第52話 導入
イベントクエストの日程もすべて終わり、蓮は結乃たちとダンジョンから徒歩で帰宅した。
寮へと帰り着くなり、カナミが、
「お疲れの中1くんに……じゃーんっ!」
案内されたのは、大浴場だった。
「え? なに――」
反射的に警戒してしまう。
「こういう日くらいはゆっくりお湯に浸かって欲しいじゃん? みんなにも沙和子さんから伝えてもらってるから、1人でゆっくり入りなよ」
先日はシャワーだけだったが、今日はたっぷりのお湯で、一番湯を味わわせてくれるらしい。
しかし蓮が遠慮していると、
「中1くんが入ってくれないとウチらが入れないんだけど?……それとも、やっぱりおねーさんたちと皆でお風呂したかった??」
「い、一番風呂もらいます……!」
ここまでお膳立てされたら従うしかない。
着替えは結乃が持って来てくれた。
「はい、蓮くん。ゆっくりね」
「うん……ありがと」
今度は間違いなく自分の衣服だ。
(……ん? 僕のパンツを結乃が……)
ごく自然に準備したことになるが……深く考えるのはよしておいた。1人きりの脱衣場で裸になり、体を洗い、大きな浴槽へ。
蓮1人が浸かっただけでも、ざばーっと湯が溢れる。贅沢な入浴だ。
最初は熱さに肌が慣れなかったが、じわじわと芯まで温まってきた。全身がほぐれる思い。
「はーー……」
考えてみれば、この寮に来るまではホテル暮らしでシャワーで済ませていたし、前にいた施設では、浴場はあったがやっぱりシャワーでさっさと洗うことが多かった。こうしてゆっくりと風呂に浸かるのは本当に久しぶりだ。
湯気の立ち上る浴槽に、たっぷりの湯気、天井からの水滴。
(ここが僕の家か……)
なんとなくそんな感慨が湧いてきた。賑やかな食堂に、結乃と隣り合わせで眠るベッド。まあ、このあいだのようなトラブルもあるので警戒は必要だが、それでもこの暮らしに馴染みつつある自分がいる。
ダンジョン配信をしていなかったら、今のこんな状況もなかっただろう。
「武器のモニター……」
牧会長からのオファー。どこまでやれるか自信はないが、
「頑張ってみるかな」
初めて自分で受けた仕事だと考えると、なんだか少し大人に――結乃に近づけた気がして、蓮は嬉しく感じるのだった。
■ ■ ■
風呂と夕食を済ませて、自室での結乃との時間。
部屋で2人で話すときはベッドに隣合わせで座るのが習慣になっていた。
――なってはいたが、部屋着の結乃にはいつもドキドキしてしまう。制服姿や探索装備の彼女もまぶしいが、これはこれで、外では見せないリラックスした格好だから特別感がある。
話す内容は他愛ないものでも楽しく感じられて貴重な時間だ。
「そうだ蓮くん、手貸して?」
「手?」
首をかしげつつ、左手を結乃に差し出す。
「失礼します」
言って、結乃は左手で手の甲を優しく包んで、右手の親指で掌をぐいと押し当てる。
「マッサージ、麗奈ちゃんに教えてもらったんだ。痛かったら言ってね?」
「い、痛くはないけど――」
手を握るよりも、よっぽど肌と肌が触れ合っている。
「『導入』にすごくいいんだって」
「……導入? なんの?」
「え? 睡眠じゃないかな。そういえば、なんのって言ってなかったけど……夜に、蓮くんにしてあげると効果的だって」
「へえ。麗奈先輩はマッサージ詳しいんだ?」
あまりイメージがない。かなりのお嬢さまらしいし、専属のエステティシャンでも付いているのかもしれない。
「麗奈ちゃん、《《薄い本》》でいっぱい読んで知識だけはあるって言ってたよ」
「本でマッサージの勉強してるとか珍しい……動画とかじゃないんだ」
「ね。紙の本派なんだね。これからも私に教えてくれるって。オイルを使うとか、アロマを焚くとか、リンパを流すとか……いろんなテクニックがあるらしくて。蓮くんにリラックスしてもらえるように、私も勉強するね」
たしかに結乃の力加減は絶妙で気持ちがいい。睡眠導入に打って付けなのかもしれない。
「今日も蓮くんがんばってたもんね。初めてのイベントクエスト」
「ん、まあ――」
「ふふ。悔しいんだよね? ハーピーの羽根、手に入れられなかったの」
そう――
あまり口にしていなかったが、蓮はそれがずっと引っかかっていた。他のプレイヤーから受け取らなかったのも、彼らのためを思ってという以上に、自力で入手できなかった自分が悔しかったから。
「……なんで分かるの」
「顔見てたら分かるよ? 蓮くん、そういう顔してたもん」
「…………そ」
気恥ずかしいような、気づいてくれて嬉しいような。
「蓮くんは分かる? 私の気持ち。顔、見て?」
「――――っっ!?」
見つめ合う形になって、蓮が先に目を逸らしてしまう。
「あー、逃げた」
「…………わかる」
「うん?」
「結乃の思ってること。『僕が照れてるところ見たいな』とか、そんなこと考えてる――」
結乃は小さく吹き出すと、
「正解。そっか、バレちゃうかー」
くすくすと笑った。
「そういう蓮くんをみんなにも見て欲しいな、とか。でも私だけに見せてくれるのも嬉しいな、とか。そういうことも考えてるよ?」
「それは……僕も同じ」
負けじと、ふたたび目を合わせて見つめ返す。やられっぱなしは性に合わない。
「他の人にイジワルしない結乃が……僕だけにはする。それを独り占めできるといいな、とか……」
「そっ、そうなんだ。えっ、照れちゃうね……」
マッサージの手に握られたところが火照ってきた。自分の体温だけじゃなくて、結乃の体温で。
「あ、あははっ、マッサージのせいかな? もう寝よっか」
手が離れるのをちょっと残念に感じつつ、それぞれのベッドに潜り込む。
……しかし、マッサージは本当に睡眠導入にいいんだろうか? そう疑ってしまうくらいやたらと目が冴えて、眠れない夜を過ごしたのだった。
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