第10話:【後編】『絶界の休日、あるいはエンジニアの休日』
「よし! 本日は全ライン停止! メンテナンスも改修も一切禁止だ! 全員、有給休暇を強制執行するぞ!」
雲海から昇る朝日が神殿を黄金色に染める中、レンは拠点の中央で高らかに宣言した。
地下機関室のオーバーホール、居住区の気密改修、そして古代備蓄庫の開放による食文化革命。ここ数日で島のQOL(生活の質)は劇的に向上した。エンジニアにとって、動くべき時に動き、休むべき時に休むのは、機械の冷却期間を設けるのと同じくらい重要な工程だ。
「きゅ、休暇……? レン、何を言っているのですか。巫女に休みなどという概念はありません。聖域の清掃や、魔力の観測、やるべきことは山積みのはずです!」
シアが寝癖のついた銀髪を気にしながら、当惑したように杖を握りしめる。だが、レンはそんな彼女の肩をポンと叩き、自身が昨夜のうちに『最適化』して作り上げた、木製のリクライニングチェアへと彼女を誘導した。
「固いこと言うな! 働きすぎは判断力を鈍らせるバグの元だぞ。ほら、ここに座ってみろ。背もたれの角度を魔力で無段階調整できるようにしておいた。お前の体重に合わせて、腰のS字カーブを完璧にサポートしてやるからな!」
半ば強引に椅子に沈められたシアは、その吸い付くようなフィット感に、思わず「……あふぅ」と締まりのない声を漏らした。
「……っ! い、今のは忘れてください! ですが、これは……確かに、立ち上がるのを拒絶したくなるほどの魔力が込められていますね」
「だろ? さあ、そこで読書でも昼寝でもしてろ。俺はあっちのテラスで、前々からやりたかった『フィールドテスト』をしてくる!」
レンが取り出したのは、真鍮のパーツを組み合わせて作った、見たこともない奇妙な棒だった。
それは、ギフト『修復・最適化』を応用し、魔力の糸を数キロ先まで伸ばせるように設計した**『魔力式伸縮釣り竿』**だ。
「よしポッド、ビットたち! 餌(魔力結晶の欠片)の準備はいいか! 今日は雲海の下に潜む『空飛ぶ魚』を一本釣りしてやるぞ!」
レンは島の外縁、断崖絶壁のテラスに腰を下ろすと、遥か下方に広がる白い雲の海に向かって、輝く魔力の糸をキャストした。
――ヒュンッ!
空気を切り裂く音と共に、青白いラインが雲の中へと吸い込まれていく。
隣ではポッドがパラソルを広げてレンに日陰を作り、三機のビットたちがクーラーボックス(保冷機能を付けた古代の箱)を囲んで待機している。まさに、絶界の釣り堀だ。
「おっ、きたぞ! この強烈な引き……感度最高だ! ポッド、ランディングの準備しろ! 逃がすなよ!」
レンが力一杯竿を煽ると、雲海が爆発したように弾け、中から銀色に輝く巨大な『スカイ・フィッシュ』が飛び出してきた。空飛ぶ魚は必死に翼のような鰭を羽ばたかせて逃げようとするが、レンの魔力竿がその動きを完璧に制御していく。
「ははは! 釣ったぞ! 今夜はこいつのムニエルだな!」
釣り上げた魚の跳ねる音に、リクライニングチェアで読書をしていたはずのシアが、びくりと肩を揺らしてこちらを見た。彼女はいつの間にか、本を顔に乗せたままうたた寝していたらしい。
ポッドが彼女を起こさないよう、静かに「プシュー」と排気音を抑え、ビットたちが彼女に当たる日差しの角度に合わせて、献身的に空中で位置を変えて影を作っている。
「……あ、……れ? 私、いつの間に……」
シアが目を覚まし、眠たげに目をこする。
目の前には、泥だらけの作業着を脱ぎ捨て、Tシャツ姿で魚と格闘するレンの背中。
そして、自分を甲斐甲斐しく世話する古代のゴーレムたち。
かつては墜落を待つだけだった絶望の島。
それが今では、かつての全盛期ですらあり得なかった、奇妙で、騒がしくて、それでいて涙が出るほど穏やかなリゾート地に変貌していた。
「……レン。……ありがとう。本当に、いい休日です」
シアの小さな呟きは、レンの勝ち誇った笑い声にかき消されたが、ポッドの録音ユニットには、しっかりと優しく刻まれていた。
黄昏時。オレンジ色に染まる雲海を見つめながら、レンは冷えたジュースを煽り、不敵に笑った。
「よし、充電完了だ! 明日からは、いよいよこの島を飛び出すための『足』を作るぞ。楽しみにしてろよ、シア!」
エンジニアの休日は、次なる爆走のための加速期間。
二人の視線の先、遥か雲海の向こうには、まだ見ぬ未知の島々が、夜の帳を待っていた。




