魔女と執政官
「さて、何から教えたもんかね」
翌朝早くから、リリーナとファルは魔塔の上階──魔法薬や儀式具が乱雑に積まれた書斎で向かい合っていた。
「聞きたいことはいくつかある……なんで俺は生き延びているんだ?」
まるで生きていること自体が罪であるかのように、ファルは沈痛な面持ちで問う。
「あたしが助けた。それ以外の答えは無いね。しいて言うなら……面白そうだったからさ」
リリーナは薬草を火皿に詰め、指を鳴らす。ぱちん、と音がして煙草に火がつく。
「面白そう……まあ、いいや。助けてくれてありがとう」
ファルはそれだけ言うと立ち上がり、部屋を出ようとする。
「待ちな。これからどうするつもりだい?」
「“竜”を殺す。それ以外には何もない」
短く、しかし強く。だがその声には、怒りも悲しみも、何の温度もなかった。
「どうやって? その弱っちい魔術でか? その拙い武技でか?」
リリーナは煙を吐き、冷ややかに笑う。
「――あたしに土を付けることさえ出来ない小僧が、どうやって“竜”なんて怪物を殺そうと言うんだ?」
ファルの奥歯がギリリと鳴る。
「俺のすべてを賭けて、だ」
「そんなチンケな賭け金で最強の生物が殺れるもんかよ」
リリーナは心底楽しそうにカラカラと笑った。
「冷静になりな坊主。あんたは弱い。弱くて、軽くて、薄い」
ファルの肩がピクリと揺れる。 怒りか、悔しさか、それとも別の感情か。
「弱くて、薄くて、軽いのなんて……十分承知している。だが、やらなきゃいけないんだ……」
「やるな、とは言ってねぇよ」
リリーナの声に、急に真剣味が宿る。
「今行っても犬死するだけだ。って言ってる。坊主、あんたは犬か?」
ファルはそこで初めて振り返った。
「犬じゃないなら、自殺志願者だ。 自殺の理由に使われたんじゃ、死んだ奴らはバカみたいじゃないか」
「じゃあどうすればいい!弱くて、薄くて、軽い俺が!アイツらの仇を討つには!!」
ファルは怒りに顔を歪めて怒鳴った。
その怒りが誰に向けられたものなのか──自分か、竜か、世界か、それすら曖昧だった。
「強く、厚く、重くなりゃいい。簡単な事さ」
リリーナは肩をすくめ、まるで天気の話でもするように言う。
「”竜”殺しを成せ。そこであんたは初めて生き延びるんだよ」
リリーナはぱちんと指を鳴らし、火皿の火を消す
「さ、本格的な修行開始と行こうか。今までのお遊びの魔術じゃなく、お遊びの武術じゃなく。”竜”を殺す為の力をおまえに与えよう」
リリーナの声は軽い。だが、その奥に潜むものは重い。 ファルの背筋に、冷たいものがひとつ落ちた。
――――――――――――――――――――――――――――――
さて、ここでひとつ別の話をしよう。
ファル・ゼナンが“西の魔女”のもとで竜殺しの修行を始めたのと、ほぼ同じ頃。
バンダイン王国の中心、王都ロレッスでも、ひとつの影が動き始めていた。
王都の南区には「自由市」と呼ばれる市場がある。 行商人や村人が、店を持たずとも商売できる区画だ。 税は取られるが、それでもここは多くの者にとって“生きるための場所”だった。
「南のレードリック産の香辛料だよ! 今朝の船で届いたばかりだ!」
「マスダロンのドワーフ鍛冶が打った剣、三本限定! 金貨二枚、早い者勝ちだ!」
威勢のいい声が飛び交い、活気が市場を満たす。 その賑わいこそが、ロレッス──ひいてはバンダイン王国の統治が安定している証だった。
自由市の喧騒が、一瞬だけ揺らいだ。
黒塗りに金の装飾を施した豪奢な馬車が、ゆっくりと市場の脇に停まったのだ。 王国執政官の紋章を掲げた馬車──だが、その中から現れた男は、官僚というより“何か別のもの”を思わせた。
男は街の外へ向かい、護衛も連れずに平野へと歩み出る。 風が止まり、空気が張り詰めた。
《随分と、偉くなったものだな……小僧》
どこからともなく声が響く。 重く、低く、嵐のような声。 辺境都市ミルゼを蹂躙した“黒竜”の声だ。
男──バーンは、眉ひとつ動かさず答えた。
「偉くなったかどうかは知らんが……呼び出すなら、もう少し静かな場所を選べ」
《カカカ……相変わらずだな、バーン。 人の身でありながら、我に物を言うとは》
「お前が勝手に話しかけてくるだけだろう」
その瞬間、平野に巨大な影が落ちた。
影よりも黒く、闇よりも深い黒。 黒曜石のような鱗、深紅の瞳。 黒竜が、音もなく降り立つ。
バーンは剣に手をかけない。 ただ、竜を見上げるだけ。 その姿は恐れでも挑発でもなく──“慣れている”者のそれだった。
《怒るな、バーン。我は最近、面白いものを見たのだ》
「……面白いもの?」
《ああ。かつての貴様を思わせる魂よ。見ろ―――この傷を》
ヘイシンは、童が勲章を見せるように、つぶれた右目をぐいとさらした。
黒曜石の鱗の間から覗くその傷は、竜の再生すら追いつかないほど深い。
《我を、この黒竜ヘイシンを傷つけたのだ。人の身で、弱き者が、だ》
バーンの目がわずかに細まる。
驚きでも恐怖でもない。
ただ何かを図るような沈黙。
《名は……ファル・ゼナン》
ヘイシンの声が愉悦に震える。
《さて、あの小僧はどうなるか。 貴様のように“生き延びる”か── それとも、貴様のように“死に損なう”か》
風が止まり、平野が静まり返る。
バーンは何も言わない。
否定も肯定もせず、ただ竜を見返す。
その沈黙が、そのまなざしが、かえって”何かを知るもの”の気配を漂わせる。
黒竜は愉悦に満ちた声で続けた。
《楽しみよな、バーン。 貴様の影を追う者が現れるとは──実に、実に愉快だ》
黒竜は翼を広げ、空へと舞い上がる。 残されたバーンは、ただ静かに空を見上げていた。
その表情は読めない。 怒りか、哀しみか、あるいは──諦念か。
ただひとつだけ確かなのは、
この男は“ただの執政官”ではない──ということだけだった。
「そのもの、今はどこに?」
バーンは鋭い眼差しのまま問う。
黒竜は喉の奥で笑いを転がした。
《カカカ……気になるか?
我を殺しに来いと伝え、右の眼に“祝福”をくれてやった。
あの魔女の気配もあったゆえな。生き延びていよう》
愉悦に満ちた声。
ヘイシンは、まるで勲章を見せびらかす子供のように、潰れた右目を誇示した。
「魔女……リリーナか。なるほどな」
バーンはくるりと踵を返し、黒竜に背を向ける。
《行くのか、バーンよ。
では小僧に伝えておけ──
“霊峰にて貴様の事を待っている”とな》
竜の顔でありながら、愉悦に満ちた笑み。
その伝言が小僧を怒らせると分かっていて、あえて告げさせる悪趣味。
「悪趣味な……まあ、いい。伝えておこう」
《では、よろしく頼むぞ……“竜殺し”殿》
バサリ、と翼が広がり、黒竜は空の彼方へ消えた。
「……“竜殺し”、か」
バーンは誰に聞かせるでもなく呟き、
そのまま静かに街へ戻っていった。
完全にストックが切れました…
ちょっと更新が止まると思います。




