第六の方程式
宇宙船。事故が起こり地球までギリギリ5人分の食材があり、瀕死になりながらも何とか全員生き延びて帰還できる。
コンピュータの厳密な計算結果が出た時、クルー全員が胸をなでおろし、笑顔になった。
喜びをもっと解放させ祝杯でもあげたいところだが、それは自粛した。
体力を無駄に使ってはいけない。
みな言葉を発するのも惜しんで、目でほほ笑みあった。
(ガタッ)
音がした。
「あっ、痛い。」
クルーではない、6人目の乗船者が現れた。
――
(あぁ、なんてことを)
クルー全員の顔が曇った。
12歳くらいだろうか。密航した理由は知らないが、おそらく好奇心からだろう。
「再計算…」
「無理だ、何度も行ってやっと導き出したカロリー量だ。」
小声で口々に、対策会議が始まる。
少女はとうとう密航がばれてしまったことを、恥ずかしがっていた。
宇宙船に一番乗りし、部屋を鍵をかけて占拠。宇宙に出てしまえばこっちのもの。船室は多く、部屋一つが開かなくとも誰も気にしなかった。
そうして数ヶ月が過ぎ、退屈することも無く彼女は宇宙旅行を楽しんだ。無限の奥行きのある宇宙は彼女の心を解放した。
1週間ほど前、大きな衝撃があり何か良からぬ事故が起きたことはわかった。フードジェネレータが機能しなくなり、腹を空かせて出てくることになった。
きょろきょろして落ち着かず、言い訳を必死で考える。
「あ…」とか「え…」とか何か言おうとして、言いよどむ。
怒られたら、それに対して何か言おう。まぁ、ごまかすか、謝るか、泣いて見せるか。
見つかることも想定して準備していたが、様子が予想と違った。彼らは彼女を無視してひそひそ話を続けている。
両手を広げて片足だけのステップを一回踏む。いいですか、これはバランスを取るのが難しい。片足を上げて・・・途端にふらついてふらついて、尻もちをついた。それを得意の笑顔で取り繕った。
視線は感じるけど、反応はうすい。怒られるでもなし。
もしかして、お咎め無しで済む?
少女を横目で見ていたクルー達は、ますます落ち着かなくなった。
宇宙旅行が安全になった頃は、好奇心からの密航者の話はよくあった。
53歳、最年長のクルーのスティーブンソンはそんなエピソードを話して少しでも場を和らげたかったが、その後の話が辛くなることに気が付いて黙った。
少女はそうしている間もひとりひとりを見て、アイコンタクトを試みている。
同じくらいの年齢の娘が地球で待っているアダムズは、視線の順番が来た時、思わず顔を手で覆った。
少女に優しく話しかけようと、レイチェルが前のめりになった。(ねぇ、どこから来たの?)レイチェルも冒険心の強い少女だったから、彼女の気持ちがよくわかる。
妻のレイチェルが何を言おうとするのか察したエドウィンは、腕を強く引いて首を振った。レイチェルの瞳は踊っていた。彼女を身動き取れないくらい、しっかりと抱きしめた。
「一応一晩だけ再計算を試みますか。12から14歳は最も消費カロリーが高いのですが。」
コンピュータ技師のミネルヴァは、つとめて冷静に提案を出してはいた。
何度も計算して最適化したカロリー配分に、一人分の計算猶予が出来るとは誰も思えなかった。彼女の分を捻出するために、一人20%減らす計算になる。現状の余剰は5%でこれでも心臓麻痺でショック死するリスクがあった。
『一晩だけ再計算』も『二晩議論する余裕は無いぞ』という彼女独特の言い回しに過ぎないことも皆分かっていた。
彼女は操作盤を指先でたたいて、判断を急かしていた。
――
スティーブンソンは、実質の船長として最終決定を下すのは自分になるだろうなと覚悟した。その時少女と目があった。いつものように笑顔で答えた。少女はようやく得られた反応に、嬉しそうに彼に歩みよろうとしたが、彼は拡げた手を突き出して静止させ、目を背けた。
アダムズはもっと複雑だった、地球で待つ娘と変わらぬ無垢な少女を我々は…。そんなことはできるわけがない。アダムズは小さくうめき声をあげながら、頭を振った。
「あ…の…あたし、ごめんなさい。」
少女が勇気を振り絞って一言発した。
彼女の声は、耳を塞ぎ忘れていたアダムズに届いた。
レイチェルは少女の声に、すぐさま振り向いた。悪意など全くない行為だったのは見て分かる。自分も子供のころそのくらいのことはした。なんなら父の宇宙船を勝手に乗り回したこともある。この子がそんなに悪いことをしたのか?
エドウィンも、少女の声に反応した。レイチェルとは15年前に結婚した。しかし子供は出来なかった。もし娘が産まれていたら…。
「名前は?」
ミネルヴァだけは、一人気さくに少女に話しかけた。
「エルザ…です。」
クルーたちの緊迫感が移って、少し怯えている。
――
しばらく沈黙が続いた後、スティーブンソンは笑顔もなく、事実を突き付けた。
「エルザ、君は密航者だ。わかるかい?」
エルザは突然神妙な顔になった、スティーブンソンに戸惑っていた。自分が思っていたより、悪いことをしたらしい。こっくりと大きくうなずいた。その眼には覚悟がみえた。地球に帰るまで、毎日怒られながらでも船内の掃除でもなんでもしようと。
「…この船は事故にあってね。地球には帰れない、みんな死ぬんだ。」
「えぇ!うそっ!」
エルザの率直な驚きは、皆にもよく伝わった。昨日までの自分たちが、そうだったから。
スティーブンソンは、更に続けた。
「でも、5人までなら何とか…」
「事故が起きたのは僕の責任です!」アダムズが遮った。
「今はそんなことは関係ないだろ。それに君のせいじゃない。小惑星帯はコンピュータも知らなかったんだ!」
スティーブンソンが注意した。そんなことで責任を感じてたら、みんな後ろめたいことの一つや二つはある。
「つまり、5人までなら助かるけど、私がいるからみんな死ぬかもしれないっていうこと?」
エルザは状況を飲み込んでそう言った。
みんな静かにうなずいた。
エルザの顔が、次第に現実にのまれていく。
クルー達は、エルザが年齢の割りに知性が高いことにも動揺していた。
レイチェルは気が付くと、エルザを抱きしめていた。
「何処から来たの?」
「施設から…」
再び船内が沈黙した。
「その子は悪くない!」
アダムズが叫んだ。
「みんな何かあるたびにパーティを開いてたじゃないか!予備の食材まで手を出して。これは俺たちみんなの責任なんだよ!」
「なら、一番悪いのはスティーブンソンでは?一番の大喰らいだからね。」
ミネルヴァは情に流されるクルーたちにあきれて黙っていたが、責任論の話として口を挟んだ。
突然やり玉に挙げられたスティーブンソンは、慌てた。パーティを主催してたのは自分だが、それはみんなでこの長い航海を楽しもうと企画したことじゃないか。宇宙船の事故なんて、ここ100年間起きてない。予備食材の規定も形骸化している。もともとパーティ用として積んだのに。
エドウィンはレイチェルとエルザの二人に歩み寄って抱きしめた。
「レイチェル、君ならどうする?君はこの少女の代わりになろうとしてるだろ?なら僕は君の代わりになりたいと思う。」
「エド、よして…」
エドウィンはレイチェルに静かにキスをした。
「僕たちに子供が出来ていたと、考えて。」
そう言って今度はエルザを見て、彼女の細い髪を撫でた。
レイチェルは今になって、自分の軽率な行動を後悔した。そしてエルザを静かに突き放した。
アダムズは、エルザの瞳が震えているのが見て見えた。
エルザが犠牲になるのは避けられなくても、なにもこんな仕打ちを受けなくても良かったのに。
「エルザ、おいで君は大丈夫だから。」
アダムズは彼女を抱きしめ、落ち着かせた。
「僕が替わりに乗るよ。」
誰もそれには答えなかった。
アダムズは、脱出ポッドに乗り込む準備を淡々と始めた。
これは宇宙に放出されるがそれっきりで、今回は助けはこない。
エルザは自分のやらかしたことの重大さを次第に理解して塞ぎこんでいた。
そんなエルザにミネルヴァが話しかける。
「こんなこと、二度としたらだめだよ。」
こんな時にどんな神経しているんだ。
だれも少女を死なせたくなくて、苦悩しているのに。
アダムズのために、せめてもの送別会を開くことになった。小さなグラス一杯のワインをジェネレータで生成した。
エルザはショックで部屋から出てこなかった。扉には鍵がかかっていた。
しかし12歳といえども自分の責任として、見届ける義務がある。
アダムズも扉の前に来て話しかけた。
「君のせいじゃないから。」
スティーブンソンは明らかに怒っていた。
「エルザ、アダムズを見送る義務が君にはある。」
反応がない。
クルーたちは少し苛立って、扉を破壊することにした。
扉を開けたが、誰もいなかった。
それと同じころ、脱出ポッドが一つ静かに射出された。
―完―