反乱
ラベール大陸の衛兵詰所の前で、屈辱以外の何物でもない敗北を味わった後。カイルは怒りを鎮め、体を休めるために付近の宿場村に泊まっていた。
怒りの方はともかくとして、人間の体である以上食事をとった方が体力は早く回復する。数日の間休んだだけだが、ボロボロになっていた体は嘘のように元に戻った。
やはりカイル自身の体は強い魔力にも順応しており、その魔力で傷んだとはいえ再起不能なほどにはならなかったようだ。
用がなくなってカイルが宿を出ようとすると、どんな人にも臆することのない宿屋の女主人がカイルに忠告した。
「最近はこのあたりで物騒な話があってね。東の部族が魔術による反乱を起こそうとしているらしいのよ。あなたも巻き込まれないように気を付けた方がいいわ」
「……そうか」
素っ気ない返事を返すものの、カイルの中の魔導書の意志はそれに大いに興味を持っていた。魔術による反乱というのは、魔術の禁止に抗議しているということ。どんな同胞がそれを率いているのかが気になり、カイルは忠告を無視して空に飛び立ち、東へと向かった。
いち早く魔導書を集めたい気持ちもあったが、魔術を使う同胞のことは無視できなかったのだろう。宿屋の女主人に飛び立つ瞬間を目撃されても、カイルは意にも返さない。
それなりの速度で空を飛び数時間。魔力の濃度が濃い地域を見つけ、彼はその土地に降り立つ。背の高い植物が生い茂る中に木造の建物が密集している不自然な場所。そこには“特有の”濃密な魔力が溢れている。
何たる偶然か、どうやらその同胞はカイルの手間を省いてくれたらしい。彼は降り立った茂みから何の策もなく堂々とその建物の密集地帯に足を踏み入れると、当然のように警戒されて、武器を持った男たちがやって来る。
無策のカイルは瞬く間に取り囲まれてしまった。だがカイルは不気味に落ち着き払ったまま、重みのある低い声で尋ねた。
「魔術による反乱を企てているというのはお前たちか?」
「なんだ貴様は!? まさかフレインの手の者か?」
「そんな名前は知らぬ。我は君主たる魔導書。質問に答えよ」
「君主たる魔導書だ? ふざけているのか? よそ者はこの集落から出て行け!」
カイルと話していた男のセリフを皮切りに、一斉にカイルに向かってくる男たち。しかし彼らは途中で足を止めてしまった。それどころか恐ろしさにおののいて腰を抜かす者もいる。
異常な事態の原因はやはりこの邪悪な魔術師だ。とはいえカイルはまだ魔術を使っていない。足止めの魔術を全員にかけてしまうのも簡単ではあるが、そんなことをする必要もなかったようだ。
それでも相手を一掃する魔術を放つ前段階で膨れ上がった膨大な魔力は空間に歪みを創り出すほどに過剰だ。同じく魔術を扱っている部族の中だからか、その光景を前にして男たちは何が起きているのかを中途半端だが理解してしまい、恐怖で動けなくなってしまったのだ。
ところがその魔力が魔術となって牙を向く前に事態は収まる。集落のリーダーが魔導書を持って現れたからだ。
三十代くらいの入れ墨を入れた大男。彼が手にしていたのは紛れもなく5界の魔導書のひとつであり、カイルの望むもの。だが当然おいそれとそれを渡すつもりはないようで、リーダーは鋭い目つきで眉根を吊り上げて敵対心を前面に出していた。
「とても強大な魔術師のようだな。その黒い魔力を一体どうやって生み出しているのか興味はあるが、俺の集落に土足で足を踏み入れてタダで済むと思っているのか?」
「貴様の集落のことなどどうでも良い。我はその魔導書を手中に収めに来ただけだ。さっさとそれを渡すが良い」
「舐めやがって……この魔導書の力があれば、どんな奴にも勝てる! 当然お前のような無礼者にもな!」
リーダーの男は魔導書を開いて何やら詠唱をし始めた。しかしながらそれではあまりに遅すぎた。詠唱を長々と行っているようでは、いくら魔導書があろうとも目前の邪悪な魔術師に対処するには役不足。なにせカイルはもう既に魔術を発動し、手下の男たちを一掃しているのだから。
【死霊崇拝】
カイルの左手の黒い本からは紫の光が溢れ出して、そこからさらに無数の魂が解き放たれる。黒い軌跡を描いて飛びまわる死者の魂は、絶望を求めて生者に容赦なく襲い掛かった。
ある者は魂に引きずられて宙に舞い、そこから地面へと叩きつけられる。とてつもない衝撃は生身の人間にはあまりにも酷で、体はグシャリと嫌な音を立て、首はあらぬ方向へと曲がって完全に折れ曲がった。
そしてある者は魂たちに体を瞬く間に切り刻まれて、四肢が体から切り離された。最後には個人を特定するのが困難になるほどに切り裂かれて、見るも無残な状態の肉塊になった。
さらにある者は魂に体を乗っ取られて、自身と仲間が持っていた武器をそれぞれ自分の肉体へと突き立てる。細身の剣は腹に突き刺さり、ナイフは肩に、矢じりは太ももに深く入り込み、そして大ぶりの大剣は胸をひと突きした後、やがて彼は目から光を失った。
リーダーの男はあまりの惨事に詠唱などもってのほかでままならず、魔導書を取り落とした。しかも完全に腰を抜かして尻もちをついている。
そこから彼が周りを見渡せば、あんなに沢山いた仲間の死体がそこかしこに転がっている。それはまさしく血の海だった。
中にはリーダーに助けを求めるように手を伸ばして死んでいる男もいて、その姿はリーダーの心を完全に沈めた。みな苦しみに満ちた表情で、血生臭さをまき散らし、新たな呪われた魂へと姿を変えている。
カイルはそんな中を何事もなかったかのように歩きだし、リーダーのすぐそばまでやって来た。
「大人しく魔導書を渡せば穏便に済んだというのに。愚かなことだ」
何も言い返せず、リーダーは拳を握りしめて地面を殴った。必死に何か喋ろうとしているようだが、無意識の内かむしろ口を閉じてしまって歯を食いしばっている。圧倒的な力の差と仲間が全滅した悲しさと絶望で目からは涙が溢れ、真下の地面をじっとりと濡らした。
カイルはそれを華麗に無視して、落ちた深緑の魔導書に手を伸ばす。ところがその魔導書は直前でリーダーに再び回収されて、彼自身はカイルから大きく距離をとって本を開いた。
「ほう、まだ抵抗をする気か。計り知れぬ愚かさだな」
「ぐっ……!」
相変わらず言葉にはならないが、精一杯の睨みから彼の対抗心は容易にわかる。そしてもう失うものがなくなったリーダーの男は、魔導書にありったけの魔力を込めて、その力をすべて捧げた。
魔力がすべて吸収されると、男は気絶して……いや、死を迎えて、地面に倒れてしまった。だが魔導書は空中に浮いたまま、不吉な力の波動を垂れ流し続けている。
カイルの面倒そうな舌打ちの直後、矢庭に魔導書から黒い影が大量に溢れ出てきた。魔導書自身が魔界と現界を繋ぐ門となって、大量の悪魔を解き放ってしまったのだ。
影たちはすぐにバラバラに散らばって、どこかへ飛んでいく。悪魔ごとに多少の違いはあれど、基本的に彼らの目的は人間に悪を囁き、心を黒く染めて、破滅させることだ。
つまり人の多い場所へとみな向かっていることだろう。少ないながらも魔力を使い果たし、命まで賭した生贄によって大量の悪魔を現世に呼んだ危険な魔導書はやがて光を失ってボトリと地面に落下した。
とりあえずカイルは魔導書を回収するが、その背後には黒い影が一つ。しかしその悪魔がカイルに言葉を発する前に、深緑の魔導書が開かれて何らかの魔術が発動する。そうすれば黒い影は完全に狂気に呑まれて、自身に破壊をもたらして消滅してしまった。
【狂気発症】
悪魔の所業を再現した魔術が、なんと悪魔自身を滅ぼしてしまった。しかしカイルはその滑稽な様すら全く意識を向けることなどなく、次なる魔導書を求めて飛び去って行った。




