第61話 女子キャプテン(前編)
「おや、金田先生ご機嫌ですね?」
「えっ? そうですか? そんなことありませんよ」
職員室に戻った羽美は、副担任の山本教諭から声をかけられて、鼻歌交じりにそう返答した。
自分のデスクについて、クラスの仮入部届を丁寧に整理していく。
たった2日間の体験入部で、他に優先事項がある以上は本入部には至らないだろうが、それでもテニスの楽しさを教えられたら最高だ。
「羽美先生――」
と、羽美の背中に声がかけられた。
女子生徒だ。
「ああ、早川さん。どうしたの? 今日のメニューのこと?」
「それもありますが――仮入部の人数は決まりましたか?」
彼女は3年生の早川有紗。
羽美が顧問を務める女子ソフトテニス部のキャプテンだ。羽美は男子と女子、どちらについても顧問をしていて、練習も合同で行っている。
責任感の強い有紗は、練習の仕切りのために事前に羽美のところまで確認にきたらしい。
スラッとした体型で、黒髪を左右でおさげにしている。メガネの似合う涼しい美貌。生徒会長まで務めている、文武両道を絵に描いたような優等生だ。もちろんセーラー服を着崩すなんてことはなくて、姿勢だっていい。
「今年も多いよ、仮入部の1年生。嬉しい限りだよね」
「はい。テニスの魅力を余すことなく伝えられるよう、私も誠心誠意、努力します」
「そんなに肩肘張らなくていいんだよ? いつもどおりの私たちを見てもらいましょう」
「そうはいきません。仮入部とはいえ、1年生にとっては一期一会の機会。貴重なその時間を、中途半端には終わらせられません」
責任感が強すぎるというか、固すぎるというか。羽美も頑固なところがあるので人のことは言えないが、有紗にはもっとリラックスできるよう指導しているつもりだが、なかなか上手くいってない。
と、有紗は羽美のデスクに置いてあった仮入部届に視線を落として、
「…………『遠野蓮』」
「あ、知ってる? もしかして早川さんもダ――」
「ダンジョン配信者って、私キライです」
「――――」
同好の士を見つけたかも? なんて思ったが甘かった。
「魔力なんて危険な力で強くなった気になって。それより、現実の心身を鍛えるべきです」
こういう思想の人は少なからずいる。羽美の両親もそうだった。おかげで羽美も、大学でアイビスの配信に出会うまではアンチ・ダンジョン配信だったくらいだ。
「ダンジョンでだって苦労している人もいるし、現実で活かしてる人もいるんだよ?」
「いたとしても、全員が全員ではないですよね。――中には『《《年上の女子と同棲してふしだらな配信をしている人》》』もいるって、今日もクラスの子たちの噂になってました」
「あ、あー…………」
それに関しては心当たりがあって何とも言えない。そして自分も、そんな配信に夢中になっているなんて、言えるはずがなかった。
「とにかく。たとえ世間の人気者だろうと、部活では平等に扱いますので。いいですよね、先生?」
「も、もちろん……!」
これではどちらが教師か分からないが、蓮への推し活のことは学校では隠しているだけに、どうしても歯切れが悪くなってしまう羽美だった。
「いやぁ、でも意外と早川さんも好きになるかも――」
「年下の男の子なんて。私、か弱くて頼りない男性はキライなんです。ルールを守れない人も」
「ルール違反は別に――」
「その仮入部届、今日になって提出されたんですよね? 提出期限を過ぎてます。羽美先生の手間をかけさせてます。とにかく、私が年下を好きになるなんて、絶っっ……っっ対に、ありえませんので」
断言する有紗に羽美は苦笑いするしかなかった――ちょっとだけ、過去の自分に似ているようで。
■ ■ ■
「1年生の皆さん。女子キャプテンの早川有紗です」
放課後。
初々しい体操服姿の新入生を前に、有紗はきっぱりとした口調で名乗った。
男女合同での練習。男子のキャプテンもいるが、部員からは有紗のほうが頼られているので、こうして仮入部生のお世話も任されている。
集まったのは21名。横2列に並ぶ彼ら彼女らは、1年生なので体格は男女でたいして変わらない。そしてその中には――
(彼が『遠野蓮』――)
列の隅っこのほうで、覇気のない様子でいる小柄な男子。話に聞くところでは大人顔負けの活躍をしているそうだが、とてもそうは見えない。印象としては、『これまでスポーツに縁のなかった新1年生』といった感じだ。
……ただどちらにせよ、自分の好き嫌いで特別扱いをするつもりはない。視線をすぐに全体に戻して、
「新入部員はランニングや素振りが中心になりますが、この仮入部では、あとで簡単にラリーを……ボールを打ち合ってもらいます。その前に基本を――」
ラケットの握り方と、素振りの方法。テニス未経験の新入生も多く、ぎこちなさが微笑ましくもある。例の遠野蓮も初めてのようで、他の生徒と同じように不格好なスイングを見せている。
「――しばらく私たちがラリーのお手本を見せるので、見学していてください」
有紗も他の2、3年生とともに、抑え気味のラリーに参加する。1年生たちは大人しく、ラケットを持ったままこちらの姿を見つめていた。
(……あの子)
遠野蓮からの視線を感じる。4面あるコートで、合計8人でラリーをしているのに、彼はじっと有紗のことだけを目で追っていた。
ひと通りラリーを見せてから、先輩たちのスイングを参考にもう一度素振りの練習をさせる。そのときに、さりげなく彼に近づいて有紗は、
「あなた、ずっと私を見ていたけれど」
「え、あ、はい……」
見て分かるほどの人見知りだ。やっぱり、こういうタイプを好きになることなんてないだろうな、と確信する。
「――どうして?」
「あ、いや…………、誰よりも綺麗だったから」
「き、きれっ――!?!?」
有紗は、告白を受けたことはある。中学に入ってからこれまで、3度ほど。
こちらから好意を抱くには至らなかったのでお付き合いをしたことはないけれど――しかし、こんなにストレートに『綺麗だ』なんて言われるのは初めてだ。
「ぶ、部活中になにを」
「フォーム……。一番綺麗で、参考になった」
「フォ……、そ、そうよね! フォーム……!」
「?」
「う、羽美先生をお手本にしているんだから、当然です!」
顧問の熱血教師。有紗は、他のどの教師よりも彼女のことを尊敬している。
「羽美先生、あなたの担任でしょう? 先生は、大学1年生のころからインカレで――全国大会で活躍するくらい優れたプレイヤーだったんだから。足のケガさえなければプロになってたはずの人なの」
「ふぅん」
と、噂をしていたら、遅れて羽美がやってきた。
「ごめんね、早川キャプテン。会議が長引いちゃって。どう? 仮入部のみんなは」
「ええ。……だいたいみんな素直でいい子たちです」
ここまでのメニューを羽美に伝えてから、有紗は1年の指導に戻る。
「ではラリーを始めます」
ようやくだ、と喜ぶ新入生たち。
「――男女混合で構いません。適当でいいので、まずは2人1組を作ってください」
有紗の指示に、ガヤガヤと、思い思いのペアを組んでいく。
だがその中で――
遠野蓮は、絶望に顔を強張らせながら孤立していた。
「どうしたの?……ああ、奇数だから3人1組でもいいです。誰かに声をかけて――」
「…………」
「?」
すーっと目を逸らす蓮。
(まさか……)
話しかけるのが恥ずかしい? 見たことはないが、彼はダンジョン配信で大勢のリスナーの前に姿をさらしているはずなのに?
「はぁ……」
見捨てるのは心苦しい。適当なペアを捕まえてトリオにしても良かったが――
「じゃあ私が組みます。それでいい?」
「……はい」
少しだけ興味があった。配信者と呼ばれる彼らが、この迷宮の外でどれだけ《《やれる》》のか。
「行きましょう」
ネットを挟んで対峙する。背の低い、今日初めてラケットを握った1年生男子。
羽美も見ている。いつものジャージ姿で腕を組んで、人好きのする笑顔で。彼女は彼のことを買っていたようだったが……どう見ても素人以下。まともにラリーができるかも怪しい。
実際、
――ぱこんっ
蓮の打球は、勢いのないまま見当違いの方向へ飛んでいく。一方で有紗の打ったボールは、蓮の打ちやすい位置でバウンドするが、彼はまた変な方向へと返してしまう。
(まあ、こんなものね)
ダンジョン配信者なんかに、この『現実』での活躍を期待するほうがおかしい。あちらでは有名かも知れないが、外では平凡な中学1年生だ。
パシンっ
人見知りで、体格もまだ育っていない。返球だってこの有り様で――
スパンッッ!
「…………っ?」
シュパッ、パシンッッ!!
(す、鋭くなって!?)
ラリーを重ねるたび、蓮の打球が鋭さと正確さを増している。釣られて有紗も、強いストロークを打ってしまう。
「しまった――」
新入生が拾える角度と速度ではない。仮入部の素人相手に本気を出しすぎた。
だが、
――ザシュッ、スパンッッ!!
「っっ!?!?」
蓮は瞬時に回り込み、同様の鋭さで返球してきた。予想しなかったそのボールは、有紗の足下を擦るようにバウンドして――背後の金網に、カシャンとぶつかって転がった。
呆然とする有紗の対面で、蓮は一言つぶやいた。
「――――これは覚えた」
楽しんで頂けたらブクマ・評価・感想などで応援いただけると大変嬉しいです。
感想欄はログインなしでも書けるようになっているのでご自由にどうぞ。
評価は↓の☆☆☆☆☆を押して、お好きな数だけ★★★★★に変えてください!




