが初めてプレッツェルを食べた。完食ではなかったが、鼻の爛れが引き始めている。それだけで十分だった。私は二頭を連れて、倉庫街へ向かった。
ダリアが私の足元で激しく震え、喉を鳴らして一点を睨みつけている。
「……キャンッ! キャンッ!」
「分かっていますわ、ダリア。……この鼻を突く重厚なバターの香りの裏、微かに『鉛』の冷たい匂いが混じっていますわね」
私は、いつもの『オレオクッキー』を指先で弄んだ。
パキッ、ジャリリッ……。
漆黒の粉末が、倉庫内に停滞する「欺瞞の甘さ」を強引に切り裂いていく。
積み上げられた木箱の陰。そこには、不自然なほど丁寧に積まれた、数千枚もの「包み紙」の山があった。
「……あら。お菓子工場でもない場所に、これほどの『抜け殻』が。……随分と食いしん坊な幽霊が住んでいるようですわね」
私は、指の間で銀のフォークをくるくると回し、一番上の包み紙へ向けて一閃した。
サクッ……。
鋭い切っ先が紙を突き破り、その中から転がり出たのは、黄金色の円盤状のお菓子だった。
『クイニーアマン』。
ブルターニュ地方の伝統菓子。表面はキャラメリゼされた砂糖でカチカチに固められ、琥珀色の輝きを放っている。
私は、フォークの背でその表面を叩いた。
コンコンッ。
まるで陶器のような硬質な音。
「……随分と立派な『鎧』ですこと。……中身を隠すには、これ以上の素材はありませんわね」
私は、その硬い皮をフォークで強引に抉り、一口分を口へと運んだ。
バリッ、ガリガリッ!
キャラメルの破片が口腔内で鋭く弾け、続いてバターを極限まで吸い込んだデニッシュ生地がジュワッと溶け出す。だが、その濃厚な快楽の直後、舌の裏側に「痺れ」が走った。
(……! この、脳を直接震わせるような過剰なドーパミン。……『ブラッド・マリア』を、キャラメルの中に結晶化させて閉じ込めていますわね。……噛み砕く瞬間に、毒が神経を直撃する仕組み!)
私は残りのクイニーアマンを床に投げ捨て、ブーツの踵で踏みにじった。
グシャッ、ザリザリッ……。
潰れた生地の中から、無数の『ガラス粉』が、倉庫のわずかな光を反射して不気味に瞬く。
木箱の一つを開けると、中には大量のクイニーアマンと、一枚の伝票が入っていた。
送り先は、全国各地。神戸、尼崎、大阪、名古屋、東京。
そして伝票の隅に、小さく走り書きされた一言。
『For Karna――Phase2』
私の手が、止まった。
Phase2。第二段階。つまり広島は第一段階に過ぎなかった。そして、この毒の展開を指揮している人間は、まだカルナの名前を使い続けている。
なぜ、その名前を使うのか。
カルナを知っている人間が、この毒の流通を設計している。
(……あなたは、一体、誰ですの)
マックスが静かに私の足元に寄り添い、ダリアが倉庫の奥へ向かって低く唸った。
「……マックス、ダリア。……この倉庫の『支配人』を引きずり出しますわよ」
私は立ち上がり、漆黒のコートの裾を整えた。
オレオは、もう噛み砕かなかった。
今夜は、そういう気分ではなかった。
(第15話・了)




