コゴロ・デ・フトバ・アヅガウ(心で人を癒やす)
「えっ、おばあちゃん――!?」
レジーナは素っ頓狂な声を上げた。
おばあちゃん、とは、自分のおばあちゃんのことか? もう何年も前に亡くなった、あのおばあちゃんだろうか。
一瞬、わけがわからず絶句してしまったレジーナの肩を、オーリンが叩いた。
「レズーナ、姉ぢゃんさ視てもらえ。こんな機会は滅多にねぇど」
広げられた茣蓙の上に正座したトキは、じゃらっ、じゃらっ、と数珠を鳴らし、既に何らかの術の準備に取り掛かっている。
そのさまを見ながらオーリンはレジーナに耳打ちした。
「イタコの降霊術――口寄せだ。イタコは亡ぐなってまった人の霊を自分に降ろして、その口を貸して会話させるんだ。姉ぢゃんの口寄せは本物だど。やってもらえ」
おばあちゃん――レジーナは在りし日の祖母の笑顔を思い出して、胸が切なさで一杯になった。
死者との会話……人間、誰しも一度は願うだろうことを実現してしまうというイタコの技。
まさか、と、もし本当なら、の両方が去来しているレジーナにふっと笑いかけて、オーリンは今度はイロハの肩を叩いた。
「さぁて、俺だはあっちさ行ってるべ。観光の続きだ」
「えぇ? 私も見たいのだが……」
イロハがちょっとビックリしたような表情でオーリンを見上げたが、オーリンは「あんまり見られっど姉ぢゃんも集中できねぇべ」と苦笑した。
「それに、まだお前に気絶されでも困るがらの。見でが、幽霊?」
「あ……いや、それは……まぁ」
「わがったなら行くど。……レズーナ、俺だはブラブラどそごら歩いてるがらな。終わったら合流すべし」
そう言って、オーリンはカワラケ地獄の奥へと歩いていこうとする。
瞬間、瞑目したまま数珠を擦り合わせていたトキの手が止まった。
「オーリン」
その声に、オーリンが立ち止まった。
「風邪ひくんじゃないわよ。大事なところは隠して寝るようにしな」
は――と、少しだけ無言になったオーリンが、ややあって苦笑した。
「姉ぢゃんこそ、風呂上がりには裸でうろづぐなや。もう人妻だねろ?」
やかましい、と一言応じたトキは、再びじゃらじゃらと数珠を擦り合わせ始めた。
姉弟はそれで何かが通じたとばかりにそれ以上は何も言うことはなく、オーリンはイロハの肩を抱いたまま去っていった。
「河原に明け暮れ野宿して、西に向いて父恋し、東を見ては母恋し、恋し恋しと泣く声は、この世の声とはこと変わり、悲しき骨身を透すなり――」
じゃらっ、じゃらっ、というリズミカルな数珠の音とともに、トキは何かの呪文を一心不乱に詠唱していた。
それとともに、先程子を失った母親のときがそうであったように、トキを中心として不可視の地場が形成され始めたのが感覚でわかる。
まるでそこに地獄の入り口が口を開け、生臭い空気とともに、責め苦を受ける亡者の悲鳴が聞こえるようだった。
「おりしも西の谷間より、能化の地獄大菩薩、動ぎ出でさせ給いつつ、幼きものの傍により、なにを嘆くか嬰児よ――」
親より先に死んだ罪を雪ぐため、地獄の畔にあるという河原で石を積む責め苦を受ける幼子たちの姿を詠ったらしい、不思議な詠唱――。
死してなお酷い苦しみを背負わされる幼子たちの哀れさを慈しむような表情で、トキは朗々と詠い上げた。
「汝らいのち短くて、冥途の旅に来たるなり、娑婆と冥途は程遠し、いつまで親を慕うとも、娑婆の親には会えぬぞよ、今日よりのちは我をこそ、冥途の親と思うべし――」
じゃらっ、と、一層鋭く数珠が擦り合わされた、その途端だった。
ぶわっ、と空気の塊がトキを中心に発し、トキの着物の袂が膨らんだ。
思わず声を上げて顔を背けたレジーナに、ややあって嗄れた声がかけられた。
「レジーナ、レジーナってば」
はっ、と、レジーナはトキに向き直った。
トキは瞑目したままレジーナに顔を向けると、ニッコリと笑った。
「あらまぁ、大きくなったねぇ。もう十年以上も経ったのかい?」
笑う時に口を隠す仕草――。
生前の祖母の癖そのものの仕草で、トキは瞑目したまま微笑んだ。
「あの頃はあんなに小さかったのに、もう背も追い越されてしまったんだねぇ……」
その声と表情は、正しく孫の成長に目を細める老婆の姿そのものだった。
レジーナはよろよろとトキの側に歩み寄ると、震える声で訊ねた。
「おばあちゃん……ラナおばあちゃん、なの?」
トキの笑顔が一層深くなり、大きく頷かれる。
「そうとも、あなたのおばあちゃん。ラナだよ、レーナ。久しぶりだね」
レーナ。その呼び方で自分の名前を呼んだのは家族の中でも祖母だけだ。
本当に――? レジーナはトキの前に跪いた。
「おっ、おばあちゃん――!」
「なんだい、折角久しぶりに会ったのに、泣いてちゃ台無しじゃないかさ」
す――と、トキの白い手がレジーナの頬をさすり、親指でレジーナの目尻を拭った。
その手を両手で取ったレジーナは、ぐすっと洟を啜った。
「おばあちゃん、私、回復術士になったよ! おばあちゃんみたいにまだ凄くないけど、人を助けてるの。知ってる!?」
「知ってるともさ、これでもずっと空の上から見ていたんだよ。見えなくても、聞こえなくても、おばあちゃんはずっとレーナの側にいたんだよ」
見ていてくれた――それだけで、その一言を聞いただけで、胸がいっぱいになった。
溢れ出る涙を拭うこともなく顔を俯けると、白茶けた地面に涙の跡がついた。
トキ――否、祖母が少しだけ不審そうな表情になったのが、気配だけでわかった。
「レーナ……」
「おばあちゃん、ごめん」
レジーナは祖母の手を握ったまま、大きく頭を下げた。
戸惑う表情になった祖母は「ちょっと……」と遠慮がちに口を開いた。
「ごめんってなにがだい? 何も謝られることはないよ」
「そんなことない!」
レジーナは大声を上げて首を振った。
「私、私、回復術士の才能がなかったの――知ってるでしょ?」
祖母は愕然としたような表情でレジーナを見つめた。
目からあふれる涙が、再会できた感動の涙から悔しさゆえの涙に変わっていく。
「おばあちゃんの孫なのに、私、スキルが回復術系じゃなかった! 私のスキル、【通訳】って、全然意味がわからないスキルで……!」
レジーナはしゃくりあげながら祖母の手を握る力を強くした。
「私、それが恥ずかしくて、おばあちゃんの顔に泥を塗ったみたいで……! どれだけ修行しても、どれだけ努力しても、私はスキル持ちには敵わない。いくら頑張っても、私、おばあちゃんみたいになれないんだって……!」
スキルが発現してからのこの五年間、一度も吐いたことのない弱音だった。
鍵をかけられた心のどこか、その中にうず高く積み上げられるままになっていた劣等感と無力感。
それがいとも簡単に開いて、偉大な回復術士だった祖母への謝罪の言葉と、とめどない弱音となって溢れてきた。
「ごめんなさいごめんなさい! 私、おばあちゃんの孫なのに、私……! 私はおばあちゃんみたいに人を助けられない。おばあちゃんみたいに凄くない。私、自分が情けなくて、カッコ悪くて、一言でもいいから謝りたくて……!」
「レーナ」
ぽん、と、レジーナの頭に祖母の手が触れた。
すべてを赦すかのような声に顔を上げると、祖母は生前そのままの表情で微笑んだ。
「それじゃあおばあちゃんもあんたに訊くよ――レーナは自分が嫌いかい?」
その言葉に、レジーナはしばらく考えて、首を振った。
祖母はますます慈愛の笑みを深くした。
「そうかい、それはよかったよ……じゃあ、レーナはあのオーリン君やイロハちゃんが好きかい?」
レジーナははっきりと頷いた。
安堵したような表情になった祖母は「それが答えさね」と笑った。
「あんたはそのスキルのおかげであの二人に出会えたんじゃないか。何も恥ずかしがることはないよ。誰にも話を聞いてもらえなかったあの子たちを、あんたは自分の才能で救ったんだ。だからあの二人だってレーナのことが大好きなのさ」
大好き? 本当だろうか。
きちんと戦闘系のスキルを発現させ、どんな困難にも果敢に立ち向かっていくあの二人に対して、自分はいつもいつも足ばかり引っ張っていないだろうか。
本当に――? と視線で訊ねたレジーナに、本当だとも、というように、祖母は深く頷いた。
「回復術士はね、傷や病気だけを治してるうちはまだ半人前にもならないのさ。本当に凄い回復術士はね、人の心を癒やす人さ」
深い経験と信念に裏打ちされた言葉で、祖母はレジーナを諭した。
心を癒やす――その途方もないことが、本当に自分にできたのだろうか。
「傷は回復術がなくても勝手に治るさ。でもね、心についた傷――寂しさや悲しさは放っておいても治らないんだよ。それをあんたが励まして、言葉を引き出して、広くて温かいところに連れ出してあげた。あの二人はちゃんとあんたに救われたんだよ。気づいていたかい?」
レジーナは首を振った。
祖母は「相変わらず鈍感だねぇ」と呆れたように苦笑した。
「レーナ、忘れちゃいけないよ。回復術士はスキルで人を癒やすんじゃない、心で人を癒やすものさ。あんたもこれから回復術士を続けるなら忘れちゃいけないよ。いつでも心を温かく、困った人は放っておかない。あんたは立派にそれができたんだ。何も負い目に感じることなんかないんだ。あんたは世界一優しい回復術士さ。おばあちゃんが保証してあげるとも」
心で人を癒やす――幼い頃のあの日、王都の下町で何度も聞かされた言葉だった。
そうだ、そうだった。自分は忘れていた。
劣等感から来る黒い思いに邪魔されて忘れていた。
人間はスキルなんかで癒せない、心でこそ人を癒やすんだった。
レジーナは服の肩口で涙を拭った。
もう二度と流さないと決めた涙を、強く、何度も拭って、洟を強く啜った。
そんなレジーナを、祖母はニッコリと笑って見つめた。
「もう大丈夫かい?」
「うん、おばあちゃん。ありがとう」
レジーナは祖母の手を再び強く握った。
「おばあちゃん、もう泣かないよ。私、もっと頑張る。いつかおばあちゃんみたいに凄い回復術士になる! 見ていてね、おばあちゃん!」
新たな決意の言葉に、祖母は安堵したように笑った。
その笑顔にやっとレジーナも笑顔を返せたと思ったとき、「おっと、長く話しすぎたかねぇ」と祖母が寂しげな表情を浮かべた。
「トキちゃんがそろそろだ、って言ってくれてるよ。レーナ、悪いけど、おばあちゃんはまた帰るよ」
祖母はレジーナの顔に再び触れ、別れを惜しむかのように摩った。
「いいかい、おばあちゃんはいつでもレーナを見守ってる」
「うん」
「見えなくても、聞こえなくても、ずっと見てるからね」
「うん」
「レーナが寂しいときは、おばあちゃんの代わりに、きっとあのオーリン君やイロハちゃんがそばにいてくれる」
「うん、うん――!」
「何があっても負けちゃダメだよ。おばあちゃんもきっとあんたを見てる。あんたはひとりじゃないんだよ、レーナ」
「うん、わかった。絶対に忘れないから!」
「それと、オーリン君が寝てる間に身体をまさぐるのはもうおよしよ? 鼻息で薄々気づかれてるからね」
「うん――うん!?」
最後の一言を聞いた途端、全身の血が逆流した。
え、そんなことまで見てたの――!?
レジーナの顔に物凄い勢いで全身の熱が集まり始めた。
最初はちょっとした遊びのつもりだったのだ。
野宿というものは得てして娯楽も少なく、山道が続けば色々と鬱憤や疲れ、その他色々も溜まってくる。
だからちょっと好奇心のつもりでぐっすり寝ているオーリンのエロ――いやいや、艶やかな黒髪を触ってみたのが始まりだった。
そのうちに髪の毛だけのつもりが頬に、頬から唇へ、唇から胸板へ、胸板からとても口に出しては言えないデリケートゾーンへ――。
気づかれていた!? そんな馬鹿な。私の指使いは完璧だったはずだ。鼻息、鼻息でバレたというのか。
今度触るときは息止めよう――刹那のうちにそんなことを考えたレジーナを呆れたように見つめて、祖母は「それじゃあね、レーナ」と別れの挨拶をした。
フッ――と、トキの身体から何かが抜け出たのが、感覚でわかった。
しばらく瞑目したまま俯いていたトキが、薄目を開けた。
「――満足した?」
「はっ、はい!」
「よしよし、ならよかった。ふぁーあ、久しぶりの口寄せは疲れるわぁ」
大きな欠伸をしながらひとつ伸びをしたトキは、ゴキ、ゴキ……と首を鳴らしてから、首だけでレジーナを振り返った。
「……触ってんの? ウチの弟」
「え!?」
「いや別にいいけどさ。……触ってんだ、寝てる間に」
「あ、いや……その、あの、ちょっとだけ……」
「ふーん、そうなんだ。ふーん……」
年頃だねぇ、などとトキにニヤニヤと意地悪く見つめられて、レジーナは消え入りたいような気持ちで地面に正座して小さくなった。
それを一層面白そうな目で見つめてから、「さて」とトキは立ち上がり、腰に手を当てた。
「宿に行くにはまだ時間もあるしねぇ……レジーナちゃん、最後に私とお話しよっか」
「たげおもしぇ」
「続きば気になる」
「まっとまっと読まへ」
そう思らさっていただげるんだば、下方の星コ(★★★★★)がら評価お願いするでばす。
まんつよろすぐお願いするす。
【VS】
最近、更新が滞っており申し訳ございません……!
原稿作業に加え、忌々しいことに仕事が忙しく、
なかなか更新作業がはかどりませんでした。
これからは今作の書籍化作業もやってきますので、
どうにも思うような更新スピードが保てなくなるかも知れません。
何卒にご了承くださいませ。





