第3話:『サバイバルの基本は、まず野菜から』
二度目の「強制休眠」から目覚めたレンは、石造りの台座の上で深く溜息をついた。
体中の節々が痛む。魔力を使い切る感覚は、激しい徹夜作業の後の脱力感に似ていた。
「……学習したぞ、ポッド。俺の魔力は、この世界のOSを動かすための特権階級の電力みたいなもんだ。一気に使い切るとシステムダウンする。これからは『定時上がり』と『有給(休憩)』を挟むことにする」
「プシュッ!」
ポッドがどこからか持ってきた、ひんやりと冷えた金属のプレートをレンの額に当てた。昨日の集水機で冷やされた水が入っているらしい。
レンはそれを一気に飲み干すと、しゃっきりと立ち上がった。
「さて、水は確保した。次は『メシ』だ。人間、水だけじゃ一週間が限界だからな」
レンが目をつけたのは、神殿の裏手に広がる巨大なガラス張りのドームだった。
かつては「空中庭園」と呼ばれていたであろうその場所は、今や枯れ果てた茶褐色の蔓が這い、土は乾燥してひび割れている。
「『自動水耕栽培プラント』か。……ほう、これは面白い。土を使わない噴霧耕方式だな。栄養液を霧状にして根に直接吹き付ける、現代の最先端農法に近い」
レンはドームの中央にある制御盤に手を置いた。
内部の構造が、ギフトを通じて立体図面(CAD)のように脳内に展開される。
「……重症だな。配管は目詰まりし、栄養液を生成する魔法触媒は完全に失活している。おまけに、この『風化』のせいで気密性が死んでる」
本来なら、絶望的な状況だ。
だが、レンの口角は吊り上がっていた。
「よし。今日は一気に直さない。工期を二日に分けるぞ。初日は『インフラの復旧』。二日目に『バイオ系の再起動』だ。無理のないスケジュール管理(工程管理)こそが、デキるエンジニアの証だからな」
レンはまず、ドームの亀裂に手をかざした。
昨日の「大気集水機」の教訓を活かし、魔力の出力を三割に抑える。
「リペア……範囲限定、気密シール再構築」
淡い光が亀裂をなぞり、特殊な樹脂のような魔力膜が隙間を埋めていく。
これだけで魔力の消費は最小限に抑えられる。次に、彼は配管のクリーニングに着手した。
「ポッド、お前の排気圧をここのバルブに繋げ。俺が魔力で固着した汚れを浮かせるから、一気に吹き飛ばせ(フラッシング)!」
「プシュ、プシューー!!」
主従の連携。ポッドの蒸気圧が配管を駆け抜け、長年の堆積物が黒い霧となって排出口から噴き出した。
みるみるうちに、プラントの血管であるパイプが透明な輝きを取り戻していく。
「よし、本日のノルマ終了! 残りの魔力は四割。これなら倒れない」
その夜。レンは初めて、神殿のテラスで「キャンプ」を敢行した。
直したばかりの集水機から引いた水で、持参していた(あるいはポッドが見つけてきた)乾燥保存食を戻す。
「……味気ないな。まあ、明日になれば新鮮な野菜が食えるはずだ」
雲海の上に浮かぶ星空は、地上で見るよりも遥かに大きく、近い。
隣でポッドが、焚き火代わりの魔力ランプ(レンが即興で直したもの)の横で静かに待機している。
孤独なはずの絶界。だが、レンの心はかつてないほど充実していた。
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翌朝。
レンは万全のコンディションでプラントの核心部に向かった。
「さて、バイオセクションの再起動だ。失活した触媒を……『最適化』で強引に活性化させる。ついでに、この『加湿室』を改造して、発酵用の特殊環境を作ってやる」
レンが触媒の核に触れる。
失われていた「成長促進」の魔法術式が、レンの現代的知識――植物生理学のロジックで書き換えられていく。
「根の呼吸効率を最大化、窒素固定を魔法的にブースト。さらに……よし、この『菌類培養槽』も生きてるな。雲海から採取した有用な菌を、この加湿室で魔法的に固定化して……」
ゴウン、とプラントが低い唸りを上げた。
ドーム内に、細かな銀色の霧が立ち込める。
すると、どうだろうか。
数分前まで枯れ果てていた茶色の茎から、みるみるうちに青々とした新芽が吹き出し、目に見える速さで葉が広がっていくではないか。
「魔法と科学のハイブリッド……これだよ、これが見たかったんだ!」
昼過ぎには、ドーム内は「空中菜園」へと変貌していた。
真っ赤に熟したトマトのような果実、瑞々しいレタスに似た葉物、そして、レンが一番期待していた「魔法のパンの実」。
「どれ……。まずは、この加湿室で作った『魔法発酵』の成果を……」
レンは、プラントの一角に即席で作った「石窯」から、焼きたてのパンのようなものを取り出した。
雲海の高気圧と魔法霧で発酵させた生地は、驚くほどふっくらと膨らんでいる。
「……うまい」
一口食べた瞬間、レンの頬が緩んだ。
外はカリッと、中はモチモチ。付け合わせに、もぎたての果実で作ったフレッシュなサラダを添える。
プラントエンジニアとして、これほど「成果物」が美味しい仕事は初めてだった。
「プシュー?」
欲しそうにするポッドに、レンは少しだけパンの端っこを分け与えた。
ポッドはそれを内部の熱源でチリチリと焼き、なんだか満足げな排気音を鳴らしている。
その様子を眺めながら、レンは最後の一口を飲み込んだ。
「……ふぅ。腹が膨れると、ようやく冷静に現状が見えてくるな」
レンがふと視線を上げた先――ドームの白い外壁の一部が、パラパラと乾いた音を立てて崩れ、雲海へと吸い込まれていった。
水と食料を確保し、表面をいくらリフォームしても、島を支える土台そのものが「風化」に蝕まれている事実に変わりはない。魔力の循環が止まったこの島は、今この瞬間も、目に見えない速度で死に向かっているのだ。
「ポッド、明日はこの島の『心臓』を拝みに行くぞ。……最深部は魔力濃度が不安定だ。下手をすれば一気に魔力を吸い取られるかもしれない。だが、そこに手を入れなきゃ、このリゾート計画は未完成のまま墜落だ」
レンは愛用の工具を腰に差し直し、ポッドの重厚な装甲をポンと叩いた。
「明日は『地下機関室』の完全調査だ。……今夜はしっかり休んでおけよ。明日は重労働になるからな」
夕闇が迫る中、一人と一台は拠点へと戻っていく。
明日、その足元に眠る「未知の領域」へ踏み込むことが、島の、そして自分たちの運命を劇的に変えることになるとは――この時のレンは、まだ知る由もなかった。




