北斗星君
※残酷な描写あり
突然の訪問は、深夜のことだった。
「こんな時間に、なにごとかしら」
空気が騒がしい。不安と焦燥の、気配がする。
「今代の御巫が、まもなく死にます」
なにを言われたのか、理解出来なかった。
「言葉を交わせるとしたら、今が最後でしょう。お会いになられますか?空帝」
みこ……御巫?今代の御巫?ジャックが、死ぬ?
「どう、して」
「常位胎盤早期剥離です。御巫ももう、若くはありませんからね。危険性はずっと、ありました」
「なに、それ?」
賢者がなにを言っているか、わからない。
「出産時期より早く、胎盤が剥離したのです。大量出血で、気付いてすぐ切開したので子供は一命を取り留めましたが、御巫の出血が止まりません。いまも処置は続けていますが、もたないでしょう」
「なんで、どうして、ジャックが」
「子を身籠ると言うことは、そう言うことです。残念ながら、今は時間がありません。会いますか?会いませんか?」
嘘。嘘だ。そんなの。
「会う。会うわ」
会えばきっと、平気な顔をしているはず。だって、死ぬはずなんて、ない。
「わかりました。行きましょう」
賢者に連れられて、夜のなかを歩く。夜だと言うのに、騒がしい。
どこからか、子供の泣き声が、母を呼ぶ声がする。
その、声が、だんだん、近付いて来る。
「おかあさま!おかあさま!!」
「だめだよ、お医者さまのじゃまになってしまう」
泣きじゃくる小さな子らを、少年が抱き締めている。
「おねえさま、おかあさまが」
「大丈夫。お姉さまがついていますからね」
すがり付く小さな子らを、少女がなだめている。
その横には、団子のように寄り添い合う、数人の子の姿もあった。
子供らの視線の先には、大きなガラス窓があって。
窓の向こうでは、大勢の人間が服を血で汚しながら、慌ただしく動き回っていた。
部屋の真ん中に、横たわっているのは。
「ジャック……?」
記憶の中より、ずいぶん老けているが、あの顔は、忘れるはずもない。
蒼白な顔で、目を閉じている。腹を割られて、血まみれで。
「どうして、こんな、なんで」
「……あなたは」
不意に少年がこちらを向いて、呟く。
「あなたが、役目を果たさないから、母上は」
「なにを、言って」
「さあ、王女殿下、中に」
賢者がわたしを、部屋に入れと促す。
「入って、良いの?」
「ええ。どうせもう、助かりませんから」
子供の前で、なんてことを。
「彼らはすでに、別れを済ませています。時間がありません、さあ、早く」
賢者がわたしを急かす。その勢いに圧されて、言われるがまま足を進めた。
部屋に入るなり感じる、噎せ返るような血の匂い。生ぬるく、湿気を含んだ空気。
構わず進めと、急かす賢者。
「御巫、王女殿下が来ましたよ」
慌ただしい周囲に頓着することもなく、賢者は目を閉じたままのジャックに声を掛け、その片手を取った。
「どうぞ」
賢者は取ったジャックの手を、わたしへと差し出す。とっさに受け取った手は血の気がなく、氷のように冷たかった。とても、生きたヒトの手とは思えない。
「ジャック、どうして」
わからない。どうしてジャックはこんなにも血まみれなのか。どうして目を閉じたままなのか。どうして。
「どうして」
わたしを、知らぬ者ばかりの敵国に連れて来ておきながら、会いに来ることもなく、久し振りに顔を見られたと思ったら、こんな状況で。
最後に顔を見てから、何年が経った?
わからない。漫然と過ごしていたから、どれだけ時間が過ぎたのか、時間の感覚がない。
「ジャック。目を開けなさい」
許せない。ずっとわたしを、放置して、なにをしていたと言うのか。どうして、わたしの許しもなく、こんな状況に。
「許さない。許さないわ。わたしを、置いて行くなんて。ジャック。返事をしなさい、ジャック!!」
冷たい手を握り、引っ張る。
「怪我人を、」
「好きにさせてやりなさい。どうせもう、今代の御巫は生きるつもりがない」
生きるつもりがない?わたしを、こんな目に遭わせておきながら?
「なにか言いなさいよ。許さない。許さないわ!ジャック!!」
蒼白な顔面。眉が寄り、わずかに瞳が開く。
「フローリア?」
掠れた、力のない声。
瞳が動き、わたしを見た。ふ、と、綻ぶ顔。
「ああ、自由になれたんだね」
「自由?」
「空帝の座が、アルトゥールに移った。もう、立場に縛られなくて良い」
「え……?」
いつの、間に。
はっとして、大きな窓を振り向いた。そこには、こちらを睨み付ける少年が。
もしや、あれは、わたしの。
ジャックの視線が、わたしの後ろ、賢者へと向かう。
「老師、フローリアと、子供たちを、頼みます」
「ええ、承りました。今代は随分、長く働きましたね。疲れたでしょう。ゆっくりお休みなさい」
「まさか」
ジャックが視線を伏せる。
「すぐ、戻りますよ。アルトゥールと、次代を、守らなければ」
生まれ変わるから?だから、死ぬのは問題でないと?
「わたしを、置いて行くの、ジャック」
「俺たちの勝手で、あなたをここに、閉じ込めてしまった。こんなにも、長く」
窓の外には、十数人もの子供。いつの間にか、そんなに、長い時が。
「もう国に、あなたが生きていると思っている者もいないはずだ。家族に会いに、行ける」
「家族」
「墓参りさえ、させてあげられなかったから」
その、言葉は。
わたしの家族がもう、誰も生きていないと言うこと。
「あなたまで、いなくなったら、わたしは」
「大丈夫。あなたは強い。老師も、手助けしてくれる。なにも、心配は」
「だから置いて行くの!?許さない。許さないわ!」
冷たい手が、けれど強く、わたしの手を握った。
「フローリア、ひとはみな、いずれ死ぬ。どれほど愛されても、守られても、賢くとも、強くとも、みな」
何千年の、記憶の重みが、その言葉にはあった。
「愛するもの、大事なものが、死ぬのは辛い。苦しい。悲しい。寂しい。どれほど、経験を重ねようと、世界が壊れるような心地がする」
それをずっと、御巫として、ジャックは見て来たと言うのか。
「すべて投げ出したいと思う。もうなにもしたくないと思う。この身の無力を、無知を、愚かさを、心の底から悔しく、嘆かわしく、憎たらしく思い、殺意すら湧く。喉が潰れるまで叫んで、身体が血まみれになるほど掻きむしって、全身の骨が粉々になるくらいに自分の身を打ち付けたいと思う」
ジャックの顔が歪む。その顔をさせたのは、身体の痛みではなく、こころの痛みなのだろう。
冷たい手に、握り締められた手が痛い。
「それでも」
血を吐くような、言葉が、紡がれる。
「それでも夜は明けるから」
ふ、と、ジャックの手からも表情からも、力が抜ける。
「どうか絶望してしまわないで。光を目指して、フローリア」
言って、ジャックは息を吐く。深く深く、魂まで、吐き出してしまうほどに。
そうしてゆっくりと眠るように、ジャックは目を閉じた。力の抜けた手が、急にずしりと、重くなる。
「……ジャック?」
答えはない。
「脈拍、呼吸、停止しました」
代わりに響く、低い声。
「ジャック?ジャック!?」
冷たい手を、握って振る。握った手が、握り返されることはない。
「どうして。ジャック、どうして、答えて!答えてちょうだい!!」
横たわる身体にすがって揺さぶる。後ろから伸びて来た腕が、わたしをジャックから引き離した。
「死体蹴りはおやめなさい、王女殿下」
「死体?」
死体なんて、どこにあるの。
「今代の御巫は、死んだのです。王女殿下。どんなに揺らそうと、目覚めはしません」
嘘。嘘よ。
「どうして」
「どうしてだと、思いますか?」
言いながら、賢者はわたしを、部屋の外へと追いやる。自然、窓の方へ視線が向いて、こちらを見る子供たちが目に入った。
十数人の子供。この、全員を、ジャックが?
「ねえ」
子供ひとりでも産むのは命懸けで、育てるのは重労働なはず。
それを、自分の子でない子供を、こんな人数、産み、育てたと?
「あのなかに、ジャック自身の子はいないの?」
「いませんね。御巫の家系は、複数が血を守っていますから。今代の血が途絶えたとて、次の生まれ先はいくらでもあります。御巫は不要なことなどしません」
自分の血を残すのは、生き物の本能ではないのか。
「ただまあ、次代の御巫は苦労するでしょうね」
「なぜ?」
「ここはヴァルグランダですから。もしシュテイン家に生まれたなら、家から抜け出し、ここまで来るのに一苦労でしょう」
あなたの祖国は未だ、御巫も空帝も偽物であることに気付いていませんから。
確かに、シュテイン家から女が出るなど容易ではない。ジャック自身も、そう言っていた。
部屋を出たわたしに、少年の視線が突き刺さるが、賢者は気にした様子もなく、その場を通り過ぎる。
「ここで誰かに、産ませましょうかね」
「……え?」
賢者が呟いた言葉に、耳を疑う。
シュテイン家から、女を連れて来るアテが、あるのだろうか。
「ジャックの卵が残っているので。代理母がいれば不可能ではありませんよ。御巫がこちらへ生まれるかは、賭けですが」
「どうして、ジャックの卵が?」
「あなたの卵を入れるのに、邪魔でしたから。抜いて保存してあります」
やはりこいつらは狂っているのかもしれない。
けれど、たぶんそれは、わたしも同じだ。
「わたしはもう、空帝じゃないのよね?」
「ええ。空帝は代替わりしました」
「それなら」
わたしが死んでも、世界は壊れないなら。
「祖国に行かせて。ジャックの言葉が真実だったかこの目で確かめたいの。それに、もし真実なら、お墓を、参りたいわ」
何年も、放置してしまったのだ。
「ええ。良いですよ。すぐに手配を、」
「それから」
賢者の言葉を遮って、告げる。
それが正しいこととは、今だって思いはしないけれど。
「ジャックの言葉がすべて真実だったなら、わたしはここに戻るわ。戻って、ジャックの、子供を産む」
「……本気ですか?」
「出来るでしょう?」
「出来はしますが」
足を止めた賢者が、わたしを見据える。
「あなたの歳での初産は、危険ですよ。今代の御巫の死因である、常位胎盤早期剥離。あなたの歳での初産だと、発生する確率が普通より高くなります。それ以外も、年齢が高いほど障害は多い」
「ジャックよりは若いわ」
「初産婦と経産婦では違うのです。身体が妊娠と言う状況に、慣れていない」
母にも子にも危険が付きまとうと、賢者は語った。
「ジャックの卵はひとつなの?」
「いえ、複数残っていますが」
「それならひとつくらい、わたしにくれたって良いでしょう」
空帝を産んだのは、ジャックだったが。
「わたしはあなたたちの要求に答えて、ここから出ていったりしなかった。お陰で次代が生まれて、代替わりまで出来たのよね?その代わりに、ふたつくらい、願いを叶えてくれたって良いじゃない」
「御巫のために、身体を張ると?代替わりしたとは言え、空帝が?」
「なによ、悪い?」
本末転倒だとでも、言う気だろうか。
「いいえ。その傲慢さ。とても空帝らしいですよ。ですが、良いのですか?愛する婚約者以外の子を産むのは、抵抗があったのでは?」
「ジャックの言葉が真実だったなら」
ノエルは父母と兄たちを、己の欲のために殺したのだ。
「そんな敵に立てる操なんてないわ。それに」
父も兄も、ジャックをいたく気に入っていたのだ。
「ノエルでなければ、ジャックがわたしの婚約者になる可能性もあったのよ」
友だった。好きだった。なんの問題もない。
夜が明ける。いつの間にか、そんなに時間が過ぎていた。
そうだ。夜は明ける。
志高く過ごしていても、漫然と過ごしていても、生きている限りは、平等に。
「勝手に救っておいて、わたしだけ置いて行こうなんて、許しはしないわ」
つたないお話を最後までお読み頂きありがとうございました