狩猟開始Ⅳ:罠と決意
“四つ腕熊”との遭遇から脱し、野営地に戻ったファルは、到着した途端、膝が抜けるようにその場にへたり込んだ。
安堵と疲労が、一気に押し寄せてきた。
「おい、大丈夫か?顔、真っ青だぞ」
石の選別をしていたミケルが、心配そうに駆け寄ってくる。
その後ろには、水の入ったコップを持ったニーナ。
「何があったの?」
心配そうにコップを差し出す。少しぬるめの水が、冷水よりも飲みやすく、助かる。
「……“四つ腕”に遭遇した。とんでもないデカさだったよ」
ファルはコップを一気に煽る。
喉を通るぬるめの水が、ようやく体を落ち着かせてくれた。
「普通の“四つ腕”って、ミケルよりちょっと大きいくらいだよな?」
ミケルはコクリと頷き、続きを促す。
「大きさだけなら、俺の倍はあった。浅めの森にいるにしては、デカすぎる……」
ニーナがゴクリと生唾を飲む。
静まり返った空気の中、その音だけがやけに大きく響いた。
「どうする?……頭役はお前だ。俺たちは、お前の判断に従う」
「うん、ファルに任せる。撤退も仕方ないって気もするし……」
普通に考えたら、撤退だ。
昇級試練だって、半年後にまた受けられる。
だが、ファルは何かが引っかかっていた。
(……でも、俺が見た“あれ”は、皮膚の色が違った。赤黒いというより、もっと濃い……)
(それに、鼻をひくつかせていたのに、こちらに気づかなかった。普通なら嗅覚で見つかるはずだ……)
あの“四つ腕”に対する、説明のつかない違和感。
「……ミケル、ニーナ。“四つ腕熊”の特徴ってなんだ?資料じゃなくて、実際に対峙したことのある二人に聞きたい」
神妙な顔で尋ねるファルに、ミケルが答える。
「まず、目に付くのは四つの腕。二本足で立って、四本の腕で構える……隙がまったくない」
「そうそう、懐に入る気も起きなくなるんだよね」
ミケルの声には、わずかな緊張が混じっていた。
ニーナは努めて明るく振る舞うが、槍を砕かれた記憶が蘇り、笑みが少し引きつっていた。
「爪にばかり意識が行くけど、噛みつきも相当ヤバい感じしたよね? 私の槍、砕かれたし」
「ああ、頭蓋骨も相当硬いよな……皮も分厚くて、毒がほとんど効かない」
ファルは唇を噛み、二人を見渡す。
頭役として、ここで下す判断が、徒党の命運を決める。
「……でも、俺が見た“あれ”は、少し違った。普通の四つ腕じゃない気がする」
「ああ、そういえば──」とミケルが思い出すように言う。
「潜伏中にニーナが干し肉を落として、気づかれたって事件があったな」
「あれは怖かった……10メルト(約10m)くらい離れてたのに、即座に反応してきたもんねぇ」
その言葉で、ファルの違和感が最大に達する。
「“四つ腕熊”の嗅覚は鋭いってことだよな……
でも、俺がさっき遭ったやつは、長槍二本分──2メルトくらいで、こっちに気づかなかったぞ……?
嗅覚が鈍っている……?」
違和感と情報の齟齬を埋めるように、バラバラのパズルを揃えるように、ファルは考える。
「嗅覚が鈍る時って、どんな時だ……?」
バラバラだったピースが、カチリと音を立てて繋がる感覚。
病気か、老衰か、あるいは──飢え。
飢餓で感覚が鈍り、焦燥で動きが荒くなる。
「飢餓状態……しかも、相当の飢餓だ。今思い出しても、あの“四つ腕熊”、異常に腕が細かった」
ファルは深呼吸しながら、状況を思い出す。
「それに、素材が取れすぎてるんだ。“快気茸”、“ヒルルク草”、“月夜草”、“大羽麦”……
どれも小型の動物や獣型が好んで食べるものだ。
二人とも、ここに来てから小型動物って見たか?」
「んー、見たのってせいぜい“ホロホロ鳥”くらいだよね」
「普通なら、これほど揃うはずがない。
森が豊かすぎるのは、逆に異常なんだ。
小型獣が食べ尽くす前に、全部残ってる……つまり、奴が撒き散らす殺気で、森の生き物が逃げてるってことだ」
ファルは野営地の“素材収集箱”に目をやり、考えをまとめるように話す。
「そういえば……俺も見てないな。足跡すらなかった」
ミケルが眉をひそめる。
「森が死んでるみたいだね……」
ニーナが小声で呟いた。
「もし“四つ腕”が飢餓状態なら、毒餌の効果は期待できる。
今まで効かなかった策が、通じるかもしれない」
ファルの声に、二人は思わず息を呑んだ。
「そうと決まれば、俺は“ボーラ”と毒餌の作成に取りかかる。
“角猪”の討伐もさっさとやらないと……“四つ腕”の飢餓が解消されても困るしな」
ファルががばりと顔を上げると、二人も覚悟を決めたように口を開く。
「“角猪”の討伐は、私たちでなんとかするよ」
「こう見えて、“賤鉄”だからな、俺たちは」




