いつかのこと
私は冬好き。そう呟かれた声は本当に小さなもので、気の利かない大人たちにあっという間に踏みつぶされてしまいそうなくらい儚いものだった。
でも、当時の私にとってはその言葉は救いだったし、今でも間違えなくそうだ。無遠慮な大人たちに潰されてしまわないように大事に今までとっておいた。
あの頃は灰色。今もそう変わらないけれど。
今思うと、小学生の頃私は親から虐待を受けていた。みんなが虐待と言われて想像する暴力的や性的なものではない。
物心がついたときから父親は家に居なかった。もっと言ってしまえば、父親という存在を知ったのは物心がついてから大分経ってからのことである。
私が生まれてから直ぐに両親は離婚した。父の浮気が原因だったと母は言う。二十歳で私を身ごもった母は慰謝料や養育費を突っぱねて、父と一緒に住んでいたアパートを出っていったという。
女一人で子供を育てるのはそう容易なことではなかったということを私の人生が証明している。母が人生で負った傷を治療せずに放置したがために壊死した部分が私なのだ。
私が生まれてから数年母は間違えなく努力した。田舎に生まれ、ろくに学校にも行かなかった不良少女が愛する我が子のために全てを捧げたのだ。バイトを複数掛け持ちし家事をこなし、育児もこなした。
だが、そんな生活はいつまでも続かなかった。子供一人生まれたからといって二十年間生きてきた人の人格を百八十度変えれるほどの力などあるわけもなかった。いや、正確に言えば百八十度性格が変わってしまうことがあるのかもしれない。しかし、少なくとも私にそんな力はなかったし、母にそれだけの器はなかったというだけの話だ。
私が小学校に入学してから母はほとんど家には居なかった。入学してから一週間程経ったときに手渡されたピンクの紐に繋がった合鍵と冷蔵庫に入ったご飯といくつかのおかずだけが記憶に残っている。
母に対して恨みは全くない。母は母できっと私には想像が付かないほど辛い想いをしてきたのだと思う。
だから母が育児放棄したことに対して私はなにも思わない。憎しみもなければ同情もない。ごく自然と、物が時の流れとともに錆びて劣化していくように二十歳の母は子供を産み、その子のため自分の人生を削りながら生活し燃え尽きてしまったのだ。
周りの人がどうこう言おうがそんな言葉に大した意味はない。ほとんど感情や想いは言葉にする前に消えていく。
他人が捉える事実と本人が捉える事実は根本的に違うのだ。
「君の問題は幼少期にある」とゆっくりと穏やかに医師は話す。
仕事を休職してから二週間に一度通院しなくてはならなくなった。そのこと自体に特段不満があるわけでもないし、むしろ私は病院に通うことを苦だと思ったことはなかった。病院の中の消毒液の臭いや、オルゴールミュージックは普段乱雑に荒れている私の頭の中を空っぽにしてくれる。けれど、いざ通院し始めると通うのだけでも相当面倒に思えた。予約する時は早めに終わらせて、映画を観たり図書館に行ったりしてみようと思うのだが、実際は朝が来てもなかなか布団から出れずにいる。出たとしてもそこから食事を食べて、外出の準備をすることを想像するだけで疲れてしまうのだった。その時にはもう早めに予約したことを後悔している。
正直なところ生きている意味をあまり感じない。ほとんどの人が生きている意味など考えずに過ごしているだろうが、それとはやはり意味合いが少し違っている。私の場合はほとんど死んでしまいたいという感情に近い。
そのことを初めて診察に来たときに伝えたら、医師は一度仕事を休みなさいと優しく労わってくれた。
「今まで辛かっただろうね」そう医師は優しく私に投げかけるが、私には響かない。
医師が話す内容よりも、窓から差し込む太陽の光芒が綺麗だなとか、几帳面に整えられた机を見てこの人は私が考えているよりもずっと繊細な人なのかもしれないとか、そんなどうでもいいことをずっと考えていたい。
大した返事もしない私を責めることなく医師は自然と次の話へと切り替える。
「とりあえず、薬は継続して使ってみて。直ぐに効き目はないから辛抱強く使ってみるんだよ」
病院から処方箋を受け取り薬局に行き処方箋を手渡すとき私はなんだか自分が嫌いになる。
まだ、生きようとしているんだと。どこからか罪悪感のようなものがふつふつと湧き上がる。ご飯を食べるときも選んでいるときも尿意が催してトイレに駆け込むときも、まだ生きようとしている自分がとてつもなく愚かで卑猥なものに見えてしまう。
錆びた鉄に触れるのが好き。ぱらぱらと散っていく儚げな感じが好き。
このことは、きっと誰にも理解できない。理解されなくてもいい。そもそも他人の想いなど理解できるものではないのだから。
私が唯一、私のことを誇れるエピソードがある。それは小学生の頃の話であれは冬だったか秋だったか明確には覚えていない。ただ、放課後教室に残った幾人かの生徒がスエットだのセーターを着ていたから寒い季節だったということは覚えている。
当時はさほど気にもしていなかったが、今思うと私の小学校でも確かにイジメというものが存在していたのだと思う。映画や小説、ニュースで取り上げられるようなわかりやすいものではないが確かにあった。なにがきっかけなのか誰が主犯なのか、それすらも曖昧だったのかただ単に覚えていないだけなのかもしれない。
クラスの女子の中でなんとなく浮いた存在の女の子が居た。名前はもう忘れてしまった。
その子は確かにイジメの標的にされてしまってもおかしくない身なりをしていた。それは顔がよくないとかの話ではなくて、着ている服が所々汚れて居たり、身体から発せられる臭いが鼻を刺激するだとかそういった類の話だ。今思うと、彼女自身が悪いのではなく、家庭に問題があったのだろうと察することができる。私も幾度か彼女の陰口を言ったことを時に思い出し、その度に深い罪悪感を覚える。
ある放課後、幾人かのクラスメイトたちは彼女に嫌がらせをしていた。彼女の誕生日だったか、名前のどこかに冬という文字が付いていたがためにみんなが冬の嫌なことを散々罵っていた。文字にしてみると大したことのないように思えるのがまた悲しい。
「私は冬が好き」なぜだか私はそう呟いていた。誰も私の発言に反応していなかったし、もしかしたら誰にも聞こえていなかったかもしれない。その後、特にイジメは無くならなかったし彼女は中学入学後、まもなく不登校となった。
でも、これが唯一の私の誇り。なにも変わってないし、ただの自己満もいいところだが。
なぜ、こんなことを書いたかというと彼女が亡くなったという噂をつい最近、地元の友達から聞いたからだ。これはあくまで噂。本当かどうかはわからない。
この話を聞いたとき私はどこか心の奥底で安堵感を覚えた。なぜだかは上手く言葉には伝えられないが、唯一言えることは彼女のことを私は嫌いではなかったし、むしろ好んでいたということだ。
言葉に並び変えて見ようとすればするほど遠ざかっていく感情を表現したく物語を描いてみました。




