決戦前夜と揺るがぬ信頼
"暴君"は今日も糧を求めて森を彷徨っている。ない、ない、何も無い。木の皮を齧り、小さな実をついばむが、満たされない。肉が欲しい。ハラワタを貪りたい。だがこの森に肉の気配はない。猪でもいればと探し回ったが、気配は見つからない。あぁ、腹が減った。あぁ、腹が減った。
そんな時、目に飛び込んできたのは猪の骸。まだ新しい。己で狩ったわけではないが、置いておくのは惜しい。取りに来たらそいつも喰らってやればいい──そう思い、貪り喰らう。
美味い。何日ぶりだろう、こういう肉は。もっと血が滴るものが食べたいが、贅沢は言わぬ。がつがつと喰らい、辺りに肉を散らす。
半分ほど食べた頃、腹に違和感が走る。しかし喰う手は止められない。後方の草むらで光った遠眼鏡のレンズに、奴は気付かなかった。
「よし、“嫌がらせ”に食い付いた。ファルに報告だ」
夜番と決戦地の選定
昼のうちにファルたちは本命の毒餌は翌朝設置する方針を確認していた。だが決行を翌日に短縮するため、日のうちに小さな試験餌(弱毒の下剤)を置いて誘引しておく手順も併せて取ってある。誘引は先に嗅ぎ付けさせて反応を確かめるためで、本命は朝に設置する。ニーナとミケルは一時間ごとにその試験餌の監視をしていた。
角猪とやり合ったのが昼前。日が傾き、月が顔を出し始める頃、急ぎ野営に戻ったミケルは毒々しい鍋を掻き回すニーナの姿を見つける。
「うー、目が染みる…染みるのに臭くないのが不安だよこれ」
二枚重ねの口布を当て、鍋をかき混ぜる姿は童話の魔女のようだ。ミケルはファルに向き直る。
「“嫌がらせ”に食い付いた。奴、何日かぶりの食事みたいで全然警戒してなかった……しかし、でかいな」
テントで縄を編むファルの横に座り、報告を続ける。
「よし、後は本命を明朝に設置する。けれど昼に置いた試験餌に食い付いたというのは良い兆候だ。目撃地点がここ、試験餌が食われた場所がここ。決戦地はこの平野だ」
地図に駒を置きながらファルは指を差す。見通しの良い平野、近くに川が流れている。最悪の場合は川へ飛び込み退避できる地形選びだ。
「やるなぁ…」ミケルが小さく感心する。
「目が…目がぁ…」ニーナが目を擦りながら呟く。
夜は更けていった。
むぅ…と唸りが森に響く。"暴君"は腹痛で眠れない様子だ。いきなり食べ過ぎたのか、腹が痛む。グォウと力なく唸り、用を足す。もう何も出ないほど出続けている。あの肉は傷んでいたのか。放置されていたのもそのせいかもしれない。悔やんでも悔やみきれないが、腹は相変わらず減る。グゥとまた唸る。まぁ、いい。この森ならすぐには危険はないだろう。明日も餌を探す──そう呟いて歩き去る。
徒党への誘い
焚き火がパチリと音を立てる。ミケルが小枝を放り込み、火を見つめる。
「なあ、ファル」
ミケルは目を伏せたまま問いかける。「試練が終わったらどうする? また“雑草摘み”に戻るのか?」
ファルは少し驚いて笑う。「まあ、“薬草摘み”も悪くなかったし、“賤鉄”に上がれば別の群生地にも行ける。もっと色々な場所の草を見てみたい」
ミケルはその答えに満足していないようだが、実力は認めている。銅から賤鉄へ上がりたての駆け出しを徒党に受け入れるというのは簡単ではない。賤鉄になっても薬草の仕事をこなしながら、害獣の撃破を重ねて武技を磨き、いつか王都へ出る──とファルは夢想する。
「そっか…」ミケルは別の小枝をくべ、火をじっと見つめた。
「いや、そっかじゃなくて誘えよ! 口下手!」ニーナがカップを両手に現れる。コーヒーの香りがふわりと立つ。
「差し入れ持ってきたら、口下手男子が二人でアンニュイな空気出してて何かと思ったよ」
ミケルは自分のカップを見て唖然とし、三人は笑い合う。ニーナが真面目な顔を崩さず言う。
「私たちの徒党に入らない?策を練る人が必要だってドランさんとも話してた。ファルなら的確に指示もできるし、頭役を頼みたいなって」
「直情一直線タイプの俺らじゃ、角猪は狩れても、それ以上は難しいんだ」ミケルが肩を竦める。茶化す二人に場が和む。
ファルは考え込むが、深く息を吐いて言う。
「誘ってくれてありがとう。今は嬉しい。でも、まだ自分が役に立てるところを見せ切れてない気がする。この試練が終わって、二人の気持ちが変わってなかったら、その時誘ってくれ」
「へへっ、何も変わらないと思うけどね」「あぁ、俺たちにお前は必要だよ」──三人の夜は、そんな軽口と確かな結びつきに包まれて更けていく。
異様な静寂
夜が深まると音はさらに消える。ニーナが「鍋で疲れたから先に寝る」と自分の寝床に潜り、ミケルが先に夜番に就く。ファルは当初自分が夜番を申し出たが、ミケルの提案でミケル→ニーナ→ファルという巡回で眠気を抑えつつ罠設置に備えることにした。
ファルは寝床で地図を最終確認する。
「よし、下準備はこれでいい。ボーラも作った、スリングも改良した。剣菱の実も補充できた。あとは当日対応だ」
何かしていないと押し潰されそうな焦燥を抱えながらも、ひとりではない安心感が胸を温める。
「徒党か……」
ニーナが眠り、ファルも続いて目を閉じる。ミケルは火を絶やさぬよう薪をくべ続け、警戒を緩めない。焚き木の爆ぜる音、遠くのフクロウの鳴き声──それらが次の瞬間、すべて消えた。
鳥の声も、風の音も、焚き木のはぜる音も。静寂が深まった後、空気を震わす咆哮が森を割った。遠吠えのような、絶叫のような声。腹の底が震える。
眠り込んでいた二人も飛び起きる。ミケルは手を上げて二人を制し、冷静に言った。「遠い。大丈夫だ」
夜中の咆哮以降、四つ腕熊の気配は逆に薄くなった。ニーナの夜番の間も、ファルの夜番の間も、目立った動きはない。予定どおりに翌朝、三人は具無しのスープで腹を温め、決戦地へ向かった。昨夜確認した平野へ──本命の毒餌を設置し、昼までに反応を見てから段取りを進めるために。




