マメスグ・シチャラガ(元気にしていたか)
イタコ様と呼ばれている女性の前に、それより少し年嵩だろう女性が跪き、しくしくと涙を流していた。
しばらく嗚咽していた女性が、やがて絞り出すように懺悔した。
「私が――私が悪かったんです。少し目を離した隙でした。気がついたときには、もうあの子は息をしていなくて――」
その懺悔を聞いただけで、その女性が見舞われた不幸と、抱えた後悔の程がよくわかった。
さっきのあの石積みを積んだのはこの人か、とレジーナがなんとなく予想すると、女性はわああっと泣き崩れた。
「イタコ様、旅の巫女様、どうか私の罪をお聞かせください! 私が、私になんの罪があったのか……私の罪が、どうしてあの子を死なせてしまったか……それを聞くことが至らぬ母であった私の努めです。どうぞ私の罪をお聞かせください、どうか、どうか……!」
女性は泣き喚きながら、汚れるのも構わずに地面に平伏した。
乳幼児の突然死――それは悲しいかなよくあることで、原因が不明な場合も多くあるのだと聞いたことがある。
それでも、この人は母親として「よくあること」とは思えなかったに違いなく、己の罪を呪わずにはいられずにここに来たものらしい。
それを聞いている人々の間にも、痛ましい沈黙が落ちたところで――茣蓙の上の女性が動いた。
手にはあの木の珠で出来た不思議なネックレスが複雑な形に絡みついており、女性が手をすり合わせる度に、じゃらっ、と鋭い音がした。
「これはこの世の事ならず、死出の山路の裾となる――」
またもう一度、女性がネックレスの珠をこすり合わせた。
途端に、周囲の空気が一変し、女性が唄う不思議な祭文の響きがなんだか刺すような鋭さを発した。
「賽の河原の物語り、聞くにつけても哀れなり、二つや三つや四つ五つ、十にも足らぬ幼子が、賽の河原に集まりて、親を尋ねてたちめぐり――」
じゃらっ、じゃらっという、ネックレスが奏でるリズミカルな音が、徐々に不思議な磁場を形成しつつあった。
まるで異界の門が口を開けたかのような、地獄の釜の蓋が開いたというような、明らかにこの世のものではない、饐えた空気。
硫黄の匂いの中に鼻をひりつかせる死の臭いが混じり始め、レジーナの肌をびりつかせて鳥肌を立てさせた。
「慕いこがるる不憫さよ、げにも哀れな幼子が、河原の石を取り集め、これにて回向の塔を積む――」
朗々と唄われた唄が、ようやく終わりを迎えたらしかった。
最後だ、というようにネックレスを鋭くこすり合わせた女性が、長いまつげを震わせて瞑目する。
まるで蓋が開いた地獄から漏れ聞こえる声に耳を澄ませるようにして、女性は長く沈黙した。
やがて――女性が目を開き、ほう、と息をついた。
そして何故なのか少し悲しそうな目をしてから、平伏する女性に向かって鋭く言い放った。
「あなたの子が死んだのは、あなたの罪によってではありませんでした。あなたの子は、自身の犯した罪によって死なねばならなかったと――そう出ました」
雷鳴の如き一言に、それを聞いていた人々がざわついた。
平伏した女性は涙と泥に汚れた顔を上げ、今聞いた言葉が信じられないというように激しく震えた。
「あの子の――罪?」
「そうです。あなたの子は貪欲の罪によって死なねばなりませんでした。それが――私が聞いた因果の全てです」
虚脱したような女性の顔が――徐々に激しい憤怒の表情になった。
今までの懺悔が嘘であったかのように、顔は青ざめるほどに豹変し、目に異様な光が宿った。
「そんな……! あ、あの子はまだ立って歩くどころか、言葉を話すことも出来なかった! う、生まれてまだ一年も経たずに死んでしまったんですよ!? そんな幼子に一体なんの罪があるというのですか……!」
必死になって食い下がった女性に、イタコの女性はますます悲しそうな顔をした。
「幼子にはなんらの罪もない、大人である我々がそう思いたいのはわかります。ですが、人間というものは生まれ落ちたその瞬間から、大なり小なり罪を犯して生きるものなのです」
「そんな! それはどういう……!?」
「それでは問いましょう。あなたのお子さんは生まれ落ちてこの方、泣いたことがなかったのですか?」
は――? と、虚を突かれたかのように女性が押し黙った。
そんなはずはない、赤子は誰だって泣くものだ、泣かぬ赤子など赤子ではないではないか。
だが、イタコの女性は静かに続けた。
「泣かぬ筈はありません、よね? 赤子は誰でも泣くものです。もっと乳をよこせ、おしめを取り替えろ、眠いから寝かせろ――言葉が話せない代わりにそうやって泣くのです。言葉が話せないからといって罪を犯せないわけではないのですよ。あなたはもとより何の罪も犯してはいなかったのです。罪を犯していたのは――子である方だった」
イタコの女性は静かに続けた。
「あなたのお子さんはたまたま、その欲が人より強かった。あなたの乳房にしゃぶりつきながら、もっと寄越せと小さな手で母であるあなたを叩きさえした。それは立派な貪欲の罪です。その結果人を死に至らしめるには十分な、深い深い貪りの罪であった――違いますか?」
そう言われた女性の視線が――明らかに泳いだ。
その覚えがあったのだろう。いや、母親になった人なら、誰でも経験することのはずだった。
イタコの女性が立ち上がった。
そして静かに女性の前にしゃがみ込み、その肩に手を置いた。
「いいですか、お母さん」
お母さん。その言葉に、女性の目から深い悲しみが消えた。
今までただただ懺悔する他なかった罪人の顔から、母親としての使命を帯びた顔に変わったのが……レジーナにもわかった。
「あの子はあの子の罪によって死んだ、それが因果です。決して母親であるあなたのせいではない。あの子は一人の人間として、小さな小さな一命を以てその罪を雪いだのです。立派ではないですか。まだ立って歩けないほどの幼子なのに、大人である我々よりも余程見事に責任を果たしてみせたのです。母として誰に恥じることもない、立派な子だった――そうですよね?」
女性、いや、母親は、静かに涙を流しながら頷いた。
それを見届けたイタコの女性は静かに笑った。
「お母さん、今日この時から、決して己を責めてはなりません。人に人は救えない、だが忘れぬことはできる。その子の勇敢さを忘れずに、その子の分まであなたが前を向いて生きる、それがその勇敢な子の母親としてのあなたの努めです。そのことを決して忘れてはなりませんよ、いいですね?」
はい、と女性が力強く頷き、イタコの女性の手を取って拝み上げるようにした。
全てに赦された顔で静かに嗚咽する母親の姿を、レジーナはいつまでも見つめていた。
「本当に、尊い方だねぇ……」
洟を鳴らしながら、隣りにいた小太りのおばさんが静かに目元を拭った。
「イタコ様はああやってあの世の声を聞き、我々を赦してくださる。死んだ人間に会わせてくれるだけじゃない、残されたものの心さえ癒やしてくれるんだよ。本当に本当に尊い方だよ……」
その言葉に、レジーナは生まれて初めての感動に打ち震えた。
これがイタコ、大陸を流離う尊い巫女の言葉か。
その能力を使い、見事に人の心を癒やしてみせた女性の技。
なんと尊い技なのだろう――あまりに神々しい姿に、思わずレジーナも手を合わせてしまった。
「さて、そろそろ今日の午後の霊視は終わりとしましょうか。お待ちいただいた方には申し訳ありませんが明日に繰り延べさせていただきます。どうぞお帰りください」
そのイタコの女性の声とともに、人々は三々五々と散り始めた。
レジーナがその人の流れに取り残されていると、茣蓙を丸めていた女性がふっとこちらを見た。
「おおっ、アンタはさっきの心優しい少女!」
イタコの女性はパッと笑顔になった。
覚えててくれたんだ。レジーナは何だかそのことが嬉しくて、女性に駆け寄ってその手を取った。
「すっ、凄いです! 今のその、クチヨセ……とかいう術! 私、感動しちゃいました!」
思わず食って掛かるかのように感動を伝えると、イタコの女性の方が驚いたようだった。
「そ、そうだった?」と多少ヒかれるのにも構わず、レジーナはその両手をぶんぶんと上下に振った。
「凄いです凄いです凄いです! あんなの初めて見ました! あんなに懺悔してる人も簡単に救っちゃうなんて、お姉さん、いや、お姉様は凄い人です! 尊敬しますッ!!」
思わずお姉様と呼んでしまうと、イタコの女性はまんざらでもなさそうな表情になった。
「ほほう、お姉様とは嬉しいことを言ってくれるわね。そんなに感動されちゃこっちのほうが申し訳なくなるぐらい……」
と、女性がそこまで言ったときだった。はっ、となにかに気づいた表情になった女性が、じっとレジーナを見つめた。
えっ? と驚いて固まると、女性は眉間に皺を寄せ、レジーナの顔を穴が開くほど見つめた。
「あなた……あなたは?」
「へ?」
「何よこれ……こんなの、一度も見たことない……。因果の鎖が……えっ? 切れてる……? ちょっと待って!」
何がなにやら、全くわけの分からない言葉だった。
イタコの女性はぎゅっとレジーナの手を握り、それから強く目をつぶった。
眉間に皺を寄せ、なにかにじっと集中したような表情で無言になったイタコの女性は、それから「やっぱり……」と顔を上げ、レジーナを見つめた。
「やっぱり……あなた、一度死んでるわね?」
「は?」
レジーナが呆気に取られると、女性は信じられないものを見たというように唇の色を失った。
「いわゆる臨死体験なんかじゃない、因果は確実に断ち切られたはず。なのに……なんで? なんであなたは生きてるの? それだけじゃない、断ち切れた鎖が繋がって、また違う鎖に……おかしい、こ、こんなことありえないはずなのに……!」
ど、どうしよう……レジーナは静かに焦った。
何がなんだかわからないが、自分の何かがイタコの女性を相当に混乱させているのは確からしかった。
いや、もしかするとこの人、術が凄い分ちょっとアレな人なんじゃ……レジーナが少し恐ろしくなった、そのときだった。
「ワウワウッ!」
不意に後ろから犬の吠え声が聞こえ、レジーナが後ろを振り返った瞬間だった。
ちぎれんばかりに尻尾を振ったワサオが、まるでミサイルのようにイタコの女性に飛びついた。
うわあっ!? と悲鳴を上げて尻もちをついた女性の顔を、委細構わずワサオはベロベロと舐め出した。
「うわ、ちょ……!? ちょ、何よこの犬!? 突然どうしたの!?」
「あ、す、すみません! こ、こらワサオ! 知らない人に失礼でしょ! やめなさい!」
慌ててレジーナがワサオを叱ると、ワサオがワン、と吠えた。
『トキ、トキでねぇが! やーやや、まめすぐしちゃらがよ!』
は――と、レジーナは【通訳】されたワサオの声に驚いた。
『何故こすたら場所さ! やーや、また美人さなったでねぇが! トキてばなっがながアオモリさ帰って来ねぇんだもな! 俺は寂しかったでぁ!』
アオモリ? その言葉にレジーナは驚いた。
さっきのズーズーとした訛り混じりの言葉を聞いたときの疑念が確信に変わった。
やはりこのイタコの女性――アオモリの人間か。
「あの、お姉様、トキさん、って言うんですか……?」
ワサオに揉みくちゃにされている女性が、え? と顔を上げた。
「な、なんで私の名前を……?」
「こっ、この犬、ワサオですっ! あの、アオモリの、アジガサワー湊っていう港町の、あのフェンリルなんです!」
は、とイタコの女性が呆然とワサオの顔を見た。
しばらくじーっとその顔を見て、トキ、と呼ばれたイタコの女性は「え、アンタ、ワサオ……?」とびっくりした表情を浮かべ、親指でワサオの目の上あたりをこすって目を丸くした。
「あ、確かに目に傷あるわ……。けどなんか物凄く小さくなってない? アンタそこらのゾウよりでっかかったでしょ? なんでこんな小さく……」
「あ、それはウチのオーリン先輩が魔法で……」
レジーナが委細を説明しようとしたときだった。
「おー、いたでぁ」というような呆れた声が後ろから聞こえた。
「おいレズーナ、俺らがいないうぢにどごだりさ行ぐなでぁ。探したぜぇ」
両手にバヴァヘラを持ったオーリンがこちらに歩いてきた。
そして、立ち尽くしているレジーナ、トキと呼ばれた女性に伸し掛かっているワサオ、そしてイタコの女性――と視線を移動させた。
瞬間――オーリンの顔が蒼白になり、両眼がこぼれ落ちんばかりに見開かれた。
ぐわしゃっ、と両手に握られたバヴァヘラがコーンごと握り潰され、派手に飛び散った。
「ね」
まるで感電したかのように身体を硬直させたオーリンが、それだけ絞り出した。
ね? とバヴァヘラを舐めながら、イロハが不思議そうにオーリンの顔を見上げた。
「ね」
ね……なんなのだろう。猫、寝袋、ネックレス、ネクロマンサー……?
その思いつきに至った瞬間、はっ、とレジーナの中の危険信号が発報した。
しまった――このイタコの女性、死霊術師か――!
そういえばオーリンはオソレザンでその道の修行をしたことがあり、このイタコの女性は今や大陸の有名人であるという。
もしかしたらオーリンがオソレザンにいたとき、この二人はなにかただならぬ因縁を作ったのかもしれない。
死霊術師には危険な奴も多い、そしてさっきの普通ではない反応……これは、ひょっとするととても厄介な邂逅かもしれなかった。
まさか一度目が合った途端、ここで会ったが百年目、いざ尋常に勝負勝負と再び一戦交えようとするかも――!
慌てて女性から飛び退り、戦闘態勢を取ったレジーナの背中に。
素っ頓狂も素っ頓狂なオーリンの絶叫が聞こえた。
「姉ぢゃん――!?」
彼女は――ネクロマンサーではなかった。
姉ぢゃんだったそうです。
「たげおもしぇ」
「続きば気になる」
「まっとまっと読まへ」
そう思らさっていただげるんだば、下方の星コ(★★★★★)がら評価お願いするでばす。
まんつよろすぐお願いするす。





