婚約破棄された限界侯爵令嬢は、王子よりも未来ある男爵令嬢を選ぶ。
8000字ほどの百合短編。ざまぁもあるけど、メインは侯爵令嬢×男爵令嬢のお話です。
左腕で腹を抱えるようにし、ゆっくりと一息。それから令嬢は校舎を見据え、正門を潜って歩き出した。
心配そうな顔の同輩たちに時折挨拶を返し、なるべくにこやかな表情を作って進む。
そんな彼女の前に。
「カタカゴ候爵令嬢ヴァイオレット・ドッグトゥース!」
一組の男女が、立ちふさがった。
ヴァイオレットと呼ばれた令嬢は、思わずまた左手で右わき腹を押さえそうになり……ぐっと口元を引き結んで、気づかれぬように唾を飲み下した。
口の中は乾いて言葉は出なかったが、自分を真っ直ぐ見据える金髪碧眼の男性に対し、胸を張って立つ。
「男爵令嬢だからとこのネモフィラを下におき、使用人の如く扱ったばかりか、苛め抜いたと報告を受けている!」
令嬢の眉根が、寄った。それは覚えがないからではなく、言われて見ればある程度はそうだったからだ。
とはいえさすがに苛め抜いたは誤解だと口に出そうとし……だが、さらに水分のなくなった彼女の口内から言葉が上がることはなかった。
ヴァイオレットは弱く首を振ろうとするも、緊張で背筋と肩が強張り、震えるばかり。
男性の隣にいる可憐な少女……ネモフィラに目を向けると、彼女は先の同輩たちのようにヴァイオレットを心配そうな顔でじっと見ていた。
「貴様は王妃には相応しくない! 婚約は破棄だ!」
その言葉を聞いた瞬間。
ヴァイオレットの水分は――――その、紫の瞳に集まった。
彼女は鼻の奥にせり上がるものをなんとか飲み下し、しかしたまらず駆け出す。
高位貴族の令嬢にあるまじき所業。ふらつき、目元からは雫を落としつつ、彼女は男性の脇を抜けて一目散に校舎を目指した。
「なっ、話はまだ終わっていないぞ、ヴァイオレット!!」
礼を失しているとは知りつつも。ヴァイオレットの足が止まることは、なかった。
◇ ◇ ◇
学園研究棟の4階まで駆け上がり、ヴァイオレットはその一室に素早く入り込んだ。
誰もいないことを確認してから、部屋に鍵をかける。
そしてドアに向かってしばし、肩を震わせてから。
「イィィィヤダバダバッダバダバドゥーッ!」
派手に踊り出した。
「やったわ、婚約破棄!
これで登城して彼の仕事を丸投げされる日々とも!
社交の場に連れ回される日々ともおさらばで!
こんにちは研究漬けの私の楽園!」
王太子プレーズの婚約者にして、才女・ヴァイオレット。
12で貴族学園に入学し、早々に各科目を修了。
16になった今年、学内の制度を利用し、かつ王太子婚約者としての責務があるからと卒業まで無条件に研究室を一つもらっている。
だが一方。王太子の仕事を肩代わりし、成人したからと社交界に引っ張りだされ、さらには研究で行き詰まり……彼女の体は限界であった。
精神的にも追い詰められていたヴァイオレットは、真面目に婚約者の義務を果たしながらも、一日も早い解放を願っていた。
しかし。彼女の喜びの変な踊りは、ぴたりと止まった。顔が青ざめ、額から汗が流れる。
「ダメじゃないの私!?
王太子婚約者としての特例措置がなくなってしまう!
まずい、非常にまずいわ!?」
「何がまずいんですか?」
「イィィィィヤダバダァ!?」
室内には誰もいないはずなのに声がし、ヴァイオレットは下がってドアに張り付く。
彼女の視線の先で、開いた窓からするりと人影が侵入してきた。
「泣き出すから何かと思いましたが、うれし泣きでしたか。ヴァイオレット様」
「脅かさないでちょうだい、ネモフィラ……」
現れたのは「苛め抜かれている」はずのネモフィラであった。
「私の不法侵入なんていつものことでしょう。オープンサンド持ってきましたよ」
「わーい……いえ誤魔化されないわよ? 一般生徒は研究棟入っちゃダメなのよ? 警備のひと呼ぶわよ?」
「お土産にドラゴンの爪と鱗を持ってきたんですが、いらなかったようですね」
「さすがは我が幼馴染。お茶を飲んでいかれるといいでしょう……動けません」
そそくさと茶の準備を始めようとした侯爵令嬢は、腰を抜かしていた。ドアに寄りかかり、床にずり落ちる。
ネモフィラは少しの笑顔を顔に浮かべ、持ち込んだバスケットを中央のテーブルに置く。
それからヴァイオレットの元までやってきて、彼女の手を取って引き起こした。
そっと支えながら、手を引いて椅子にまで導く。
「……ありがとう、ネモフィラ」
「いえ。それで? 王子に仕事を押し付けられるとぐちぐち言っていたのに、まずいとは?」
ネモフィラが尋ねながら、バスケットの中から魔物のごつい爪と鱗を取り出し、ヴァイオレットに渡した。
侯爵令嬢は子どものように目を輝かせながら、うっとりとした表情で魔物素材を検分し始めた。
ネモフィラがお茶と軽食の準備を始めたのに気付き、ヴァイオレットは返答を口に上らせる。
「この部屋、本来は研究成果をあげないと一年で追い出されるのよ」
「なるほど。王太子婚約者だから、そこを不問とされていたわけですか。
…………そろそろ学年が変わりますね?」
「そうなのよう。でも進んでないのよう」
ヴァイオレットの情けない声を聴き、魔道具からティーポットに湯を注いでいたネモフィラの動きが、ぴたりと止まった。
「そういえばヴァイオレット様、ずいぶん行き詰ってたようですけど、何を研究していたんですか?」
「んんー……もう言っていいわね。新しい属性を見つけたのよ」
「ん? 属性? あの地水火風のですか? 光と闇とか?」
「光と闇はあるとは言われているけど、実測できないから証明されていないわ。
私が見つけたのは〝竜〟よ」
ヴァイオレットが椅子でふんぞり返る。
一方、カップを運んできたネモフィラはピンとこない顔だ。
「…………それ、属性なんですか?」
「属性よ。自然現象に、明らかに強化をもたらす何かがある。魔力そのものではない。
私は、ドラゴンの強さとこれを結び付け、〝竜〟という魔力属性があることを突き止めた。
本当はフィールドワークしていろいろ確かめたかったけど、危険だから机上で検証するしかなくてね。
触れられる資料は少ないし、文献はもっと少ないしで、もう八方ふさがりだったのよ。
このままじゃ論文が書き起こせなくて……」
「ぉ。じゃあ私が持ってきた素材、役に立ちそうですね」
「最高。ついでに、ドラゴンの体のどこかにあるという、火炎袋があるとなおいいわね」
「わかりました」
ネモフィラはカップを置き、オープンサンドを皿に出して、空のバスケットをまた抱えた。
「え、もう行くの?」
「はい。二・三日したら戻ります。
先の騒ぎのこともありますから、ヴァイオレット様もしばらく大人しくしてるといいですよ」
「あ、あー……ごめんなさいね。あなたに使用人のように世話を焼かせていたから、誤解されたのでしょう」
「いくら身分差があるから表立っては他人行儀とはいえ、それだけで誤解する方が悪いのです。
女子寮のみんなは知っていますし、すぐ鎮火しますよ。
では。ご飯、ちゃんと食べてくださいねヴァイオレット様」
男爵令嬢が、ひらりと窓の外に身を躍らせた。
一人残されたヴァイオレットは、茶とオープンサンドを味わう。
「私も少しは時間ができたのだから……ゆっくりしていけばいいのに」
そして窓の外を見て、そっと呟いた。
「あ。お父さまたちに、振られたって手紙書かないと」
◇ ◇ ◇
8階まで一気に駆け上がったヴァイオレットは、息も絶え絶えになりながら一つの部屋に入り、扉を閉めた。
念のため鍵をかけ、一息つく。
「何なのよもう……ってあら? 今の申し出受けたほうが良かったのでは」
「どうかしたのですか?」
「ヒィッヤギャリデュー!?」
奇声を上げる侯爵令嬢を、室内の中央のテーブルで優雅に茶を飲んでいる男爵令嬢が冷ややかに見つめる。
「ネモフィラ、あなたどこから……窓から?」
「そうです。大学すごいですね、結構な高層建築で。魔法様々ですねぇ」
「堂々たる部外者め……警備、警備の方を呼ばなくては」
狼狽えるヴァイオレット。
一方のネモフィラは、落ち着いてサイドテーブルに乗せたものを手で示した。
「お土産です。入学祝いの、サンダードラゴンの髭。ご査収ください」
「素晴らしき幼馴染ネモフィラ嬢。とっておきの茶葉で持て成しましょう」
「今日のオープンサンドは魚介物です。エビのフリット入ってますよ」
「わーい私川エビ大好きー」
いそいそと茶の支度を始めようとするヴァイオレット。
だが席を立って近寄ったネモフィラがすっと彼女の手を取り、滑らかに椅子まで導いた。
「あ、あら?」
「お土産を検分しつつお待ちくださいな」
言われてヴァイオレットは、素直にサイドテーブルの髭……というよりは槍のような代物を見始めた。
すぐに表情がうっとりしてきたが、彼女は気を取り直してネモフィラの方を向き直った。
「ありがと……って入学祝いにはずいぶん遅いわよ?
忙しいの? 魔物狩り」
学園卒業後。
ヴァイオレットは国の開設している大学へと進んだ。
ある程度の研究成果を上げていることが入学条件であったが、これはネモフィラの協力によって達成された。
一方のネモフィラは素材採集が高じて、そのままそれを稼業としていた。
ただ王国周辺には魔物が出ないため、その周りの外国が活動拠点となっている。
そのためネモフィラは、あまり王国には戻ってこれていなかった。
「ほどほどですね。あなたの発案してくれた魔物装備には、何度も命を助けられてます」
「そう……」
嬉しそうに報告するネモフィラに対し、ヴァイオレットの顔が少し沈む。
続きを紡がないヴァイオレットに、ネモフィラが最初の疑問をもう一度投げかけた。
「で、何かあったのですか? ヴァイオレット様」
侯爵令嬢がテーブルに肘をついて、頭を抱えた。
「…………なぜかプレーズ殿下が学内にいて、追い回されたのよ。
自分で振っておきながら、なぜまだ関わってくるのか」
「そういえばあの方、幼少の頃からあなたを追いかけたり通せんぼするの、好きでしたね」
ヴァイオレットは言われ、思い起こす。
最初は5歳の頃、年会に出た時だ。王子へのご挨拶というメインイベントを終えたヴァイオレット。
たくさんのお菓子と食べ物を堪能していたら、なぜかその王子に追い回された。
(で、迷子になった私を見つけ、手を引いて連れ戻してくれたのがこの子、と)
ヴァイオレットは、顔を少し上げてちらりと前を見る。
お茶を煎れているネモフィラは、ヴァイオレットの視線には気づいていない。
ヴァイオレットはそっとため息をつき、返答を口に乗せた。
「そういうノリではないと思うのだけど?
『お前しかいないんだ』とか『俺の元にくれば支援してやる』とか言ってて、ちょっと怖かったわ」
「こちらに戻って小耳に挟んだ感じだと、あまり良いお噂は聞きませんね。婚約破棄騒ぎの影響で、廃太子されたそうですし。
そういえば学園の頃、あなたの研究を妨害している疑いがありましたけど、それはどうなりました?」
「事実だったみたい。だから大学には出入り禁止で、さっきも衛兵に連れ出されてたわ。
けど……どうも私に圧力をかけてるみたいなのよね。
この国は男社会だから、女の研究が評価されないのは知ってる。
それにしても、ちょっとギリギリまで下げられてて納得いかない」
「なるほど。話を総合すると、あなたを安く買いたたこうとしていると」
「おのれ権力者めぇ」
ヴァイオレットがテーブルに突っ伏す。
その鼻先を、良い香りがくすぐった。
カップが置かれる。ネモフィラも席に戻り、再び自分の茶に口をつけた。
「とはいえ。研究を続けるには、安く見られようともしょうがないかもしれないわ」
「王子の支援を受けられるのですか? というか、ヴァイオレット様はどうしてそこまでして研究したいんです?」
「…………私はね。暗くて閉塞した未来を、自らの手で切り拓きたいのよ」
起き上がってゆっくりとお茶を含み、口の中を潤してからヴァイオレットは続ける。
「王子の業務を肩代わりしているときに気づいたのだけど、この国は傾いている。
魔物の脅威はないけど、安全を確保したくて有形無形の支援を周辺国にしているのよ。
でもそのせいか、産業の空洞化が激しい。人、物、お金が全部外に出ていく。
しかも国自体が権威主義的で、大学などの研究機関はいまいち成果を上げていない。
野心的な大貴族が抱えるいくつかの事業で、ぎりぎり社会が回っている状況なの」
「それを変えたくて、ヴァイオレット様はずっとがんばっていたと?」
「……かつてそうしたのが、私の母なのよ。父の目に留まり、支援を受けて産業をいくつか起こした。
でも私はダメね。母のようになりたかったけど、うまくいかないわ。
王子に振られたことも効いていて、投資や支援の話は全然来ない。
卒業したらどうしようかしら」
「どうせそのプレーズ殿下が差し止めてるんでしょう。わかりました」
いつの間にか空になっているカップを置き、ネモフィラがバスケットからオープンサンドを取り出す。
ヴァイオレットの目の前に皿を置いてから、彼女は空のバスケットを持って席を立った。
「もう行っちゃうの?」
「素敵な話をありがとうございました。
なるべくは来るようにしますから。
王子になんてなびかないで、待っててくださいね」
「ん」
男爵令嬢は8階の窓から外へ飛び出した。
なんとなくヴァイオレットは席を立ち、窓のそばまで寄る。
どういう原理か、滑空して遠くまで飛んで行っているネモフィラが目に入った。
「…………次はいつ来てくれるかしら」
◇ ◇ ◇
走り込んできたヴァイオレットは、扉の開いた馬車に駆け込もうとし。
「ヒャダイナイ!?」
中から伸びてきた手に左手を掴まれ、引き寄せられた。
「出してください。少し急ぎ目で」
ほど近くから聞こえる声、扉の閉まる音、そして馬のいななき。
馬車が道を走り出してから、ヴァイオレットは席にゆっくりと降ろされた。
彼女の向かいにはネモフィラがいて、その隣にはいつものバスケットが置かれている。
「……あなた、追ってくるプレーズ殿下を引き受けて南の方に行かなかった?」
「もう衛兵に引き渡してきましたよ。それに殿下ではありません。
投資詐欺を繰り返して王家を追い出されたので」
「そうだったわね……どこで聞きつけたのかしらないけど、待ち合わせのカフェにやってきたときはびっくりしたわ」
「そういえば話も聞かずに殴って逃げてしまいましたけど、カフェで何の話をしていたんです?」
ヴァイオレットは、精悍ながらもきっちり貴婦人の恰好をしている幼馴染をじっと見てから、そっとため息を吐いた。
「要約すると、『俺に惚れてるんだろう、なら俺を助けろ』というお話」
「…………? ヴァイオレット様、プレーズのこと好きだったんですか?」
「いいえ大っ嫌いよ。いつも私の前に立ちふさがる男。仕事は押し付け、文句ばかり言う。
婚約者になったときはそりゃあ私も貴族の女だし、務めを果たそうと歩み寄りはしたけど。
学園でも社交の場でも、彼は私以外の女性にちやほやされることに懸命だったわ」
「彼、顔はいいですからね。顔は。地位もありますし」
「地位ねぇ。私もちょっとは夢を見たけど、それは国庫が空で借金漬けだと知るまでだったわ。
これで未来のないこの国とも、彼とも離れられる。せいせいするわね」
窓の外の流れる景色を見つつ、特に感慨もなさそうにヴァイオレットは吐き捨てた。
実家の侯爵領ならばともかく、研究詰めで出回ることが少なかった彼女にとって、王都にはあまり思い出もない。
「そうそう、未来と言えば聞きたいことがあったのよ、ネモフィラ」
「ん? 連邦の研究所のことですか?」
「そっちは資料を見たし、下見もさせてもらったでしょ」
大学を卒業したヴァイオレットは、ネモフィラが建てた小さな研究所に招かれていた。
少し遠い国にあるため、王国からは離れることになる。
ヴァイオレットの実家も事業の関係でそちらに拠点を移すことになっており、またネモフィラの男爵家はすでに爵位を返上して引っ越しているとのことだった。
卒業して大学の研究室を引き上げたヴァイオレットは、迎えに来たネモフィラと共に今日旅立つところであった。
「私が聞きたいのは。新天地で共にこれからを切り拓く、パートナーのことよ」
ヴァイオレットが視線を向けると、当のネモフィラはきょとん、としていた。
「え、っと。私、でしょうか」
「他に誰がいるのよ。
ネモフィラは……どうしていつも、私を助けてくれるの?」
核心を問われ、戸惑う様子のネモフィラ。
ヴァイオレットはゆっくりと、「助けてくれた」話を、彼女との思い出を紡いでいく。
「最初は5歳のとき。王宮での年会。
後年王宮に入るようになってわかったけど、私が迷子になってたあたりは普通人が来ない。
偶然なんてあり得ない。あなたはわざわざ、私を見つけに探しに来てくれたということ」
「ん……」
「それ以降も。私が呼ばれたパーティには、あなたは必ずいた。男爵令嬢にしてはいすぎよ。
そして私が困っていると、いつもさりげなく助けてくれた」
「そう、でしたかね……」
「学園に上がってからは、影で使用人扱いされていてもずっと私の世話をしてくれた。
その上で……私が王太子婚約者と研究の二重生活で行き詰ったら、どうかしてプレーズを焚きつけた。
婚約破棄されたときはあなたもいたし、あなたが実情に合わせて『違う、いじめなどない』と言えばあの騒ぎは起きなかった。
私がぐちぐち言ってたから、それを汲んでプレーズをけしかけたのだと思っているのだけど。間違ってる?」
「いえ……」
「私が研究で壁に当たったら、いつも素材とってきてくれたし。あれのおかげで、私は大学に上がって卒業もできた。
で、今度は研究所よ。さも別の理由で建てたように言ってたけど、私が在学中からずっと計画してたんでしょ?
あれは私のための研究所。下見をしてみれば、私が長年、あれがいいこれがどうと言っていたものが全部入ってた。
その上で、私が王子や、他の誘い口を受けないようにしながら。
王国は行き詰まると言っていたから、わざわざ外国に建てて招いた……私だけではなく、私やあなたの家族まで」
ヴァイオレットの紫の瞳に強く見られ、ネモフィラは俯いた。
ヴァイオレットは……幼馴染に向けて、言葉を重ねる。
「ここまでされて、何の理由もありませんは納得できないわよ?
返答如何によっては、私は馬車を降りなければならないわ。
答えを聞かせてちょうだい……ネモフィラ」
ネモフィラは胸の前で手を握り締めてから……強い決意をその顔に宿し、ヴァイオレットを真っ直ぐに見た。
「与太話をしますが――――ヴァイオレット。私はあなたを助けたくて、遠い世界からやってきたんですよ」
ネモフィラは荒唐無稽な、「本来ならあったはずの未来の話」を語った。
プレーズ王子に恋したヴァイオレットは、彼の気を惹くために危険な魔法兵器研究に手を出すのだという。
ところが王子はネモフィラを選び、ヴァイオレットと婚約を破棄。
絶望した侯爵令嬢は、地上を灰燼に帰す戦略兵器を起動。
ネモフィラと王子……あるいは〝攻略対象〟はこれを止めるが、彼ら以外のほとんどの人間が死に絶えるのだそうだ。
「私はそのふざけた筋書きを止めたくて、あなたに近づきました。
あなたが王子と交流すべきところに割り込み、私といる時間を増やした。
研究についても、危険な方向にいかないように少しですが誘導していました。
その一方で王子の気を惹き、私の誘いに乗って早々に婚約破棄するように仕向けました。
婚約者としての責務から解放されれば、ヴァイオレットは追い詰められることもなくなる。
結果、あなたが破滅の兵器を作る未来は絶たれた」
ヴァイオレットは俯き、眉根を寄せている。
ネモフィラは最後に、自嘲するような呟きを足した。
「私は破滅を回避するために、あなたや王子の心を弄んだのです。
……ひどい、女でしょう?」
「どこがひどいのよ」
するりとヴァイオレットの声が割り込んだ。
二人同時に顔が上がり、目が合う。
「え? だって」
「本当にひどい子なら、完全に私に成り代わって今頃王妃におさまってるでしょ?
私を構う必要なんて、どこにもないじゃない、その話。
結局あなたは、さっき最初に言った通り。〝ヴァイオレットを助けるためにやってきた〟。
私からしてみれば、良き未来に導いてくれた救い主よ。
プレーズは……半分は自業自得ね」
「ヴァイオレット……」
ずっとずっと自分の手を引いてくれて来た幼馴染に、ヴァイオレットは穏やかな笑みを向ける。
ネモフィラが語っていない、ヴァイオレットを助けていた本当の理由を抉り出すために、再び言葉を紡ぐ。
「本当はね。あなた以外からも、支援や投資、うちに来ないかって話もあったの。
もちろん……婚姻を前提にしたお話もね」
「えぇ!?」
爆弾を投下されて驚きの声を上げるネモフィラに、ヴァイオレットは笑みを深くする。
「全部断っちゃった。なんでだと思う?」
急に問われ、ネモフィラはあわあわして声が言葉にならない。
彼女の様子を見ながら、ヴァイオレットは確信をもって言葉を続ける。
いつも自分の前を行く彼女に追いつき、その隣に並ぶために。
少しの勇気を、振り絞って。
「これからは私が、あなたを助けたいと思ったからよ。
それに……5歳の頃からずっと待ってるのに、なかなか来ないんだもの」
「へ、え? ご、5歳!? それは、なんの」
「私を追い回す王子様と、私の手を引くご令嬢。
初恋がどっちになるかなんて……決まっているでしょう?」
ヴァイオレットはスカートにつけてある小さなポケットから、小箱を取り出した。
「それ!? わ、わた!」
ネモフィラが珍しく慌てた様子で、バスケットを漁る。
ヴァイオレットは小箱を差し出しながら。
待つのはきっとこれが最後だと、彼女の取り出す物に期待を寄せた。
「私も! あなたにお土産があるんです!」
人類の生存圏を広げ、人々の生活を守る冒険者たち。
彼らの所属する冒険者ギルドは、一つの小さな研究所から始まったという。
初代ギルド長は、魔物の力を人が使えるようにした、天才研究者の元侯爵令嬢。
彼女の傍らにはいつも、数々の強大な魔物を打ち倒した〝始まりの冒険者〟の姿があった。
まさに、人類の未来を切り拓いた二人。
だが元男爵令嬢だという冒険者が、本当に救ったものは。
後世には何一つ、伝わっていない。