オッリョオオオオオオオオオアアアアアア!!(あら、本当に本当に久しぶり!!)
「レオ――?」
思わず、レジーナはその名前をオウム返しに口にしてしまった。
そんなレジーナに構わず、ユキオは小さく震えながらワサオを見た。
「そんな……まさか生きてるなんて! レオ、私がわかるか!?」
そう言ってユキオはワサオを見つめるが、ワサオはキョトンとした顔で尻尾を振るだけだ。
しばらくそれを見つめて、ユキオが少しだけ残念そうな表情になった。
「覚えてない、か……仕方ないな。あのときのアンタはまだほんの子犬だったからねぇ。それもあんなことがあったら記憶がなくなるのも当然か……」
「ぺ、ぺっこ待ってけれでぁ。なんだやそのレオって?」
これ以上蚊帳の外に置かれるのも、正直言って気持ちのいいものではなかった。一人で盛り上がっているユキオに、オーリンが質問した。
「こいづは大陸一番の辺境のアオモリの、そこのアジガサワー湊っていう港町のフェンリルだど。そいが元はヴリコのフェンリルだってが?」
「はぁ、アオモリ? レオはそんな遠いところにいたのか……」
ユキオが驚いたようにオーリンを見つめた。
「それにしても、こんな小さいのはどうしてだ? フェンリルがこんなに小さいわけないのに」
「ああ、今は俺が魔法で小さぐすてらんだ。俺は魔導師での。三ヶ月ぐれぇ前、ワサオは少々厄介事さ巻き込まれたらしい。アオモリさ帰すために俺だちはワサオを連れで歩いでんだ」
「あの、ワサオはこの人が魔法で小さくしてるんです。アオモリにワサオを連れ帰るために旅をしていて……」
「……詳しく聞かせてくれ、旅人よ。レオ――いや、今はワサオというのか。彼は今の今までどこで何をしていたのだ?」
ブルル……と、ユキオの代わりに答えたのはギンシロウだった。
オーリンが大きく頷いた。
「ああ。ワサオはアオモリのアジガサワー湊の人気者での。そこで焼きイガ屋やってらキクヤ商店っていう店コで飼われでいだったんだ」
オーリンが、思えば初めて聞くアオモリでのワサオを語り始めた。
「あんまし詳しぐは聞いたことがねぇんだども……元々は捨て犬だが迷い犬だったどがって聞いだ気すな。そこをキクヤ商店の奥様に拾われで飼い犬になったどがって、なんだがさそったごどば聞いだ事がある」
捨て犬? あんなに巨大なフェンリルだったのに、元はそんな身分の犬だったのだろうか。
レジーナは今は犬そのものの大きさであるワサオを、今までとは違った目で見つめた。
尾を引きずるようにして歩き、耳を垂れ下げて、誰もいない雨の中の道をひとりとぼとぼと当て所なく歩くワサオ。
その姿は、今の悠々自適で気まぐれな姿からは想像できない、とても寂しく辛い光景だった。
「今でばワサオはキクヤ商店の看板犬だ。アオモリの人だぢってばワサオの背中さ乗って遊ぶんだ。今でばワサオ目当てにアジガサワーまで来る人達も多い。ワサオは有名人なんだ」
「そうか……すっかりアオモリの犬になっちゃったんだね、アンタは」
少し残念そうとも、安心したとも言えるような表情で、ユキオは眉尻を下げてワサオを見た。
その反応に、今度は代わりにオーリンがユキオに質問した。
「あー、お前の名前、ユギオでいいんだがな? ユギオ、お前ばワサオの過去のごとば何が知ってるのが」
その質問に、ユキオが何と答えようか迷ったような表情になったまま沈黙した。沈黙してしまったユキオの代わりに返答を求めてギンシロウを見ても、ギンシロウも押し黙ったままだ。
「やぱし、何があったんだな?」
「その通りだよ旅人さん。ワサオ――いや、レオは確かにこのミヒラの庄の生まれだ。それだけは間違いない」
ユキオはぽつぽつと語り出した。
「この子と最後に会ったのは私がマタギになる前のことだ。この子は私の爺さ、ミヒラの庄のスカリだったゼンジ爺さが手ずから取り上げた子なんだよ」
「スカリ? スカリって何だや?」
「マタギの頭領をスカリって呼ぶんだ。私の祖父はミヒラの庄のマタギたちをまとめる頭領だった」
スカリ。その不思議な語感の言葉が、レジーナの耳の中に消え残った。
大陸随一の腕前を誇る狩猟集団を率いる頭領――それがスカリと呼ばれる存在なのだろうか。
ユキオは静かにしゃがみ込むと、ワサオの頭を撫でた。人間たちの会話を理解しているのか理解していないのか、ワサオは黙って頭を撫でられている。
「レオは間違いなくヴリコ・フェンリルだった。この子の母親は頭が良くて落ち着いたフェンリルで、強く大きいフェンリルだった。そして父親は里一番、いや、ヴリコいちの――」
そこでユキオは明確に、ワサオの父であるフェンリルのことを口にするのを避けた。
ゆっくりと口を閉じたユキオは、少しの沈黙の後に語り出した。
「爺さは厳しい人だった。レオを里一番の男に仕上げようと、この子の目が開いたぐらいから狩りの技術を仕込み始めた。レオは小さい身体で必死に爺さの仕込みに耐えていた。本当は爺さに禁じられてたんだけど、私はレオが可哀想でねぇ。よくこっそり布団に連れ込んで一緒に寝てたんだよ」
ユキオは昔を懐かしむようにそう語った。このワサオが、プライドが高いこのフェンリルが黙って頭を撫でさせているのも、その時の記憶があるからなのだろうか。
「だんだん身体も大きくなってきて、レオは強くたくましく育っていった。けれど――そんなときだった。ミヒラの庄にアイツが現れた」
「アイツ?」
レジーナが思わず声を上げると、ユキオの背中からじっとりと殺気のようなものが立ち上り始めた。
「アイツの討伐に出た爺さは、私の目の前で身体を引き裂かれて殺された。そして私を護るために立ちはだかったこの子の父親、そして小さい身体でアイツに飛びかかっていったこの子自身も、アイツの爪にかかって――」
ふっ、と、そこでユキオの言葉が途切れた。
ワサオの頭から手を離して立ち上がり、振り返ったユキオの表情は――思わずあっと声を上げたくなるほどに凍てついていた。
「アンタたち」
「はっ――はい!」
「今日この時にレオがミヒラの庄に帰ってきたのは、爺さが巡り合わせてくれたんだと思う。それにこんな小さな身体であのクマに向かっていったこの子の資質、間違いなくヴリコを護る男たちの血を引いてる。悪いんだけど、この子の力、そしてアンタたちの力を貸してほしい。爺さの仇であるアイツを倒すために――」
ユキオの突然の申し出に、三人は顔を見合わせた。
アイツ、アイツとは何者だ? レジーナは戸惑う表情と声で訊ねた。
「あの、アイツって――?」
「それがアンタたちがイナニワで聞いた化け物の正体だよ。アイツは十年ぶりにこの山に帰ってきた渡りグマなんだ」
ユキオは凶相のまま、吐き捨てるように言った。
「アイツはミヒラの庄の百戦錬磨のマタギ連中でさえ手も足も出ない怪物中の怪物だ。このヴリコの山に牙城を築き上げ、数多のクマたちを支配下に置き、この山に血の雨を降らせようとしている狂った化け物――それが私の仇、赤ボンデンだ」
赤ボンデン? 初めて聞くような不思議な言葉に、口を開いたのはオーリンだった。
「その――赤ボンデンどがっていうクマを仕留めるために、ワサオが必要だってが?」
「ああ、ワサオはあの男の中の男の血を引いているし、何より大スカリだった爺さに仕込まれたことをきっと覚えている。里のマタギ、そして男たちが力を合わせれば、きっと赤ボンデンだって――!」
ユキオが語気を強めた、その時だった。
ふと――太陽の光が陰り、レジーナたちは何気なく顔を上げた。
顔を上げた先、鬱蒼とした木立に狭く切り取られた空に――真っ黒な闇夜と、そこにぽっかりと白く輝く三日月が見えた。
え? 月? さっき昼食を食べたばかりだし、日が暮れるのはもっともっと先である筈だった。第一、夕焼けを見た記憶がなかった
それにあの月、何だか妙に大きいし、今晩は月齢も満月に近い日のはずだ。どう考えてもおかしな光景に、レジーナは一瞬、ぽかんとしてしまった。
ハッ、と、ユキオが空を仰いだ。
「い――いけない! みんな逃げろ! ミヒラの庄まで走れ!」
その絶叫とともに、ユキオが駆け出した。
え? と呆気に取られているレジーナをよそに、ギンシロウまでもが脱兎のごとくその場を駆け出した。
「あ、ちょ――!」
「質問は後だ、旅人よ! ここは風下で我らの臭いもヤツには届かぬ! 命を捨てたくなければ我らについて走れ!」
命令口調でそう言われて、レジーナたちはまごつきながらも山道を走り出した。
一体何が現れたというのだろう。レジーナはもう一度だけ空を仰ぎ見た。
やはり、何かがおかしい。
その三日月は白くはあったけれど、本物の月とは何かが違う。
それはまるで、先程見たあの大グマの胸に輝いていたあの三日月模様のような――。
ヴリコの男たちとは、赤ボンデンとは何なのか。
そしてワサオに隠された秘密とは何なのか。
拭いきれない幾つもの疑問を胸に抱えたまま、レジーナたちはミヒラの庄に向かっていった。
「たげおもしぇ」
「続きば気になる」
「まっとまっと読まへ」
そう思らさっていただげるんだば、下方の星コ(★★★★★)がら評価お願いするでばす。
まんつよろすぐお願いするす。





