第56話 博士(前編)
「これが御殿場ダンジョン……」
彼――ダンジョン庁 総合企画課の新田伸吾は、4年前に発生した巨大な塔を見上げてつぶやいた。
まだ内部を探索中で安全が確保しきれておらず、《《一般開放》》されていないダンジョン。新田も、写真や動画で見たことはあっても実物を前にするのは初めてだ。
職場で支給された着慣れない作業服と、ややサイズの合わないヘルメット姿で、新田はダンジョンへと歩み近づく。
この周辺はかつて住宅地だったが、いまは随分と姿を変えている。一度はダンジョンの出現で廃墟と化したが、いまは多くの重機が入り、新たな街並みを作ろうとしていた。ダンジョンを中心とした新興都市を。
御殿場ダンジョンのすぐそばまで来ると、作業員の姿が増えてくる。
「お疲れさまです」
律儀に声をかけていくが、新田はそれら開発作業の担当ではない。
総合企画課という部署は、ダンジョン庁の内部調整だったり、あとは、『他のセクションに所属しないすべての業務』を受け持つ苦労人的なポジションでもある。
だから例えば――
〝四ツ谷ダンジョンの2階層になぜか現れた10階層のモンスターについての調査〟
などという、前例のない案件を割り振られることもある。今回新田は、御殿場ダンジョンの調査にあたっているある人物に、この件について意見を聞きにやってきたのだ。
ぽっかりと空いた1階層のゲート。これは、人工的に掘削した門ではない。まるでダンジョンの側から人間を招いているかのように、突如として開かれたエントランス。
――だが、それは2年前のことだった。
このゲートを最初にくぐった人間は、外からの調査員ではなかった。ダンジョンの内側から、とある少年が《《自分の足で》》歩み出てきたのだ。
あり得ないことだった。
発生したダンジョンに呑み込まれた人間が2年間も生存し、あまつさえ自力で脱出してくるなど。しかもそれが、脱出当時にしてもまだ10歳の少年であったからなおさらだ。
当時、新田はダンジョン庁に入ったばかりで、御殿場ダンジョンの案件は先輩職員が担当していた。その先輩から話では聞いていたが、にわかには信じられずにいた。
(そんな彼がもう配信者デビューか……)
しかし彼の活躍を目にしてしまうと、信じないわけにはいかなかった。最強の最年少配信者、遠野蓮。
新田が担当する案件も、そしてこれから会う人物も、彼に関わりのあるものだった。『彼女』は、メールも電話にも取り合わないため、対面でしか情報を入手できないのだ。
ゲートから御殿場ダンジョンに入る。
まだ照明が不十分で薄暗く、だだっ広い空間が続いている。
ゲートの大きさから、内部に入れられる重機は限られているが、ここでも着々と建設作業が進められていた。
他のダンジョンがそうであるように、1階層は人類にとって最重要のエリアだ。
探索のための研究施設、ダンジョン用の装備を作る工房に販売店舗、配信者用の各種施設などがひしめくことになる。そして何より大事なのは、リスポーン拠点だ。
これは配信者のためでもあるが、ダンジョンを探索する者たちの安全確保がそもそもの目的だ。だから、他の施設に先駆けて真っ先に作られ、すでに稼働している。
新田が目指すのも、そのリスポーン拠点。
お目当ての人物はそこにいるはずだ。
――果たせるかな、『彼女』はそこにいた。
リスポーンを可能にする大がかりな機械類。それらに囲まれて佇む、長身の女性。白衣を纏い、ボサボサの長い赤髪をがしがしと掻いている。
「あの、荒巾木博士でしょうか――」
その背中へと、おずおずと声をかける。
「アァン!? んっだ、テメェは? ブッ殺すぞ!?」
いきなりの喧嘩腰。振り向いた顔は、不機嫌という以上に攻撃的だった。
つり上がった大きな眼。細い顎。犬歯を剥き出しにして、今にも噛みついて来そうだ。
美人には違いないのだが、狼のような獰猛さがある。D財団の理事も務める高名な研究者とは思えない容貌をしていた。
「アタシはいま取り込み中だ、見てわかんだろ!? 予定にない面会はお断りなんだよ!」
「だ、ダンジョン庁総合調整課の新田です。アポは取っていたはずですが」
「知らねぇし聞いてねェ!」
「ええ……」
彼女は新田と同世代、二十代後半のはずだ。
言われてみればそうも見えるし、一方でその落ち着きのなさは、やさぐれた学生のような風情もある。昔の時代の『スケバン』みたいな……。
(この人が彼の……遠野蓮の『いまの母親』か)
どうにも、子育てする姿が想像できない。もっとも、彼女と彼は、D財団の研究者とその研究対象という立場。普通の親子という関係ではないのだろうが……研究者っぽくも母親っぽくもないのが何とも。
新田が困惑していると、そばにいた彼女の助手らしい2人組が口を開いた。
「先日お伝えしました、博士」
「貴女は了承しました、博士」
機械的ともいえる平坦な声。
双子だろうか? 顔から服装までそっくりだ。荒巾木博士と同じように白衣を着た、2人の女性。とても若く見えるし、大学生なのかもしれない。
「アァ!? テメーらが言うんならそのとおりだろうな! 悪かったなァ、新田ァ!」
「は、はあ」
怒られているのか歓迎されているのか、まったく剣幕を変えないまま荒巾木女史は言う。
「ンで何の用だァ!? 事と次第によっちゃ、ぶっ殺すぞ!?」
「意味がわからないんですけど!?」
理不尽だ。情緒が不安定――というか、情緒が高いところで一定しすぎていて怖くなる。
「用件もお伝えしました、アーカーシャ博士」
「貴女は歓迎していました、アーカーシャ博士」
双子(仮)が、まるで準備していたかのように順に言葉を並べ立てる。
「『アーカーシャ』?」
新田は眉をひそめた。
「博士のお名前……研究や財団で使っている秘匿用の名称なのですか?」
「ハァ!?!? アタシの《《お名前》》だよ! 荒巾木アーカーシャだ!」
「え? 資料では、博士のお名前は『荒巾木た――』」
「アーカーシャだ!」
「いやいや、『荒巾木た……」
「荒巾木アーカーシャ! それがアタシの真名だッッッ!」
本名を口にしようとしたら、本気でキレられた。怖い。
「ま、まな……?」
「魂の名だ! 格好いいだろ!? なあ、グリとグラぁ!」
助手のほうを振り返る。
「おっしゃる通りです、アーカーシャ博士」
「私たちはグリとグラではありません、アーカーシャ博士」
「ほらなァ!?」
と、言われても。
どうやら戸籍のものとは別の名で呼ばせているようだ。格好良いからという理由で。
あまりこの件に深入りしても成果がなさそうなので、新田は取りあえず不思議な雰囲気の双子について話題を変えた。
荒巾木博士は博士で異常なのだが、こっちの2人も気になる。
色素の薄い肌と、青い瞳。プラチナブロンドの長い髪で、1人はそのまま背中に流しており、もう1人はふたつに分けて三つ編みに結んでいる。凹凸の少ない細身のスタイルで、背は低い。
耳こそ尖っていないが、物語の中の『エルフ』の少女とは、こういう風貌なのかもしれない。
「こちらの方々は荒巾木……アーカーシャ博士の助手ですか?」
「見りゃわかるだろがよ!? 双子ってことに価値がある。双子は最高だ! アタシの『お姉ちゃん』を思い出すからなぁ!」
「…………。博士も双子でいらっしゃるのですか?」
「モチロンだ! 双子以外にあり得ねぇだろ!?」
いや知らんがな……
と、思わず素で言いかけそうになるが、絶対に喧嘩になりそうなのでグッと抑えておいた。
「お姉ちゃんは最高だ! アタシのような劣等とは違って、とびきり優等だからな!! 優等すぎて、世界の敵に回るほどだからなァ!」
「敵……とは?」
「敵は敵だ! 倒すべき相手だ! ブッ潰さなきゃ、人類がブッ潰されるほどのなァ!! ダンジョンを使って、とんでもないことをしようとしてやがる!」
「え、はあ……?」
なんというか、初耳だ。
この人の言うことをどこまで信じていいのか分からないが。
「双子だからこそ、コイツらを助手にしてるんだ! まあコイツらはどっちも優等、アタシみたいなのとは違うけどなぁ!」
「光栄です、アーカーシャ博士」
「ご謙遜を、アーカーシャ博士」
ニコリともせずに2人が言う。
「謙遜なんざあるわけねェだろ!? アタシは思ったことしか言わねェ! アタシに出来るのは、せいぜいお姉ちゃんの野望をブッ潰すことだけだ!」
「それこそが希望なのです、アーカーシャ博士」
「がんばってください、アーカーシャ博士」
「なぁ新田ァ!」
初対面なのに、なんだかもう呼び捨てが当たり前になっているが、訂正するのも面倒なので「はい」とだけ応じておいた。
「コイツら、こう見えて1人は男なんだぜ!? 見て分からねぇよなぁ!?」
「え、そうなんですか?」
「違います、新田」
「貴方の目は節穴ですか、新田」
辛辣。
「アァ? そうか、どっちも男だっけか? いややっぱり1人が男だったよなァ!? うん? やっぱ女か?」
「どちらでも構いません、博士」
「どちらでもあるのかもしれませんよ、新田」
「ま、惑わさないでくれますか……?」
ダメだ。
この3人と話していると頭がおかしくなりそうだ。D財団の中枢にいる人間は変わり者が多いとは聞いていたが、まさかここまでとは。
新田は本題に入る前に、ぐったりと疲れ果ててしまった。
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