03. 婚約者と地方への視察
ディアドラが留学生と一人で会うのは外聞が悪い、という理由で交流を持つようになって数日。意外にも知識が豊富で話術に富んでいることを知った。
その後、留学生が寒さに強い小麦を見たいというので、次の長期休暇で視察に行く手配をした。
学生で素人の僕たちだけでなく、国から来ている研究者が主役の旅行だ。
最北端の領地までおよそ十日の道のり。一台目の馬車には俺とディアドラ、二人の留学生が、二台目の馬車にはエルフィニア王国の研究者と、この国の研究者、向かう領地の関係者が乗っている。ほかに荷馬車が二台と騎馬の護衛が周囲を守る。
まあまあ大所帯での移動になった。
専門的な視察や情報交換は専門家たちが行う。俺たちはどちらかといえば友好関係を深めるための旅行だった。
「意外でしたわ、殿下が花にお詳しいなんて」
休憩のために馬車を降りたところで野花を見て、名前や花言葉を説明したのだ。
「幼いころ、城を抜け出しては野原で走り回っていたからな。雑草以外、何もないところだったから自然と興味を持った」
実は令嬢たちの気を引こうと覚えたものだが、馬鹿正直に言う必要はないだろう。
「これは花嫁が髪に飾る花だな」
一輪、摘んでディアドラに見せる。
白くて小さな六花弁の、まるで雪の結晶のような花。
「香りが良いだろう? 防虫効果があるんだ」
虫除けが転じて男除け、夫婦円満という訳らしい。
「花が雪の結晶に似ているから、別名『夏の雪』だ。農村では花冠を花嫁の頭に載せるのだとか。町の方ではベールに花の刺繍をするらしいな」
「まるで乙女のように詳しいですのね……。確かに可憐な花ですもの。幸せを込めて花冠を作るのは素敵でしょうね」
花を摘みブーケを作って婚約者に捧げる。
「冠は無理だが、花束くらいなら……。受け取ってもらえますか?」
差し出した花を、ディアドラは少しだけ頬を染めて手にする。
ディアドラの指が、そっと俺の手から花束を受け取った。
その様子に、少しだけ安堵しつつも、胸が妙にくすぐったい。
「ありがとうございます、殿下」
わずかに微笑んだ彼女は、いつもより柔らかく見えた。
今までより、少し近づいたように感じて………………距離を取ろうとしていたのは自分だったと気付く。
ディアドラの双眸はいつものように、凪いだ夜のような静謐を湛えていた。
* * *
「見違えたな……」
晩餐のためにディアドラを部屋まで迎えに行って、盛装姿にドキリとした。
往路での歓待や目的地での晩餐など、何度も着飾った姿を見ているが、今回のドレスは少し胸元が空いて、大人の色香を匂わせている。
くっきりと浮き出た鎖骨と、その下方の布で覆われた膨らみが色っぽい。
学園の卒業翌日にあるデビュッタントまで、夜会には出席できない。だから今まで盛装姿で会うことはなかった。
深い紺色のドレスは蝋燭の光によって複雑な陰影を作っている。地味な色ではあるが、絹特有の光沢とほんのわずかに織り込まれている銀糸の反射がドレスに豊かな表情を与え、品の良さを添えていた。携行性を考えてスカート部分のボリュームは抑えているが、左腰のリボンから流れを作り、大人しいだけのドレスで終わらない工夫がされている。
「デビュッタントが楽しみだな。白いドレスもそれ以外のドレスも、今日みたいにきっと素敵だと思う」
「お世辞でもそう言っていただけると嬉しいです」
ふわりと笑みを浮かべる。
薄暗くて顔色の変化はわからない。照れたように頬を染めてくれていれば嬉しいが、そこまでは欲張り過ぎか。今回の視察旅行では、関係改善を図るのが目的なのだから。
ディアドラは色こそアレだが、名門侯爵家の令嬢らしく洗練されている。十二歳で王子の婚約者になったときには、王族としても十分問題なく過ごせるほど、完璧な作法を身に付けていた。逆に勉学からは逃げていると聞いていたし、それを裏付けるような成績ではあった。
だが最近は敢えてそこそこを維持しているだけではないかと疑っている。目立ちたくないという一心で。
ディアドラを横に、留学生二人を後ろに伴って食堂に出向くと、交流名目で自分とレオナール、ディアドラとルードヴィヒとに別れての着席になった。
領主の姪という令嬢が自分の横に座る。
顔を合わせた直後に、ぽぅと頬を染めて目が潤んだ。王子という身分と、磨き抜かれた容姿に見惚れられているだけだ。
正直面倒臭い。
「エイン様、もう一泊してくださいませ! 領内には素敵な場所が沢山あるから見ていただきたいのです」
何度も遊びで訪れたのではないと言っても理解していないようだ。
単に理解する気がないか、自分に不都合な事実はなかったことにするだけなのかわからないが、正直なところ黙ってくれないかと思う。
勿論、顔に出さないが。
「それは無理だ。私は今回、他国の研究者を案内するのが役目だからね。彼らの邪魔になってはいけない」
これも何度目かの言葉。
なぜ同じ言葉を繰り返せねばならないのか。
内心の苛立ちを表に出さないように気を使いながら、どこまで強い口調が許されるか考え……そして止めた。
どうせ明日の朝に別れた後は、二度と顔を合わせる機会はこない。
一夜限りの、王子様と二人の会話を楽しませるのも、王族の義務だと思うことにした。
「でも……」
媚を売るような目つきは、王都で散々目にしてきたもので、今更なんとも思わない。
いくら側妃腹の第二王子とはいえ、この程度をいなせないほど初心ではいられなかった。
旅程のうち半分は宿で残りの半分は街道筋の各領地の館。一応、妙齢の令嬢がいない屋敷に泊れるように日程を組んでいる。
滅多に王族が遊行に訪れないような土地だから、できる限り歓待したいとは言われていた。
だが今回は他国の研究者を引率するのが役目であり、そういった催しは彼らにとってありがた迷惑だという話と、合わせて特産のワイン作りをしている農家の話を聞けると助かるという話を通した。
それでも当主や奥方の姪が呼ばれて、妙齢の令嬢たちが近くを侍る。
席次は敢えて、俺とディアドラを離している。
逆に彼女は留学生の近くだ。とはいえ隣国から来ているレオナールは向かいに座り、隣は夫人が陣取り、ひっきりなしに話しかけていた。本人がどうこうというより、夫人の親戚の娘を宛てがおうとしているのが丸わかりだ。
もう一人の留学生、ルードヴィヒはディアドラの横で、二人の会話は弾んでいるようだった。というよりもむしろ、近くの席に座った者たちが、留学生を侮って会話に参加させないように、やんわりと拒絶しているのを、フォローしているように見えた。海を越えた向こうの国からということもあって、情報が入らない所為だろう。実家の爵位が伯爵とそれほど高くないのも理由の一つ。
小国だとか未開の国だとか侮っている様子が手に取るようにわかる。
しかし大陸公用語を含めたこちらの国の言葉をいくつも流暢に話す時点で、馬鹿にできないのだが、何故だれも気付いていないのだろうか。
時々、ディアドラが面白そうに笑みを浮かべる。ルードヴィヒとの会話が弾んでいる様子だ。領主の親戚たちが口説き落とそうとしている様子だったが、上手く躱しているらしい。
食事が終わると男女に分かれた社交が始まる。
男たちは酒を交えながら、女たちは茶をのみながらというのが定番だ。
「我が姪は如何でしたかな?」
早速、領主が尋ねてくる。
もし少しでも褒めれば「お側に……」といって差し出してくるか、夜這いをかけられるかどちらかになる。
「婚約者を差し置いて、ほかの令嬢を褒めるなんてできませんよ」
「悋気とは……。若いのに窮屈でいらっしゃる」
ディアドラの存在を仄めかすと即座に貶めてくるのは、彼らのやり口だ。
どうして皆、こうも芸のない手段を取るのか理解ができない。
「王族にとって、婚約者は重要ですよ。ほかの貴族以上に」
「それはどういう……?」
わからない振りをしているのか、本気でわかってないのか不明だ。
王宮に足繫く通う貴族なら知っていて当然だが、地方領主にとっては馴染みのない情報なのかもしれない。
「王子や王女の養育費や妃の私費は、全額、妃の実家が負担するからですよ」
ふわりと笑いながら、世間話を装って伝えてやる。
「側妃だから肩身の狭い思いをしている訳ではないんですよ。母の実家が伯爵家だからです。家格相応の財産を持っていますが、王妃の実家と比べるとやはり差がありまして……。実家の身代を潰してまで、妹や甥である私に援助はできませんからね。祖父や伯父も頑張ってくれていますが、兄上とは如何ともし難い差がついておりますよ」
滞在先であるこの家の爵位は侯爵とはいえ、伯爵家といっても違和感がないほど財産も権勢も持ち合わせていない。正直言って、母の実家の方が裕福なくらいだ。
晩餐の席についた姪とやらの実家と目の前の男が頑張ったところで、王族に相応しい生活は得られないだろうと、暗に言ったのだがどこまで通じているものだろうか。
「しかし、殿下が一言『側に置く』と言ってくだされば……」
言ったところでどうにかなる訳ではないのに、なかなかしつこかった。
「私が言ったところで仕度はできますか? 私自身、伯父の世話になっていますが、既に限界でこれ以上の支援を受けられない身です。令嬢の支度に手をかけてあげられませんよ」
「ではマクウィラン嬢は……?」
「彼女の実家は、王妃の実家以上の実力があります。公爵家同等の支度ができるでしょうね」
実際、公爵に陞爵するという話も出てはいる。
未だ王太子の指名がない現在、王冠を賭けたゲームの行方はまだ見えない。
だがマクウィラン侯爵家の後ろ盾を得られれば、第二王子である自分も玉座に手が届く。
「では……」
「マクウィラン侯爵家はディアドラと子や私が必要な金を肩代わりするでしょうが、愛人の分まで出すような、気前の良い真似はしませんよ、当然ですが。娘が希ったところで父親が絶対に許しません。もしほかの令嬢と何かあれば喜んで婚約自体を白紙にするでしょう。面子を潰されてまで、側妃腹の第二王子の後ろ盾でいません。絶対にね」
微笑みを浮かべたまま、トドメを刺しに行く。
「ディアドラとはそもそも政略ですから。愛が故に虐げられても耐えるなんて真似はしませんよ。父娘共々、嬉々としてもっと条件の良い男を探すだけです。私との婚約がなくなったところで、他国の王族と新たに縁を結ぶのも可能でしょう」
政略だからこそ、ディアドラとの縁が切れるのは困るのだ。
間違いを起こす気すら失せるように、完膚なきまでに否定しておく。媚薬の類を気にしながらの食事や、夜這いに気を使いながら寝るのは疲れるし面倒でしかない。
そもそも他人の懐を当てに姪を愛人にしようとするのが、厚かましいとはわかっていないようだ。
これがせめて、自分たちでどうにかする甲斐性でもあれば、まだマシであるのに。
「常に足の引っ張り合いがあり、生き馬の目を抜くような熾烈な場所に、ご令嬢を放り込まれるのは感心しませんね。心を病んで去っていくか、足を引っ張られた挙句、知らぬ男との間に子を生して追放されるなんて、よくあることですから」
王族や外交官の妻でなければ体面は保てるだろう。まともに令嬢教育を受けてさえいれば。
とはいえ晩餐の席を見る限り、王都で活躍する主要貴族の奥方は務まりそうになかったが。
「もし令嬢を王都に、というのであれば王宮侍女の仕事を紹介するのは吝かではありません。ですが世慣れた令嬢の足場として利用されるか、遊び慣れた男に食い荒らされて無残な姿で帰郷するのは目に見えています。それでも、とおっしゃるなら紹介状を書きましょう」
トドメとばかり、最後にもう一度笑みを浮かべる。
「側妃腹とはいえ王子ですから、多少は剣を使えます。就寝中の侵入者には反射的に切りつける程度に、護身の心得があります。悲しい事故がないと助かりますよ」
ここまで言って手を出してくるような愚か者はいない。
そもそも仄めかす程度で諦めるのが一番多いのだが。
ここの領主は察しが悪い。次に北方に行くときは、別の領主を頼るべきだだろうと思うほどに。幸いだったのはこれが帰路であり、往路でなかったことか。
あの調子で帰りも立ち寄れと言い寄られるのは鬱陶しくて敵わない。
「話も盛り上がらないようですし、私はこれで……」
場を切り上げ、客室に引き揚げると言ったときだった。
絶叫が聞こえたのは……。