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04. 婚約者と視察の夜

流血表現が苦手な方は、読み飛ばしてください。

大雑把なあらすじは次話の前書きに記載します。

 野太い悲鳴だった。

 女性のものではなく、男性のそれだとすぐにわかる。


「今のは……っ!」


 王子の滞在する屋敷で何が起こったというのか。

 声の方は自分やディアドラなどに用意された客室がある。


「殿下、危険です!!」

 走る背中から領主の声が聞こえたが、気にしてはいられなかった。


「――ディアドラ!!」

 目に入ったのは一面の血の海――。


 床で崩れ落ちて呻いている男と、普段と変わらぬ佇まいのディアドラ。

 俺に遅れて領主が、続いて領主の姪と妻が現れると、つんざくような悲鳴が轟いた。


「何が………………」

 あったのだと続けたかったが、言わなくても一目瞭然だった。


 床を濡らす血、短剣、廊下に転がる右腕、呻いている男。

 よく見れば、ディアドラの後ろに控えている侍女の片頬が赤い。

 悲鳴を上げ終わった夫人が、野蛮だとか非道だとか食って掛かる。


 しかし非がどちらにあるのか明白だった。


「誰の書いた筋書ですか?」

 後ろを振り返り当主に尋ねた。

 呆然とした様子だったが、声を掛けたらいち早く立ち直るあたり、それなりに修羅場の経験があるのだろう。


「夫人ですか? それとも閣下が?」

「いや……その………………」

 額から流れ落ちる脂汗にも気付かないほどの狼狽振りだった。


「王子の婚約者と知っての狼藉だったのか、親族というだけの痴れ者を呼んだのかどちらです?」

 どちらもありうる状況だったが、この場で追及する気はなく、実はただの牽制でしかない。

 夫人は取り乱し冷静な判断はできず、当主は動揺したまま動けない様子。


「取敢えず男の手当と、廊下の掃除を……」

 少し声を張ってこの場の全員に指示を出す。


「レオナールとルードヴィヒは申し訳ないが、二人とも彼女の側にいてほしい」

「了解した」

 旅の同行者だけが冷静だった。男を斬りつけたディアドラでさえ、動揺した様子一つみせない。内心はどうであれ。

 


 

 腕を斬り落とされた男は、命には別条がないようだった。

 夫人と姪は傷口の断面を見ると同時に気絶し、それぞれ私室に運ばれていった。

 今、この場にいるのは俺のほか、当主と当主や夫人の親族たち五名。


「随分な悪女を婚約者にしておられるのですな!」


 怒り冷めやらぬ様子で言うのは男の伯父らしい。怪我を負ったのは当主の従兄弟の息子だった。王族と間近で接するまたとない機会にと呼ばれたのだとか。父親は三男で分家の当主、一準男爵らしいので一応は貴族ではある。屋敷の主とはずいぶん遠い関係だった。


「まだ年端もいかぬのに末恐ろしい」

「噂通りの悪女だ」

 口々に罵る言葉が出続けるのに、いい加減ウンザリしている。


「悪女というのは、己の身を守る行為に対してか」

「我が甥は嫌がる婦人に無体を働くような男ではありませんぞ!」

「これだから悪女は……」


 俺の一言に、二言も三言も返ってくる。不敬だと黙らせてやりたいところだが、こんな下らないことで強権を発動するのもどうしたものか。


「甥御が誘われて部屋に入ろうとしたのに、突然豹変したディアドラに斬られた、そう言いたいのだな?」

 下らないと思いつつ、言い訳に乗ってみた。


「そういうことです! 男の純情を弄んだに決まっている!」

「では……侍女に暴力を振るったのは誰だと?」


「はぁっ!?」

 彼らは誰も気づいていなかったようだ。

 廊下は薄暗かったから気付かなかったのかもしれないし、単純に見なかっただけかもしれない。


「ディアドラの側に控えていた侍女は、殴られたように頬が腫れ、服装が乱れていた。誰かに暴力を振るわれた様子だった。身を挺して主を庇ったように」


「二人して謀ったのでしょうな」

 あっさりと共犯(グル)だと言い募り、再び「悪女が……」と口々に非難する。


「侍女はマクウィラン侯爵家に雇われている者ではないよ」

 俺の言葉にディアドラを罵っていた口が一斉に閉じ、しんと場が静まり返った。


「王宮侍女だ。私が側妃付きの中から選んだ」

 事実だ。

 今回の旅程は、ディアドラと俺の側付はすべてが王宮から派遣した者たちで固めている。


「正式な主人は私だ。正確には国王陛下だが。尋問しても良いが、まずそちらの望む結果にはならないだろう。納得がいかないなら、そちらに身柄を預けても良いが、公になった後に事実と異なっていたら…………わかるな?」

 第二王子とその母である側妃が選んだ優秀な侍女と地方貴族の息子の、どちらを人が信じるかはわかりきっている。


 ゴクリと息を呑む音が聞こえた。


 自分たちに正義がないのを、こちらが知っていると理解したのだ。言いくるめることができず、罪を被せるのも不可能だと悟ったのだった。


「甥御は深く酔い過ぎ、戯れに剣舞を披露しようとして自分の腕を斬り落とした。そうだな?」

 落としどころとしては、こんなものだろう。


 事実を公にするのは自分たちの非を表沙汰にするのと同義である。内々に処理するならば、実行役が泥を被る程度で済ませられる。

 仕掛けた側がどちらを選ぶか明白だった。


「……甥ながら、酒に呑まれるのは恐縮の限りです」

 当主が顔を真っ青にさせながら、絞るように声を出す。

 現状の精一杯だった。




 翌朝、見送りの人々は顔色が悪かった。

 朝食の場では当主の姪という令嬢がキィキィ煩かったが、気を利かした屋敷の者が席を離してくれた。夫人はあれから寝込んでいるらしい。


 ――まるで葬列を見送るみたいだな。


 誰に手を出そうとしたか、未だ理解していない面々に小さく溜息をつく。

 命拾いしたのはディアドラではなく、手を出した男の方だ。


 理解しているのなら汚名を雪ぐ機会もあるだろうが、そうでなければ永遠に日の目を見ることはない。

 見送っている連中の中でわかっているのはどれだけいるのだろうかと思いながら、一晩の宿だった屋敷を後にした。

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