第14話:紅葉(もみじ)の迷宮
広島県警、薬物銃器対策課。
深夜のオフィスには、不機嫌な静寂と、使い古された灰皿のヤニ臭さが停滞していた。
「……ちっ。どいつもこいつも、貝みたいに口を閉ざしやがって」
狗巻陣は、ヨレヨレのトレンチコートの襟を立て、デスクに放り出された捜査資料を睨みつけた。
ギチリ、……。
奥歯で乾燥スルメを噛み締める。繊維が断ち切れる鈍い音とともに、脳内に微かな刺激を送り込む。だが、生徒数百人を病院送りにした「レモンケーキ」の混入ルートは、まるで見えない壁に突き当たったかのように、その先へ進めない。
「……ワンッ!」
足元で、ビーグルが短く吠えた。
十年来の相棒、バロン。麻薬犬として県警に配属されて以来、ずっと狗巻と組んできた。定年まで一年を切ったこの男と、妙なことに引退時期まで同じらしい。
そのバロンの鼻が、床に置かれた一箱の『もみじ饅頭』に鋭く反応している。
「……分かってるよ、バロン。こいつが『土産物』じゃねえことくらいな」
狗巻は、証拠品袋に入れられたその饅頭を手に取った。
カサッ、……。
包装を剥がすと、カステラ生地の甘い香りが広がる。一見すれば、広島のどこにでも売っている、ありふれた紅葉の形。
ムギュッ、……。
狗巻は、自らその半分を指で割り、中の「餡」を露わにした。
ネチャ、……ザリッ。
こし餡の滑らかさとは似つかわしくない、嫌な手応え。
狗巻は、その「ザリッ」とした感触の正体を知っている。神戸で御影の令嬢が指摘した、あの『ガラス粉』だ。
「……餡の中に、直接粉末を練り込みやがったか。これじゃあ、外側をどれだけ調べても検知に引っかからねえわけだぜ」
狗巻はスルメを吐き捨て、今度はもみじ饅頭の欠片を口に運んだ。
モソッ、……。
唾液を奪う生地。続いて、舌を焼くような不自然な「刺激」。
「……っ、ぺっ! ……苦ぇ」
狗巻は饅頭の欠片を吐き出し、しばらく無言で資料を睨んだ。
教授のラボは潰した。製造ラインも押さえた。それでもまだ、この味がどこかから流れてくる。
根っこを断ち切れていない。
バロンが、もみじ饅頭の箱の底――そこに刻印された、小さな「製造番号」を前足で叩いた。
「……『広島純真学院・購買部』専用のロットナンバー。……そうか。……外からじゃねえ。……学園の内側に、まだ誰かいやがるのか」
狗巻は立ち上がり、バロンの頭を乱暴に撫でた。
「行くぞ、バロン。……尼崎でお嬢様が踊ってる間に、俺たちで広島の後始末をしてやろうじゃねえか」
一息ついて、狗巻は苦々しく笑った。
「……あのお嬢様に、『警察は役立たずだ』なんて言わせるわけにゃあいかねえからな」
深夜の広島。パトカーのサイレンではなく、一匹の猟犬の低い唸り声が、オフィスに響いた。
(第14話・了)




