第6話:【前編】『巫女さんは、お腹が空いている』
「よし、話はまとまったな! 異論は認めん、まずはメシだ!」
レンは快活に言い放つと、呆然と立ち尽くす少女――シアの背中を軽く叩いた。
シアは一瞬、ビクリと肩を揺らしてレンを睨みつけたが、言い返す気力も残っていないようだった。数百年もの眠りから覚めた直後の身体にとって、聖域の静寂を切り裂くようなレンのハイテンションは、毒か薬か判別しがたい劇物のようなものだ。
「……勝手な人。ポッド、あなた本当にこの男を信じていいの?」
「プシュー!」
ポッドは主人の言葉を肯定するように、誇らしげに蒸気を吐き出した。シアはその様子を見て、力なく溜息をつく。一族の守護者がここまで懐いている以上、この男を力ずくで追い出すのは不可能だと悟ったらしい。
「案内しろポッド! 拠点の特設ダイニングへレッツゴーだ!」
レンは崩れた壁の隙間を抜け、シアを伴って『儀式の間』へと戻ってきた。
シアが目にしたのは、昨日まで埃を被っていたはずの広間が、見違えるほど清潔に整えられた光景だった。隅々まで掃き清められ、石畳の床はレンの『最適化』によって新品同様の輝きを取り戻している。
「な、何ですか、この輝きは……。聖なる石をここまで磨き上げるなんて、どれほどの年月をかけたのですか?」
「年月? いや、昨日ポッドと一緒に一時間くらいでやったぞ。研磨剤代わりに魔力を薄く流して表面を再結晶化させただけだ。それより、あそこを見ろ!」
レンが指差した先には、第3話で彼が構築した『水耕栽培プラント』から運び込まれた、瑞々しい緑の山があった。
石造りのテーブルの上には、レンが今朝のうちに準備しておいた「魔法発酵パン」と、もぎたての葉物野菜、そして集水機から引いたばかりの透き通った水が並んでいる。
「さあ座れ! お嬢さんの分もちゃんとあるぞ。あ、毒なんて入ってないから安心しろよ。俺が毒味(試食)済みだ!」
レンは自分の席にどっかと座ると、魔法パンを一つ手に取って豪快にかじりついた。
シアは、促されるままテーブルの対面に腰を下ろした。鼻をくすぐるのは、これまでの人生で嗅いだことのない、芳醇で甘い小麦の香りだ。
「……これが、食べ物? 地上の汚れた土を使わずに育てたというのですか?」
「ああ。土の代わりに魔力液を循環させてるからな。雑菌も虫もゼロ、完全無欠のクリーンベジタブルだぞ! ほら、このパンも食ってみろ。地下の排熱を利用して発酵させた力作だ!」
シアは震える手で、黄金色に焼けたパンの欠片を手に取った。
彼女の記憶にある「食事」とは、一族の伝統に基づいた、質素で味の薄い儀式食のようなものだった。だが、目の前にあるこれは、見るからに柔らかく、温かく、生命力に満ちている。
(……いけません。この男は不審者。何を企んでいるか分からない。巫女たる者が、得体の知れない食べ物に手を出しては……)
理性は必死にブレーキをかける。
だが、数千年の空腹を抱えた胃袋は、主人のプライドなど知ったことかと言わんばかりに、激しく活動を再開していた。
「……いただきます」
シアは観念したように呟くと、パンの端を小さく、小鳥が啄むように口に運んだ。
その瞬間。
シアの碧色の瞳が、驚愕で見開かれた。
「……っ!? ……ふ、ふんわりして……甘い……?」
噛みしめた瞬間に広がる、小麦の香ばしさと、発酵によって引き出された自然な甘み。そして、水耕栽培で育てられた野菜の、弾けるようなシャキシャキとした食感と瑞々しさ。
シアの巫女としての仮面が、音を立てて崩れ去っていく。
「ははは! いい食いっぷりだな! どんどん食え、材料なら山ほどあるぞ!」
レンは満足げに笑いながら、シアの皿に次々と野菜を盛り付けた。
シアはもはや、言い返す余裕すらなかった。次から次へと溢れ出す「美味い」という感情が、脳内を支配していく。
「……美味しい。本当に……信じられない。こんな贅沢な味が、この世界に存在したなんて……」
ポッドが嬉しそうに「プシュー!」と鳴り、レンもまた、自分の技術が正しく評価されたことに、エンジニアとしての至上の喜びを感じていた。
だが、食事が進み、シアの顔に血色が戻ってきた頃。
レンはふと、パンを置いた。
「さて。腹が膨れたところで、そろそろ本題に入ろうか。お嬢さん――いや、シア。お前の知ってる『この島の真実』ってやつを、全部俺に吐き出してもらおうか」
和やかな食事の空気が、レンの真剣な問いかけによって一変した。




