竜頭蛇尾
「お呼びと、お聞きしましたが」
ジャックか賢者に会えるか。
侍女に尋ねてやって来たのは賢者だった。
「ジャックは、どこにいるの」
「今は安全なところにいますよ」
「無事なの」
「今のところは無事ですね」
迂遠な言い回しだ。そして、含みを持つ言い方。
「どうして、ここに来ないの」
「空帝を守るために」
賢者は笑っている。
「忙しくしている最中だからですね」
「忙しく」
「ええ。忙しく」
三年、わたしは、忙しくしたこともない。
王女として城にいたときは、社交だ外交だとなんだかんだ、忙しいこともあったが、隠れ住む今はそんな予定あるはずもなく、ただ、世話をされて、生きているだけ。
「わたくしが空帝だと言うのなら、なぜわたくしにはなにもさせないの」
「本来空帝とは、それで良いからです。否、」
変わらぬ笑みに自嘲を乗せて、賢者は言った。
「それで良いのだと、気付かされました」
「気付かされた?」
「ええ。今の状況で」
賢者は滔々と、詠うように言う。
「空帝は権力など持つべきではなかった。権力など持つから、狙われて、クーデターなど起こされる。すべて失った今はどうです?誰もあなたを狙わない。偽りの空帝と御巫を担ぎ上げ、それで世を治めてくれると言うのなら、勝手にやらせておけば良い。それで、御巫も空帝も、平穏に生きられるならば」
賢者は笑う。己の感情を覆い隠して。
「あなた」
それでも言葉の端に、感じ取れるものはあった。
「本当は御巫に、身を削ってなんて欲しくないのね」
「僕はまだ五百年ちょっとしか生きていませんが」
わたしから見れば五百年ちょっとは、しか、ではないけれど。
「それでも御巫は、四十人近く死んでいます。多くの御巫が、二十歳を迎える前に死んでいる。すべては、空帝を守るために」
記憶と魂を引き継ぐからと言って、同一の個と言うわけではありませんが、と賢者は目を伏せた。
「それでも御巫は御巫です。たとえ一生、顔を合わせることがないとしても、賢者である僕には生まれればわかるし、死ねばまた、それもわかる」
「それならば」
同胞を失うのが、辛いと思う気持ちがあるならば。
「身を削らずとも守る方法を、考えれば良いでしょう。あなたは賢者、なのだから」
「空帝が敵国の王である以上、いくら賢者でも出来ることは少ないものですよ。そうですね。僕の代は、情勢が良くなかったのもあるのでしょう。でも、それも変わりました。御巫があなたを、愚者の国から連れ出してくれましたから」
「あなたにとっては」
わたしは親兄弟を殺され、ここに閉じ込められているけれど。
「今が最善、と言うことかしら」
「最善ではありませんが、それなりには望ましい状況です」
「最善ではないの?」
賢者が空帝であると考えている、わたしはここにいて、御巫も、安全なところにいると言うのに。
「御巫はまだ、空帝のために、身を削っていますからね」
「ジャックは安全なところにいると」
「場所が安全だからと言って、その身が安全とは限りませんよ」
それは、
「ジャックが危険、と言うこと?」
「言ったはずです、命の危険もある役目だと」
「まだ、その役目にあるの?」
あれから、三年も経ったのに?
「ええ。時間のかかる役目ですから」
「そのあいだ、ジャックはずっと、命を危険に晒されているの?」
「厳密にずっと、ではありませんが、ほとんどずっとですね」
賢者は言って、息を吐く。
「御巫は女性しか生まれない。それが、あの役目のためであるのかと思うと」
賢者が微笑む。けれどその笑みは、今までと違って、どこか力の抜けた、思わずもれたような笑みだった。
「いっそ滅びた方が、健全なのかもしれないと考えてしまいますね。今は絶好の機会だ。僕の手の中に、空帝がいる」
「生きる場所を」
彼は三年前に言ったはずだ。
「失いたくないのではなかったの」
「賢者と言えど、人間ですから」
いつもの笑みに戻って、賢者はのたまった。
「矛盾ばかり抱えているものですよ」
ため息を吐いて、賢者は首を振る。
「それに、今代の御巫は強い。僕ではとても殺せません」
「どうして、ジャックを殺す話になるの?」
「あなたは」
賢者が嗤う。
「愚かですね。ええ。とても、空帝らしいです。良いですね。何も知らず、愚かで、当然のように恩恵ばかり享受している」
「それは、あなたたちが」
なにも教えてくれないから。
「少しは自分で考えたらどうですか。その頭が飾りでないのなら」
僕は十分、必要な情報を与えていると思いますよ。
「どう言う、こと?」
「ここに来てから」
賢者の瞳が、わたしを捉える。五百年も生きているなど、とても信じられない、少年のように澄んだ瞳。それでいて、深淵を覗き込むような、底知れなさを感じる。
「あなたは疑問を投げるばかり、誰かの行動や、答えを待つばかりだ。そんなに情報が欲しいなら、部屋を出て動けば良いものを」
「それはジャックが」
危険だから、勝手に出歩いてはいけないと。
「良いですね、守られる立場の方は」
冷たい声に、身をすくめる。
「ええ。御巫はなにを置いても、空帝であるあなたを守ってくれるでしょう。信じて従っておけば、あなたがなにを迷うこともない。御巫をあれだけ悪し様になじっておきながら、あなたは未だ、御巫の恩寵にすがって生きている」
否定の言葉を返せず、かあ、と顔に火が灯る。
「そもそもどんな権利があって、あなたは御巫をなじっているのでしょうか。御巫であることを公に認められていなかった今代の御巫は、あなたの国ではいち平騎士でしかなかったはず。なにが出来たと言うのです、政治の中心に立っていたわけでも、王に助言出来る立場にいたわけでもない、ただの王女付きの騎士に。国にも政敵にも気付かれず、僕と連絡を取り、あなたを生き延びさせることが出来ただけでも、この上ない快挙だったと思いますよ」
むしろ、と賢者はわたしの目を見据える。逃げることなど、許さないとでも言うように。
「御巫を責める、あなたはなにをしていたのです」
「わたくしが、なにをしていたか?」
「そうです。あなたは王女で、国王にもの申せる立場にあったはず。ましてクーデターの主犯はあなたの婚約者だ。交流はあったでしょう。なぜ、叛逆の予兆にも気付かず、国に逆らう相手の心を変えられもしなかったのですか」
「それは」
「それは?」
それは。
「知らなかった、から」
賢者は嗤った。底冷えするような、酷薄な笑みだった。
「では、知りますか?」
「え?」
「御巫がいま、なにをしているか、見に行きますか?」
賢者の申し出に目を見開く。
「できるの?」
「その身が安全でないだけで、居場所自体は安全ですからね。僕が許せば、見に行くことは出来ます。御巫も賢者の判断であれば、異を唱えることはないでしょう」
賢者は嗤ったまま、あなたは知るべきだと言う。
「あなたが"なにもしない""なにも知らない"ことが、なにを生み出したのか。その、平穏な日々がどれだけ貴重で、どんな犠牲の上に成り立っているのか」
賢者は、嗤っている。
「もちろん、知らないままでも構いませんよ。知らないまま、御巫を、僕を責めていれば良い。その方が、きっと幸せです」
御巫はきっと、それを望んでいますから。
賢者の言葉は、甘い毒のようだ。
「それくらい、御巫のやっていることはおぞましい。本来であれば倫理的に、許されることではありません」
「どうして、あなたは、それを知っていて止めないの」
ああ、愚かな問いだ。答えなんてもう、わかりきっているのに。
案の定、賢者は予想通りの答えを口にした。
「それが空帝を、ひいては世界を、守ることだからですよ」
知らなければいけない。わたしは。きっと。
「……見に行くわ」
「では、ついて来て下さい」
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