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南京町の悪役令嬢は、高級菓子の毒(マトリ)を嗅ぎ分ける  作者: 水前寺鯉太郎
第2部『ロンドン・壊滅・ティーパーティ編』

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第13話:空白の領域(シフォンケーキ)

尼崎のセーフハウス。

 窓の外では、黒いセダンが去った後も、不気味な静寂が続いていた。マックスは奥の部屋で浅い眠りにつき、ダリアは私の膝の上で小刻みに震えながら、大きな瞳でじっと私を見つめている。

 テーブルの上には、昨夜ダリアが吠えた黒いセダンの中から押収した、一切れの『シフォンケーキ』が置かれていた。

 車に乗っていた男は、既に狗巻刑事に引き渡している。だが男が持っていたこのケーキだけは、私が預かった。

「……あら。ずいぶんと丁寧な仕事ですわね」

 私は、いつもの『オレオクッキー』を噛み砕き、その黒い苦味で思考を巡らせた。

 バリッ、ジャリッ……。

 漆黒の粒子が脳を叩き、情報の断片を鮮明に浮かび上がらせる。

 スッ、……。

 私は、シフォンケーキの側面に、愛用の銀フォークを滑らせた。

 フワァッ、……。

 究極の弾力。指先で押せば、まるで絹のように滑らかに沈み込み、離せば、何事もなかったかのように元に戻る。その完璧な「空白」。

(……! この質感。……不純物が一切混じっていない、完璧なメレンゲ。……ですが、この『完璧すぎる空白』こそが、逆に怪しいですわね)

 私は、フォークをシフォンケーキの奥深くまで刺し通した。

 サクッ、……。

 フォークの先端が、ケーキの中心部にある、小さな「空洞」に触れた。

 ジュワッ、……。

 そこから溢れ出したのは、芳醇なラム酒の香り……ではない。

(……揮発性の溶剤を、シフォンケーキの空洞に閉じ込めていた。……マドレーヌと同じ手口。でも、精度が段違いに上がっていますわ)

 私はフォークを引き抜き、その先端に付着した溶剤の匂いを確かめた。

 スーッ、……。

 鼻を刺すような、エーテルの匂い。だが、その奥に、もう一つ別の気配がある。

(……これは、広島のラボで嗅いだものとは、組成が違う。……別のケミストが、別の場所で作っている)

 ダリアが、膝の上で小さく鼻を鳴らした。同意するように。

「そうですわね、ダリア。……広島は終わった。でも、この毒はまだ流れている」

 私は静かにケーキを皿に戻し、窓の外の工場地帯を眺めた。

 煙突の煙が、夜空に溶けていく。その向こうに、倉庫街が広がっている。

 そして——「For Karna」という言葉が、また胸の奥で疼いた。

 尼崎の倉庫にいる敵は、その言葉を送った人物ではないかもしれない。でも繋がっているはずだ。この毒の流れを辿れば、必ずあの言葉の主に届く。

「……マックス」

 私は奥の部屋に声をかけた。

 弱々しいが、確かな返事が聞こえた。

「……もう少しだけ、待っていなさい」

 私は立ち上がり、コートを羽織った。ダリアを抱き上げ、その震える体を一度だけ胸に押し当てる。

「……ダリア。行きますわよ」

 ダリアの大きな瞳が、静かに私を見上げた。

「……尼崎の倉庫街。……このシフォンケーキの『空洞』がどこから来たのか、直接確かめに行きましょうか」

(第13話・了)

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