06. 婚約者と二人きりの茶会
テーブルの上には何もなかった。
毎月の茶会で、こんな事態は初めてだった。
それは……フィオンとリリアスが一緒だったからなのだろう。
「苦労するな……」
「いつものことです」
何でもない口調ではあるが、来客があってコレなら、日常生活に苦労しているのは想像に難くない。
ディアドラを血の繋がらない兄と妹が毛嫌いしているだけでなく、義母も同様に嫌い蔑ろにしているのだろう。視察旅行から帰って、少し調べただけで不遇エピソードが大量に集まったほどに。
「出かけよう」
席を立ちながら声をかける。
マクウィラン侯爵家に滞在する限り状況が変わらなさそうだったし、何より不愉快だった。
「どちらに?」
「街に美味いスイーツの店があれば良いのだが……。予約もなしに行くのは難しそうだから、今日は王宮で我慢して欲しい」
「構いません」
ディアドラの人形めいた顔に表情はない。
こんな環境で育っていれば、誰だってこうなるだろうと思う。表情豊かなリリアスとはまるで与えられた環境が違った。
親から与えられる愛情も使用人からの忠誠もない生活は、厳しいものだと簡単に察せられる。
茶を目の前に提案してみた。
普段、俺が好んで飲んでいる茶葉ではなく、柔らかな花の香りのする茶葉を選んだのは、侍女がディアドラを気遣ったからだろう。王族に直接仕える彼ら彼女らはみな優秀だ。
「このまま王宮に住まないか?」
相手の屋敷に行儀見習いを名目に、婚約者の屋敷に住まうことは珍しくない。
同居と言っても家人が目を光らせて婚前交渉などはない。ただ冷たい仕打ちに耐え続けるのを放置できないだけだ。
王宮では茶も茶菓子も最高級の物を用意できる。無論、マクウィラン侯爵家でも王族をもてなすに相応しい高級茶葉と菓子を用意することも可能だ。
なのに用意されなかった。
できないのではなく、しない。
これほど接待役の面子を潰すことはない。
俺が見ていなかっただけで、どれほど肩身の狭い思いをしていたのか、想像に難くないからこその提案。
しかしディアドラは静かに頭を下げるだけだった。
「できませんわ。私はどこまでいってもマクウィラン侯爵家の者ですから……」
「だが――」
今まで見て見ぬふりをしていたどころか、一緒になって蔑ろにしていた分際で、とは思う。
自分の手を汚したくないだけだという誹りもあるだろう。
今更かもしれないが、このまま関係を改善し普通の婚約者同士に戻れたら、と本心から思っている。守りたいとも。
「見た目以上に何かされたりはありませんの。ですから不自由はありませんわ」
少し困ったように微笑んで、大丈夫だと言う。
強がりではなく、多分それは本心だ。
身だしなみは悪くない。少々地味ではあるものの侯爵令嬢にふさわしい装いができているし、異母兄よりも高度な教育も受けられている。
俺が手を差し伸べるまでもなく、自分の居場所を確保できているからこそ、微笑んでいられる。
わかってはいるのだ。
提案は自分のエゴでしかないのは。
彼女のためではなく自分のため。少しでも罪悪感を軽くしたいだけだと。
「だから本当に大丈夫なのです」
駄目押しの言葉は、雰囲気こそ柔らかいが明らかな拒絶。
「では困ってからで構わない。必ず頼ってほしい」
そう言うだけで精一杯だった。
翌月の茶会は、城下で有名な菓子店の個室を予約した。
その翌々月も。
隔月でマクウィラン侯爵家に訪問していたのを、店に変更したのだ。
ディアドラから否は出ていない。
「最近、我が家に来ないな」
フィオンが何故だというように声をかけてきた。
生徒会の仕事の合間の軽い雑談を装って。
「不快な気分を味わうために行く酔狂だと……?」
「アレが……! 申し訳ない、よく言って聞かせる」
「そうじゃないよ。強いて言えば君の父上の責任かな」
誰が茶会の支度を行わないように指示したのかはわからない。
療養名目で領地に滞在する夫人なのか、異母兄か異母妹なのか。
事実はどうであれ、侯爵家の恥をさらす結果に責任を取らなければならないのは、屋敷を取り仕切る当主夫人か当主本人だ。
「どうしてだ、アレの不始末を母上が取らなくてはいけない!? 悪いのはアレだろう?」
「何故? 侯爵家の嫡男である君が問うのか? 『何故』と」
ディアドラは未婚の令嬢なのだ。
彼女に問題行動があったとしても、屋敷内の出来事なのだから侯爵家として対処しなくてはいけない。理解できないようであれば、跡取りとして致命的だ。
「マクウィラン侯爵家の令嬢なら二人いる。リリアスでも構わないだろう? 婚約を結んだ頃は身体が弱かったが、今は十分に健康で、子を生すのも大丈夫だろうと言われている。立場を入れ替えても良い筈だ」
「確かにそうであるけどね、正当性がないよ。婚約者を大切にしなかった挙句、妹に手を出したなんて醜聞は避けたい。ただでさえ側妃を母に持つ第二王子なんて立場なんだから」
本来なら異母兄である第一王子に敵う立場ではない。
しかし正妃の実家を継いだ異父兄の伯父は政治的な感覚が鈍く、緩やかに中央政治から外されている。
対する母上の実家は中央政治のど真ん中に位置し、爵位は一つ下であるものの権力は上。第三妃の実家も同様であるため、王冠がどこに転がるか混迷を極めている。
自分が置かれている状況は、自分が一番知っている。
瑕疵はつけられない――。
フィオンは諦めたように口を閉じ、黙々と生徒会の仕事をこなし始め、俺も同様に仕事に没頭した。