第2話:『喉がカラカラなら、空気を絞ればいいじゃない』
どれくらい眠っていたのか。
レンが目を覚ますと、視界の端で小さな影が「プシュー、プシュー」と規則正しい音を立てていた。
「……おはよう、ポッド。俺をここまで運んでくれたのか?」
「プシュ!」
ポッドがレンズを嬉しげに点滅させる。どうやらレンが「強制休眠」で倒れた後、忠実に命令を守って安全な神殿(儀式の間)まで運んでくれたらしい。
レンはゆっくりと体を起こし、自分の状態を確認した。魔力は三割ほど回復している。エンジニアとしての習慣で、まずは自分の「バッテリー残量」を把握しておかないと落ち着かない。
「さて……。起きて早々悪いが、緊急の問題が発生した」
レンはカサカサになった唇を舌で湿らせようとして、絶望した。
唾液すら出ない。猛烈な喉の渇き。そして、肌を刺すような熱気だ。
「なんだ、この暑さは……。サウナかよ」
神殿の入り口から外を覗くと、昨日の穏やかな夕景とは一変し、暴力的なまでの白光が世界を支配していた。
雲海に反射した太陽光が、遮るもののない高高度で増幅されている。まるで巨大な凹面鏡の焦点に置かれているような熱量だ。
「太陽が近すぎるのか、それとも大気が薄いのか……。待てよ、この光の波長、普通じゃないぞ」
レンがギフト『修復・最適化』を視覚にリンクさせると、空気中に舞う「魔力の粒子」が、暴力的な高エネルギーを帯びて肌を焼こうとしているのが見えた。
現代風に言えば、極めて有害な魔力性紫外線だ。
「放置すれば数時間で日干し、数日で皮膚がボロボロになるな。……だが、面白い。この過酷な環境こそ、エンジニアの血が騒ぐってものだ」
レンはポッドに指示を出し、神殿の影を伝いながら島を探索し始めた。
目指すは、この島の「インフラ」の心臓部だ。これだけの巨大な建造物を維持しているなら、必ず「水」を確保するシステムがあるはずだ。
一時間ほどの探索の末、島の北端に、奇妙な塔を発見した。
巨大な集熱皿のような形をした石造りの塔だ。だが、その表面は無惨にも崩れ、内部の歯車や魔力導管が露出している。
「これだ……『大気集水機』。雲海から水分を吸い上げ、魔力冷却で結露させるシステムか。古典的だが、この環境には最適の設計だ」
だが、現状は悲惨だった。
熱による金属の膨張と、魔力枯渇による冷却機能の停止。さらに、例の「風化」によって、接合部のパッキンが砂のように崩れている。
「よし、ポッド。作業開始だ。俺が回路を繋ぎ直す間、お前はあっちの重い外装を支えてろ」
「プシュッ!」
レンは塔の基部に手を触れた。
脳内に、かつての設計思想が流れ込んでくる。
この装置を作った太古の技術者は、魔力を「潤滑油」として使っていた。だが、魔力が途絶えたことで摩擦が増大し、システムが自壊したのだ。
「なら、俺がやるのは単純な修理じゃない。今の低魔力環境でも動くように『最適化』してやるよ」
レンの右手が輝き始める。
「素材特性変更、起動。真鍮製歯車の表面をセラミックコーティング……摩擦係数を0.02まで低減。冷却回路は……そうだな、ただ冷やすんじゃ効率が悪い。紫外線をエネルギーに変換する『偏光魔力膜』を外壁に張って、冷却の動力に転換する!」
それは、元の設計図を無視した暴挙に近い改造だった。
だが、レンの指先が触れるたび、ガラクタ同然だった塔が、まるで生命を吹き込まれたかのように脈動し始める。
風化してスカスカだった石材は、レンが流し込む魔力によって再結晶化し、大理石のような硬度と鏡のような光沢を取り戻していく。
「あ、やべ。集中しすぎた……また寝落ちする……」
魔力残量がレッドゾーンに突っ込む。
だが、レンは止まらなかった。喉の渇きという「デッドライン」が背中に迫っている。
「……最後の一押しだ。ポッド、お前の蒸気タンクを一時的に冷却媒体としてバイパスするぞ! 耐えろよ!」
「プ、プシューーッ!!」
ポッドが悲鳴のような排気音を上げるが、そのレンズには信頼の色があった。
レンが最後の回路を接続した瞬間――。
ガガ、ガコンッ!
巨大な集熱皿が、ゆっくりと首を振った。
太陽の暴虐な光を吸い込み、それを青白い冷却光へと変換していく。
塔の内部で、ゴーッという地鳴りのような吸引音が響き渡った。
「来たか……?」
レンが塔の底にある貯水槽を覗き込む。
最初は、一滴、二滴。
それがやがて、滝のような勢いで、透き通った水が溢れ出した。
「出た……。出たぞ、水だ!」
レンはたまらず、溢れ出す水に顔を突っ込んだ。
冷たい。驚くほど冷えていて、喉を通るたびに細胞が蘇るような感覚。
魔力を含んだその水は、ただのH2Oではない。疲労を拭い去るような、至高の清涼飲料水だった。
「ぷはぁっ! 生きてる、俺、今生きてるわ!」
ポッドも一緒になって、水飛沫を浴びてはしゃいでいる。
レンはふと、塔の外壁に張った『偏光魔力膜』を見上げた。
それは、あれほど凶悪だった太陽光を、美しい七色のオーロラのように分散させていた。
「これなら、日焼けも心配ないな。……よし、水が確保できたなら次は風呂だ。いや、その前に、この水を活用して……」
レンの思考は、既に次の「DIY」へと飛んでいた。
だが、その活動限界は無情にもやってくる。
「あー、……やっぱり、ダメだ。ポッド……二回目、頼む……」
「プシュ……」
呆れたような、それでいてどこか誇らしげな排気音を立てて、ポッドは再び、台座の上で泥のように眠る主人を回収するのだった。
――この時、レンはまだ気づいていなかった。
彼が「最適化」して放った七色の光が、遥か遠方の雲海の下で、ある「目」を惹きつけていたことに。
数十年、あるいは数百年。
誰もいないはずの絶界の島から放たれた「文明の灯火」。
それが、運命の歯車を回し始めていた。




