ジェンコ・クンデテ・ケロジャ(お金を両替してください)
三途川、という何だか物騒な名前の川を下に見ながら橋を渡ると、ぷん、と吹き渡る風に硫黄の臭いが混じり始めた。
今まで人っ子一人見なかったうら寂しい山道にチラホラ旅姿の人々が増え始めるに連れ、徐々に「地獄」の名を冠する霊場の佇まいがわかりかけてきた。
もくもくと蒸気が吹き上がる、白茶けた裸の大地。
鋭利な爪で抉られたかのように緑が消えた地面からは、ゴォーという恐ろしい音とともに蒸気が吹き上がる音がする。
足元に視線を落とすと、まるで壺のような穴にはたっぷりと泥水が溜まり、ゴポ、ゴポ……とまるで生物のようにあぶくが噴き上がっている。
ふと近くを見ると、巡礼者と思しき男性と女性が足元の石を拾い上げ、うず高く積み上げて祈りを捧げている。
カワラケやオソレザンのような北の霊場では、あのように石を積むことで故人の魂を慰めるのだ、とはオーリンの弁だ。
この荒涼とした景観、絶えず鼻孔を刺激する硫黄臭、乾ききった大地――。
一体いかなる偶然や要因が重なれば、このような奇観が地上に作り上げられるのだろう。
兎にも角にも正しく地獄の名前に違いはない、と、レジーナはその景観に圧倒される気分を味わった。
「すげぇべ? これが大陸の三大霊場のひとつ、カワラケ地獄だ」
オーリンが歩きながら説明した。
「まぁ地獄っては言っても、実際は火山活動でこうなってんだべな。モツモツど噴き上がる有毒ガスが草木を枯らしてすまうんだべ。こうすて見るどアオモリのオソレザンとほとんど一緒だな、懐かすぃのぉ」
「へぇー、オソレザンもこんな光景なんですねぇ。王都生まれ王都育ちからするとこんなところがあるだけで驚きですけど」
「まぁ規模はあっつの方がなんぼか上だべどもな。しかし賑やかだ所だなぁ。巡礼と観光の他はみんな死霊術師だべ。ホレ」
オーリンが気づかれないように顎をしゃくった先には、如何にも冒険者ですというような旅支度の青年たちが大勢たむろしている。
これほど集まられると違和感もなにもないが、彼らが着込んだ服装はみな真っ黒で、中には巨大な棺を背負っているものまである。
得てして死霊術師というものは、その色合いが喪服を連想させるためか、陰気な黒系の服装を選びがちなものだが、彼らもそのイメージに漏れていない。
真っ白に輝くような砂と岩の大地と、彼らが着込んだ野暮ったく季節感のないローブの黒の対比が強烈で、レジーナの目がちかちかした。
「しかし、お前たちも気をつけろよ。こう言ってばまともな奴には失礼だけどもよ、死霊術師には……」
「ええ、自分の世界に浸りすぎて会話が成り立たない人がたまにいる、でしたね」
それは新米冒険者なら誰でも小耳に挟む心得のひとつでもある。
レジーナが後を引き取ると、オーリンが「その通りだ」と渋い顔で頷いた。
「オソレザンにもカラスみでぇなヤツはたくさん居だったもな。あんまり死人とばっか会話してる奴ぁ、生ぎだ人間も死んだ人間も一緒くたにしやがる。中には冒険者ってだけで腕試し仕掛げでくるような頭のネジ飛んだ奴もいるがらな。ヤバそうな奴どは極力目ば合わせなや」
オーリンが小声で言った。
死霊術というのは、死者との交信や降霊術、憑依術、呪術などの、いわゆる「あの世」と繋がるための魔法技術の総称である。
それ自体はとても高度な技術体系なのだろうが、如何せん会話をする相手が死者であるためか、それとも才能のある人間は「見えてしまう」ためなのか、とかく死霊術師は独特な性格と独特な価値観の人間になりやすい。
突如空を見上げて何者かと何事か会話し出すのはまだいい方、中には生きながらすっかりとあちらの世界に魅入られてしまっていたり、気が触れてしまうものもいる。
だから冒険者の中でも死霊術師の扱いにはなかなか気を遣うのも事実で、しかもこのカワラケ地獄にはその死霊術師がわんさかといる。
これは絡まれないようにしないとな……とレジーナが思いかけたとき、くいくいと袖を引かれる感覚があり、レジーナは視線を落とした。
「レジーナ、見よ! なんだか美味しそうなものが売っておる!」
イロハが目を輝かせながら、カワラケ地獄の入り口にずらりと並んだ屋台の一角を指さした。
思わずそちらを見ると、赤、黄色、青のカラフルな日傘が目に入った。
これは――一体何を売っている店だろう。
日傘の下には円筒形の缶が置かれており、妙齢の、これまた美人なお姉さんがエプロン姿でぽつねんと椅子に座っている。
見るともなく見ていると、おそらく観光だろう客が寄ってきて、何事かお姉さんと会話を始めた。
小銭を受け取ったお姉さんが何かを取り出して手渡すと、観光客はニコニコと笑いながらそれを受け取った。
あれは――なんだろう。なんだかバラの花のような、ピンクと黄色の美しいもの――。
「おお、バヴァヘラだでぁ!」
オーリンが突如嬉しそうに言い、レジーナは驚いてオーリンを見た。
「え、今なんて言いました? バヴァヘラ……?」
「そんだそんだ! ヴリコの名物なんだぜ。レズーナ、俺がお前の荷物持ってるはんで、人数分買ってきてけねが?」
言うなり、オーリンはローブの裾から小銭を取り出し、思わず手を差し出したレジーナの手のひらに置いた。
わけがわからないなりに興味も湧いて、レジーナは背に背負った荷物をオーリンに預かってもらい、イロハと一緒に店に近づいた。
「いらっしゃい。いくつ欲しいの?」
美人のお姉さんは真っ白な歯を覗かせて笑った。
円筒形の缶を覗き込むと、秋口の今には心地よい、ひんやりとした冷気が顔を冷やした。
中には黄色とピンク色の何かが詰まっている。
「あの私、初めてで。これは何を売っているお店なんですか?」
「あらお姉さん、ヴリコは初めてかい? これはバヴァヘラっていう魔法の氷菓子さ!」
お姉さんはカラカラと笑った。
「ヴリコは山道が多いからね。昔から山の中にこれを売る店が出て、旅人はこの氷菓子を食べて山道を歩く魔力と体力を回復するんだよ」
「へぇー、氷菓子ですか。そりゃこの季節には有り難い……」
「レジーナ、早く買おう! 三つ、三つ頼む!」
イロハが待ちきれないというように、指を三本立てた。
はいはい、とお姉さんは微笑み、円筒形の缶から三角形のコーンを取り出した。
「見てなよ、ここからが魔法さ……」
お姉さんが手に持ったコーンに手をかざし、妖しい指の動きで念を込めるようにすると――見る間にコーンの上にきらきらと氷の粒が集まり、あっという間にピンクと黄色の花弁の花が咲いた。
おおおお、とイロハとレジーナは顔を寄せて歓声を上げた。
「おっ、おおおお、凄い、魔法みたい……!」
「魔法みたい、って、正真正銘の魔法だよ。ひとつ銅貨三枚だから、九枚いただくよ」
はい! と元気に応え、レジーナは自分の分の氷菓子を受け取った。
それひとつが芸術品のような、きらきら光る氷の粒で出来た美しいバラの花だ。
いただきますもそこそこに舌先で舐めると、ちり、と凍てつく冷たさがあり、なんだか懐かしいような甘さが口中に広がった。
我慢しきれずに花弁のひとつにあぐっと噛みついてみると、それだけで秋口の残暑に火照った身体から気持ちよく汗が引いていく。
それと同時に、何だか身体の奥底から力が湧いてくるような感覚がした。それはポーションを飲んだときと同じ、魔力が回復した事を示す感覚だった。
「おっ、おお……! 冷たい、甘い! しかも魔力が回復した!」
「ね? これさえあれば山道も怖くないんだよ。ささ、溶ける前にお連れさんにも持っていってあげな」
「うむ、そうしよう! おいオーリン……!」
両手に自分の分とオーリンの分を持ったイロハが元気に頷き、オーリンに向かって駆けていった。
まるで小さな子供のようなイロハの行動に思わず笑みがこぼれてしまった、そのときだった。
ぬっ――と、視界の横に、黒と金色が割り込んできた。
横目でその人物を見たレジーナは、あ、と声を上げそうになった。
黒、金色、白、赤……この猛烈にハレーションを起こしそうな色合いに、見覚えがあった。
この人は……さっき大湯滝の滝壺にいた人だ。
「お姉さん、バヴァヘラひとつ」
「はーい。ちょっと待ってね」
その人物は、何だかドスの利いた低い声でそれだけ言った。
お姉さんがせっせと氷菓子を作っているのを気だるげに待っているその人物は、視線を感じたのか、ちら、とレジーナを見た。
一瞬だけ、レジーナとその人物の目が合った。
氷菓子を食べる口が止まった。
レジーナはほんの少し、驚いた。
この人、いやこの女性……なんと美人なのだろう。
それも単に美人というわけではない。なんというか……今までレジーナが出会ったことのないタイプの美人だった。
頭はともかくとして、黒い瞳と切れ長の目、整った目鼻立ちと、まるで陽の光を知らないかのような、異様なほど真っ白い肌。
少し目元に険があるのが玉に瑕だが、通常美人と言われる類の人というよりは、まるで舶来の人形のような、エキゾチックとも言える美。
おそらくは生まれつきなのだろう黒い瞳はまるで黒曜石のようで、その色がこの大陸ではかなり珍しいこともあり、吸い込まれそうな魅力を感じた。
そして、この一枚布をそれらしく繕っただけのような、白くて腕の太い上着、首から提げられた黒光りする木の珠で出来たごついネックレスのようなものは、初めて見るものだった。
如何にこの大陸に多種多様な民族や文化があるとは言えど、今までこんな奇特な格好をしている人はレジーナもいまだかつて見たことがなかった。
「はい、銅貨三枚ね」
レジーナが女性に見惚れている横で、氷菓子売りのお姉さんがそう言った。
途端に、女性が眉間に皺を寄せた。
「げっ、三枚!? 銅貨は二枚しかないんだよねぇ……!」
「あらそうなの? 大きいのは?」
「大きいのは……ちょい待ち」
女性は手の中の小銭をひぃふぅみぃ……と数え、金貨を一枚取り出した。
「ほ、ほら金貨あった! 両替できるよね!?」
「あ、ああー……ごめんね、こっちは銅貨しかないんだよ……」
「え、えぇ、そんな……!」
女性は露骨にガッカリした表情を浮かべたが、次になにかハッと気づいた表情になった。
ん? とレジーナが見るともなくそのやり取りを見ていると、パッと女性がこっちを見た。
「あ、悪いんだけどアンタ」
アンタ、と言われて、レジーナは思わず「はい?」と間抜けに尋ね返した。
「アンタ、銀貨持ってる? お金両替してけない?」
んぇ!? とレジーナは一瞬、その言葉に仰天した。
驚いた拍子に、半ば溶けかかっていた氷菓子の雫の一滴が地面にぽたりと落ちた。
ジェンコ、クンデテ。今の言葉は……聞き覚えのある響きだった。
いや、聞き覚えがあるというより、いつもいつも聞いている響きだ。
シもスもほとんど一緒、ズーズーとしたこの訛り、これはまさか……。
驚きが表情に出ていたのだろう、あ、と女性は何かに気づいた表情になり、ゴホン、と咳払いをひとつして、言い直した。
「あ、ゴメン。お金を両替できない? 銀貨十枚ある?」
「あ、いえ大丈夫です、言い直さなくてもわかります。ちょっと待って……」
レジーナは慌てて自分のポケットをまさぐり、銀貨を十枚取り出して手渡した。
救われたような表情を浮かべた女性は「助かった、どうも!」と実に快活に礼を言った。
程なくして氷菓子を受け取った女性は、それに舌先で舐め、うっとりと顔を蕩けさせた。
二、三度、チロチロと氷菓子を味わった女性は、しばらくして再びレジーナを見て微笑んだ。
「いやぁありがとう、お陰で助かったよ。風呂上がりのコレを楽しみにしてたんだよねぇ。アンタがいなかったらお預け喰ってたわ」
「あぁいえ、このぐらいのことはなんでもないですよ。お気になさらず」
「いやいや、謙遜することはない。旅は道連れ世は情け、だよ。情けがあるのはいいことだ」
女性はゲラゲラと笑い、それからにいっと意味ありげに微笑んだ。
その笑みに何らかの迫力を感じた途端、女性はレジーナをじろじろと眺め回した。
「アンタ、見たところ死霊術師ってわけじゃなさそうね。冒険者?」
「え、ええ、王都から。ちょっと観光するかって」
「へぇ、王都! 私も昔王都にいたんだよ! 今地元に帰るところなんだ。東と北の辺境は危険も多いんだ。冒険には気をつけなよ」
「はっ、はい、ありがとうございます……」
気遣いが嬉しいというより、アレコレ一方的に話をしてくる女性の圧に圧倒された。
思わず苦笑顔を浮かべてしまうと、女性は氷菓子をベロリと舐め、何かを思いついた表情になった。
「あ、そうだ。アンタこれからカワラケを観光するなら奥の方に来てみて。もしその気ならアンタは無料で視てあげる」
「は? 視るって? 何を……ですか?」
レジーナが問い返すと、「それは後でのお楽しみ」と女性は意味深に煙に巻き、くるりと踵を返した。
「じゃ、後で必ず来てね。待ってるからさ、じゃあね」
それだけ言って、女性はすたすたと道を歩いていってしまった。
なんだか、圧の凄い人だったなぁ……レジーナは雑踏に消えて行く女性の後姿をぼーっと見送った。
それに、「視る」とはどういうことだろうか。あの人は医者? それとも、もっと別のなにかなのだろうか。
さらに極めつけはさっき女性が口走った言葉だ。ジェンコクンデテ……あの訛りは、あの訛りはまさか……。
「おいレズーナ、何すてんずな。食べ終わったら行こう」
オーリンにそう言われて、レジーナは我に返った。
なんだか釈然としない気持ちをコーンの残りと一緒に飲み下して、レジーナもようやっと踵を返した。
「たげおもしぇ」
「続きば気になる」
「バヴァヘラ……それは秋田の宝」
そう思らさっていただげるんだば、下方の星コ(★★★★★)がら評価お願いするでばす。
まんつよろすぐお願いするす。





