第5話:【前編】『不審者じゃありません、エンジニアです』
静寂が、暴力的なまでの魔力の拍動によって打ち砕かれた。
数百年、あるいはそれ以上の時。凍てつくような無機質な眠りに包まれていた隠し部屋――『聖域』のシステムが、地下最深部から逆流してきた濁流のようなエネルギーを浴びて、一斉に産声を上げる。
――ガコン! プシュウゥゥ!
結晶体に刻まれた封印の術式が、過負荷に耐えきれず次々と焼き切れていく。その衝撃波が、長年の風化で脆くなっていた岩壁を内側から粉砕した。
轟音。土煙。そして、数千年ぶりに部屋へと差し込んできた、新鮮な空気の匂い。
「……はっ、……う、あ……」
数百年もの間、機能を停止していた少女の肺が、無理やり酸素を吸い込もうとして悲鳴を上げた。
中央に鎮座するクリスタルの寝床の蓋が、蒸気を吐き出しながらゆっくりとスライドする。
そこから、一人の少女が這い出した。
銀糸のような髪を乱し、碧色の瞳を眩しそうに細める。彼女の名はシア・エル・ネブラ。この浮遊群島の管理権限を持つ一族の末裔であり、島の墜落を食い止めるために自らを封印していた巫女だ。
シアは震える手で寝床の縁を掴み、弱々しく立ち上がった。
だが、彼女が数百年ぶりに目にした光景は、一族の厳格な再会の儀式でも、美しく整えられた聖域の姿でもなかった。
「……何、これ。壁が、崩れて……?」
視界の先。派手に崩落した壁の瓦礫のすぐ隣で、一人の男が横たわっていた。
泥と油にまみれた、見たこともない奇妙な作業着。
そしてその男は、自分たち一族の象徴であり、最強の守護者であるはずの多目的ゴーレム――ポッドを枕代わりにして、あられもない寝顔で爆睡していたのだ。
「すー……、がー……」
シアは目を疑った。
一族の至宝であるゴーレムが、なぜかその見知らぬ男を慈しむように、背後から優しく支え、一定の間隔で静かな排気音を鳴らして安眠をサポートしている。
「……変な格好の人。あなた、どこの賊? なぜ、ここに……!」
シアはフラつく足取りで、傍らに立てかけられていた古びた杖を手に取った。
一族の巫女にのみ許された、魔力収束用の宝具だ。彼女はその先端を、無防備に寝こけている男の鼻先に突きつけた。
だが、男――レンは起きない。地下機関室の全機能を一人で『最適化』し、魔力を文字通り一滴残らず使い果たした「強制休眠」の最中だからだ。
「聞きなさい、不敬者! 私の問いに答えなさい!」
シアの叫びも、レンの深い眠りを破るには至らない。
シアは当惑した。賊にしては隙だらけだ。そもそも、この男の格好は何だ。腰にぶら下げた、妙に機能美を感じさせる金属の塊や、光を反射するゴーグル。一族の伝承にあるどの国の装束とも合致しない。
「プシュー……」
「……ポッド? あなた、なぜその男を庇うの? どきなさい、そいつは聖域を壊した侵入者よ!」
シアが杖を構え直すと、ポッドは困ったようにレンズを明滅させた。
それから数時間。シアが警戒を解かぬまま、崩れた壁の隙間から差し込む光を眺めていた時のことだ。
「……ん、……ふぁあ! よく寝た! 納期明けの爆睡は最高だな!」
突如として、レンが跳ね起きた。
文字通り「パチッ」とスイッチが入ったような目覚めだ。レンはまだ霞む視界をこすりながら、自分の目の前にある「何か」に気づいた。
「おっ、ポッド! 俺をここまで運んでくれたのか、サンキュー! ……って、え?」
レンの視線の先、碧眼を吊り上げ、怒りと困惑に顔を赤らめた美少女が、光り輝く杖を自分に向けていた。
普通なら、ここで命の危険を感じるだろう。あるいは、美少女の登場に鼻の下を伸ばすだろう。
だが、九条蓮というエンジニアは違った。
「うわっ、なんだその杖! すごいな、クリスタルのカットが多面体の極致じゃねーか! 先端の魔力収束リング、どうやって固定してんだこれ!? 浮いてるのか? 磁気浮上か!? ちょっと触らせてくれ、構造が見たい!」
レンは恐怖心ゼロの勢いで、シアの手元にある杖に詰め寄った。
「ひっ、……な、ななな、何をするのです! 下がれ、この邪神の使いめ! 穢れた手で聖なる器に触れるな!」
シアは悲鳴に近い声を上げ、杖を振り回した。
杖の先から放たれた微弱な光の弾が、レンの足元の石畳を焦がす。
「おっと! 危ねーな、精密機械を乱暴に扱うなよ! 出力バランスが崩れたら爆発するぞ、多分! ……ん? 待てよ。お嬢さん、今なんて言ったんだ?」
レンは首を傾げた。
少女の唇は確かに動き、美しい声が響いた。だが、その意味が「一単語も」理解できない。
「……ああ、そうか。言語設定が未対応ってわけか。異世界転移の定番だろ、これ!」
レンは納得がいったようにポンと手を打つと、おびえるシアを余所に、背後に控えていたポッドへと向き直った。
「よしポッド、出番だ! お前の音声出力ユニット、ちょっと貸せ。……お嬢さんの喋った波形をサンプリングして、俺の言葉をリアルタイムで翻訳してやる。エンジニアに言葉の壁なんてねえんだよ!」
レンは腰のポーチから小型のドライバーを取り出し、不敵な笑みを浮かべた。
その目は、獲物を見つけたオタク特有の、ぎらついた情熱に燃えていた。




