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南京町の悪役令嬢は、高級菓子の毒(マトリ)を嗅ぎ分ける  作者: 水前寺鯉太郎
第1部 悪役令嬢は名探偵

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第1話:ティータイムの終わり、ごま団子の毒

完璧なスコーンというものは、狼が大きく口を開けた時のように、横一線に美しく腹が割れていなければならない。これを英国では『狼のウルフスマウス』と呼ぶ。

「……悪くありませんわね。クロテッドクリームの質も、及第点ですわ」

 サクッ、モソッ。

 前歯で捉えた黄金色の生地が軽やかに崩れ、口内の水分を奪いながらバターの濃厚な香りを弾じけさせる。神戸・旧居留地。かつての異人館を改装したティーサロンのテラス席で、私は銀のナイフを置いた。

 私の名は、御影瑠璃みかげ るり

 地元・神戸では誰もが知る不動産資本「御影グループ」の令嬢であり、同時に――かつてロンドンで麻薬組織を追いつめ、その果てに凶弾に倒れた十七歳の英国貴族、アリス・カートレットの成れの果てでもある。

 あの日、死の直前に口の中で混じり合ったのは、馴染みの店で買ったスコーンの芳醇な香りと、喉の奥からせり上がる血の鉄錆びた味だった。

「お嬢様、お口に合いましたでしょうか?」

 執事が恭しく問いかけてくる。私はハンカチで口元を拭い、テラスの向こう側に広がる極彩色の楼閣を眺めた。

「ええ。でも、お口直しが必要になりましたわ。……南京町あっちの空気が、どうにも鼻に付きますの」

 私は席を立った。

 山の手の静謐な空気とは正反対の、油と香辛料と欲望が混じり合う迷宮。私の嗅覚マトリが、南京町の路地裏から漂う「不純物」を捉えて離さなかった。

 旧居留地から歩いて数分。

 元町商店街を抜けると、そこには赤い提灯と金色の龍が踊る「南京町」が姿を現す。

 私は制服のポケットから、一袋の『オレオクッキー』を取り出した。

 パキッ。

 一枚を指先で割り、黒いクッキーの隙間に挟まれた白いクリームを見つめる。

(白と黒。光と影。……この世界もオレオと同じですわね)

 ガリッ、ジャリッ……。

 小気味よい破砕音とともに、強いココアの苦味とジャンクな砂糖の甘みが舌を蹂躙する。この「安っぽい刺激」こそが、英国令嬢としての繊細な味覚をリセットし、麻薬取締官としての鋭敏な感覚を呼び覚ますための儀式ルーチンだ。

 行列の絶えない大通りを避け、湿った風の吹く路地へと足を進める。

 そこには、一軒の古びた屋台があった。看板には『鳳凰茶楼』。店主は、脂ぎった顔に不自然な笑みを浮かべた中年男だ。

「いらっしゃい、お嬢ちゃん。うちの『ごま団子』は最高だよ」

 私は黙って千円札を差し出し、紙袋に入った揚げたてを受け取った。鼻腔をくすぐる香ばしい胡麻の香りを深く吸い込む。

(……見つけましたわ)

** 刹那、意識の底で何かが揺れた。**

** 冷たいアスファルト。遠ざかっていく小さな靴音。間に合わなかった、あの夜の——**

「……お残しは、許しませんわよ」

** 私は静かに、仮面を被り直した。**

 ムニュッ、……ネチャッ。

 一口、端をかじり取る。弾力のある餅の食感、そして熱い黒胡麻餡。だが、その粘り気の中に潜む「違和感」を、私の舌は見逃さない。

「店主。このごま団子……随分と手が込んでいますわね」

「へへ、そりゃあ秘伝のレシピだからね」

「レシピ? 違いますわ。私が言っているのは、この餡に練り込まれた『冬の雨』の匂いのことですわよ」

 店主の顔から、一瞬で笑みが消えた。

『冬の雨』――私がロンドンで追っていた、新種の合成麻薬『スノー・レイン』の隠語だ。

「……何の話だ、お嬢ちゃん」

「トボけても無駄ですわ。この**嫌に尾を引く、ケミカルな苦味。**精製過程でエーテルを隠蔽するために、わざと酸化した古い油を混ぜていますわね? 専門家プロを騙すには、少々お菓子への敬意が足りませんわ」

 私は、食べかけのごま団子を地面に放り捨てた。

 そして、スカートのポケットから金筋の入った黒い手帳――厚生労働省 麻薬取締官の証票を、店主の眼前に突きつける。

「御影家が支援するこの町で、私の思い出を汚すような『毒』を売るなんて。……覚悟はよろしくて?」

「……マトリだと!? ガキが、ふざけるな!」

 男がカウンターの下から包丁を掴み、身を乗り出してきた。

 私は動じない。手に持っていたオレオの袋を、男の顔面に向けて叩きつけた。

 バサァッ!

 散らばる黒い破片と白い粉。視界を奪われた隙を突き、私は男の腕を掴んで捻り上げる。令嬢の細い腕。だが、マトリとしての体術に、力任せの暴力は必要ない。

「あががが! 離せ!」

「大人しくしなさいな。見苦しいですわよ」

 男を冷たいアスファルトに組み伏せ、膝でその背を固定した。

 男のポケットを探ると、小さなビニール袋が出てくる。中には、ごま団子の餡に偽装された、灰色の粉末。

(これだわ。私を殺した連中が扱っていたものと同じ……!)

「言いなさい。この毒、どこから流れてきたのかしら?」

「し、知らねえよ! 届いたものを団子に入れて売ってるだけだ!」

「嘘を仰い。あなたは正確に『調合』していた。そのための秤が、店の奥に見えますもの」

 私は男の耳元で、甘く、冷徹に囁いた。

「言わないのなら、この場でこの毒を、あなたに全部食べさせて差し上げますわ。……ご安心なさい。お嬢様は、お残しを許しませんの」

「ひっ……! 待て! 『広島』だ! 広島から来た連中が、持ち込んできたんだ!」

 広島――思わぬ地名に、私は眉を潜めた。

 パトカーのサイレンが、南京町の入り口付近から聞こえてくる。

 私は、駆けつけてきた地元の警察官たちに男を突き出すと、泥に汚れた制服の裾を優雅に整えた。

 新しいオレオを一枚、口に放り込む。

 ボリッ、ボリッ……。

 頭蓋に響く乾いた音が、高ぶった神経を鎮めていく。

(広島……。クソ学園なんていう不名誉な呼び名で知られる場所があると聞きましたが、まさかそこが組織の拠点ラボだというのかしら)

 前世で私を殺した黒幕。その影が、神戸の美しい街並みの向こう側で、うっすらと形を成し始めている。

「……さて。次は、口直しに美味しい『フルーツサンド』でも探しに行きましょうか」

** 私は、まだ少しだけ指先に残るココアの粉を舐めとり、不敵に微笑んだ。**

** カルナ。**

** その名前だけを、声に出さずに口の中で転がして、私は歩き出した。**

(第1話・了)

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