ユッタ・ド・ステッテ・ケデ(ゆっくりしていってね)
「わかってると思うが、今ミヒラの庄のマタギたちはかなり殺気立ってる。理由は今見たろ? 赤梵天だ」
まるで自然そのままだった山道に、徐々に人の生活の痕跡が混じり始めた。おそらく人の住む集落が近くなってきているのだろう。
ユキオは美しい銀髪を揺らしながら、勝手知ったる様子で木立の中の道を歩いていた。
「アイツは私たちの宿敵だ。アイツがこの山に舞い戻ってきて以来、クマ以外の獣たちはめっきり減った上、もう何人もマタギたちが返り討ちに遭ってる。そして私の爺さ、先代のスカリも……」
そこでユキオは言葉を区切った。途端に、レジーナと同年代のそれにしか見えない、華奢な肩から、静かな殺気が立ち上った。
「……アンタたちも、ミヒラの庄についたら、あんまり妙な動きはすんなよ。マタギってのは骨っぽいヤツが多いんだ。変に調子に乗ったり意見したりすれば蜂の巣にされんぞ」
「蜂の巣、って……」
更にぞっとしない言葉を吐かれて、レジーナは顔をしかめた。
ユキオが背に背負った銃、あの巨獣をも一撃で屠った剣呑な代物に狙われたら、蜂の巣になる前に身体が粉々になってしまうかもしれなかった。
「そ、そういえばその銃って、何かの魔道具なの? 物凄い威力だったけど……」
「ん? ああ、鉄砲のことか?」
ユキオが少し平静を取り戻したような声で言った。
「仰る通り、これはミヒラの庄に伝わる魔道具だよ。この砲身に魔法文字を刻んであって、普通に火薬を使う銃より高威力だ。魔法的な才能がない人間でも扱えるってんで、昔はそれなりに研究されてもいたらしい。廃れちゃったけどな」
「魔法的才能がなくても扱える魔道具……そんなものがあるのか?」
イロハが少し驚いたような口調でユキオが背負った鉄砲を眺め回した。
通常、魔道具というのは、どんなにささやかであっても持ち主の魔力を奪うもので、その性能も本人の魔力量に左右されるのが常識的な話である。
無論のこと、本人に魔法の才能が皆無であれば、その人が扱う魔道具はウンともスンとも言わないことになるのだが――このシロビレとかいう銃に限ってはそうではないらしいのである。
「まぁな。山ン中で採れる特殊な鉱石を使えば、扱う人間に魔力がなくても威力は担保できる。ヴリコには鉱山なら腐るほどあるから困りゃしないよ」
「ややや、そったもんがあるんだが。そいだがらあったげ巨大なクマも一撃で仕留められるんだなぁ――」
流石に感心した、というようにオーリンが唸ると、ユキオが低い声で笑った。
「ヴリコの山の中で暮らしていくには、人間が生まれ持った才能や力なんて何の役にも立ちゃしないさ。大事なのは知恵と経験だ。自分で何でもできるなんて思い上がった考えを持つ人間はヴリコでは早死にする。山の神様はそういう驕った人間が一番お嫌いらしいからな」
なんだか、同年代の少女の言葉とは思えない言葉だった。
生まれ持った才能や力、そんなものは大自然を相手にしたら全く役に立たないという事実は、グンマーの山中で、そしてクリコを司る女神の気まぐれに翻弄され、あわや死にかけたレジーナたちも骨身に沁みてよくわかっている。
そしてつい先刻、レジーナたちはクマぐらいならスキル頼みで一捻りに出来ると過信し、危険な山道を歩く決断をして――結果、再び死にかけたのだ。
自分たちはあの山中で一体何を学んだのだろう――今しがたユキオが言った含蓄ある言葉は、そんな反省をレジーナたちに促す言葉だった。
「さぁ客人よ、いよいよミヒラの庄が見えてきたぞ」
短い沈黙が落ちたところで、ギンシロウの嗄れた声が響いた。
レジーナが顔を上げると――遥か外界を見下ろした先に、まさに山中異界とも呼ぶべき光景が広がっていた。
燃え立つような山の緑の中、長細い猫の額ほどの平地に、身を寄せ合うようにして作られた家々。
圧倒的な規模で広がる雄大な山々の横腹に、まるでへばりつくかのように拓かれた、それは切ないほどに小さな小さな集落だった。
「これが、ミヒラの庄――」
今まで自分たちが訪ねてきたどの集落よりもこぢんまりとした村と、どこまでも広がる山々のスケール感との対比に、レジーナは少々圧倒される気分を味わった。
ここでは人間の世界と山は分かたれていない、山の中に人間が溶け込んでいるのだと、見ただけでひと目でわかる。
生まれてこの方、人間のために拓かれた世界しか知らないレジーナ、そしておそらくイロハにも、その光景は正しく初めて見る光景だった。
「こ、これほどの山の中で、人間が生きていけるものなのか――?」
「何言ってんだお嬢ちゃん。平地で暮らしていくよりここの暮らしの方がよっぽどいいさ」
ユキオがからからと笑った。
「平地の人間は汗水垂らして毎日仕事仕事でちゃんと食えない人もいる。ここでは山に入りゃ食うぐらい食えるんだよ。山は厳しいけれど平等だ、ちゃんと技術と知識のある人間は生かしてくれるもんなんだよ」
「そういう言い方もできるものか……都会育ちの私には信じられん言葉に聞こえるのだが……」
「山暮らしが貧しいなんてのは都会人の幻想だよ。さぁ、ミヒラの庄に入るぞ」
ユキオがそう言った後、じろりとレジーナたちを振り返った。
「いいか、先に言っとく。こっから先は多少驚くかもしれないが妙な動きはするな。山里は余所者には敏感だ。一切の説明は私がするから口を開くな。いいか?」
いいか? と言われても、何のことやらさっぱり意味がわからない。
三人とも、その恫喝するような言葉にぽかんとしてしまった直後――ユキオが足を止めた。
レジーナは辺りをきょろきょろと振り返った。まだ村は少し行った先で、ここは道の脇に広大な木立が広がる、何の変哲もない場所だ。
ユキオがここで足を止めた真意がわからず、レジーナが戸惑う視線でその背中を見た、その途端だった。
ざわざわ――と、森がざわめいた気がした。
まるで足元から這い上がるかのように全身に纏わりつく不快な感覚――突然やってきた、その得体の知れない感覚はオーリンやイロハにも伝わっているらしく、二人ともおろおろと虚空を見上げている。
なんだ、この森には何がいる?
レジーナが道脇に広がる森を見た、その瞬間。
にゅっ、と、視界に黒く長いものが映り込み、レジーナは目だけでそれを見た。
この黒光りする鉄の棒――シロビレとかいう、ユキオが背負った魔道具の銃口が自分の鼻先に向けられているのだと気づき、頭の血液が物凄い勢いで下降した。
同時に、ざざざざ――というざわめきとともに、木立の中から一斉に影が立ち上がる気配が発した。
思わず筒先から目を離して視線を左右に振ろうとした瞬間、足元からも数体の影が立ち上がり、レジーナは声なき悲鳴を上げた。
血走った目をした男――異様な風体の男が、至近距離からシロビレでこちらを照準し、今にも引き金を引きそうな殺気を湛えてこちらを凝視している。
その目の異様さと銃口の仄暗い穴とを交互に見つめたレジーナは、凍りついたまま頭をめぐらし、周囲を見た。
自分たちを包囲した男たちは、二十人近くいただろうか。
その全員がユキオと同じような毛皮で出来た服を身に纏い、シロビレの銃口をこちらに向けたまま、身じろぎひとつしない。
こちらが咳きひとつしようものならあっという間に蜂の巣にされるであろう、あまりにも見事な包囲体勢が、一瞬で完成していた。
複数の銃口に囲まれたまま、レジーナたちは硬直する他なかった。
唯一、銃口を向けられていないユキオだけが呆れたようにため息をつき、木立の中にいた男の一人に向かって大声を上げた。
「おい、幾ら何でもこの大歓迎は失礼だろ、父さん。この人たちはお客さんだよ」
その言葉に、大木の影にいた男の顔が少し緩んだ気がした。
と、父さん? レジーナはその顔を見つめた。娘と似ていないにも程がある、物凄く強面の男が、戸惑う視線でレジーナを見た。
「客――客だと? ウチの村にか?」
「何を驚いてんだよ。それに、どっからどう見てもこの人たちはクマじゃなくて人間だろうが。ホント、今どき恥ずかしいな――。みんなもシロビレを降ろせ、早く!」
じろり、と睨むように辺りを眺め回した後、ユキオは命令口調で怒鳴った。その声の剣幕に、慌てたようなどよめきとともに、シロビレの銃口が次々と降ろされた。
思わず地面にへたり込みそうになった――否、本当にへたり込んでしまったレジーナに、強面の男がのしのしと歩み寄ってきて、申し訳なさそうに頭を掻いた。
「いやいや、申し訳なかった。まさか村にお客さんが来るなんて思っていなくてな――」
男は恐縮した面持ちで頭を下げた。
仕方ない、と言われた瞬間【申し訳なかった】という変換文字がレジーナの頭の中に浮かぶ。言い回しはともかく、謝罪されていることだけは確からしい。
冷や汗をかく男を、ユキオが思いっきり睨みつけた。
その責める視線に、男はますます縮こまった。
「全く――今どきこんなことしてるからウチの村の温泉も流行らないんだよ。本当にこの先、観光で食ってく気あんのか?」
「う、うん――悪かったって。あんまり怒るなよ、雪緒。今はみんな気が立ってるんだから仕方ないだろう……」
「いくら気が立ってるからってコレはないわ。人間とクマの見分けもつかなくなったらいよいよこの村はおしまいだよ。それに謝るなら私じゃなくてこの人たちに謝れっての」
「す、すまなかった。お客さん相手にとんでもないことをしてしまって……ちょっと気が立ってたもんでな……」
「い、いえ、誤解が解けたらいいんです……ちょ、ちょ、ちょっと驚きましたけど……」
しどろもどろに言い、いいよな? とオーリンとイロハを振り返ると、二人もガクガクと頷いた。
とりあえず勘弁してもらえた、とわかったらしい男が、困ったような面持ちでぼそぼそと言い訳した。
「本当にすまない……。何しろこの村にお客さんなんて三年ぶりで……」
「さ、三年って……それは……」
「三年前のアレがお客さんなもんかよ。山で遭難した登山客を父さんたちが村の温泉宿に拉致っただけだろ。今みたいにシロビレで脅してね」
ユキオが呆れ顔でぼやいた。
「温泉に拉致ってからも酷いもんだよ。やれクマの脳みそ鍋食わせたり、気持ち悪い振り付けでマタギ音頭だの踊ったりしてね。挙句の果てにやれサービス料だ入湯料だって名目で事ある毎に有り金むしり取って……一晩経ったらお客さんの髪の毛が真っ白になってたんだ。信じられるか? 一晩でだぞ?」
「ひ、ヒイィ……! 山賊……!」
顔を引き攣らせてのイロハの悲鳴に、男は焦ったようにユキオの発言を訂正しようとする。
「な――! あ、アレは心づくしの大歓迎だっただろう! 帰り際にまた来たいって言ってくれたの、お前も聞いただろ!?」
「そうでも言わなきゃ解放してくれないと思ったんでしょ。全く、これじゃあ百年経ったって村に観光客なんか来るわけないんだ。今回はその大歓迎はやめてね。この人たちにクマの脳みそ鍋食わせたらもう一生口利かないから」
「うぇ――!? そ、そんな! あんなに美味しいのに……!」
この強面の男、顔は怖いのに娘には頭が上がらないらしかった。とりあえずクマの脳みそを食わされる事態だけは回避したらしいことがわかって、レジーナは内心安堵した。
ユキオが盛大にため息をついた後、場の空気を一新させる大声を発した。
「さて、改めて。この村に三年ぶりにお客さんだ。アンタたちも、何もないけど温泉はある。ゆっくりしていってよ」
「たげおもしぇ」
「続きば気になる」
「まっとまっと読まへ」
そう思らさっていただげるんだば、下方の星コ(★★★★★)がら評価お願いするでばす。
まんつよろすぐお願いするす。





