ワ・プリン・クデ(私はプリンが食べたい)
「先輩。先輩が物凄く、その、じょっぱりなのは私たちも知ってます」
レジーナがよくよく語りかけると、うむうむ、とイロハも腕組みしながら頷いた。
オーリンはさっきと同じ半裸状態で遊歩道に正座し、がっくりと項垂れている。
「けれどいくらなんでも沸点近くのお湯に飛び込むなんて、強情通り越してただの馬鹿チンコですよ。おかげで先輩、死にかけたんですからね?」
レジーナが言うと、オーリンは「はい……」とか細い声で同意した。
そう、あの後レジーナに回収されたオーリンは、まさに半死半生の有様だったのである。
かつてドラゴン相手にも競り勝った男が、たかが温泉に手も足も出ずにやられるとは噴飯ものだが、とにかくこのオヤス峡大噴湯は新進気鋭の無詠唱魔導師・オーリンをも呆気なくねじ伏せたのである。
東と北の辺境の大自然が秘めるエネルギーとパワーにはやはり侮りがたいものがあった。
「岩に叩きつけられた怪我の他、火傷もありました。どこの世界に温泉に入るだけでアバラが二、三本イッちまう冒険者がいるんですか。ここは山奥ですし、私が回復魔法をかけなかったら今頃大変なことになってましたよ。わかりますね?」
レジーナが叱る口調で言うと、オーリンは再び「はい……」とか細い声で頷いた。
轟音とともに噴き出てくる湯のせいで何を言っているのかはよく聞き取れないのだが、とにかくいつもの如く「迷惑です……」と呟いているらしかった。
「とにかく、もう金輪際こういう意味不明な無茶はやめてください。じょっぱりは抑え気味にお願いします。とにかく、もうこのオヤス峡の温泉は諦めましょう」
レジーナが言うと、オーリンが「えぇ……!?」と情けない悲鳴を上げた。
「ゆ、温泉さ入らねってが……!?」
「諦めざるを得ないでしょうが! これは殺人温泉ですよ! 先輩が一番わかってるはずでしょう!」
「でっ、でもお前だって、もうこの垢染みた身体嫌べよ! せ、せめて髪だけでも……!」
「あーあーもう! 何を抜かしてけつかるんですか!」
レジーナは湯が噴き出る轟音に倍する大声を張り上げた。
「またアバラ二、三本イッちまうつもりですか! もう治しませんよ! ただでさえ三日分ぐらいの魔力使ったんですから、その先輩のアバラ骨繋げるのに!」
「やんたやんた! 嫌でぁ! どうしても湯ッコさ入る! 強情張るぞ俺はァ! やんたやんたやんたやんた!」
「どこの子供ですか先輩はッ! そんなこと言ったって仕方ないでしょう! もう温泉はダメ、ダメですッ!」
「やんたやんたやんたやんた! はちみーはちみー!」
「うわ……だ、大の大人が駄々捏ねてる……! お、大人って醜い! いやだ、大人になんてなりたくない……!」
「ほらイロハもドン引きじゃないですか! 先輩のこと見て大人になりたくないって言ってますよ! 大人としてこれ以上恥ずかしいことがありますかッ!」
「やんたやんた! 大人だって駄々ぐれぇ捏ねるんだど! よっぐ見どげエロハ! お前さば大人の醜さば教えてけるでァ!」
「いやだ……! 大人って醜い! に、人間って醜い……!」
「あーもー、わけわかんない理屈捏ねないでください! イロハもこんなの見て絶望しないで! とにかく立って! もう諦める他ないんですから……!」
と……そのときだった。
ジャリ、と湿った足音がした気がして、レジーナは背後を振り返った。
見ると、麦わら帽子に野良着姿の老爺が、半ば皺に埋もれた目をぱちくりと瞬かせながらこちらを見ていた。
いかにも第一村人、と言えそうな老爺は、半裸のまま項垂れているオーリンを見て大体の事情を察したらしかった。
「あ、あ、あ……」
老爺のしわしわの口が喘ぐように動いた。
「あ、あんたたち、ここの湯は、ダメだよ」
老爺は、信じられないぐらいゆっくりとそう言った。
入浴には適さない、ということを言われたのだとわかって、レジーナは頷いた。
「え、ええ、知ってます。今まさに飛び込んで煮転がしになった芋がいるんで」
「あ、あ、あ……」
再び老爺の口が喘ぐように開閉した。
三人と一匹は老爺の次の言葉を慎重に待った。
「お、お、お、温泉ならね」
うん、と三人と一匹は頷いた。
老爺は信じられないぐらいプルプルと震えながら、スッ、と右手を前に出し、指で虚空を指した。
「こ、こ、こ、この先にね」
うんうん、と三人と一匹は頷いた。
「ゆ、ゆがね、適温のお湯がね、流れてますね、滝がね、滝ですね、滝がね……」
うんうんうん、と三人と一匹は頷いた。
老爺は口を開けたまま、すう、と息を深く吸い、三秒ほど静止してから、ようやく声を発した。
「……あるんですよぉ」
しばらく、三人と一匹は今言われたことを脳内に紡ぎ直した。
お、お、お、温泉ならね、こ、こ、こ、この先にね、ゆ、湯がね、適温のお湯がね、流れてますね、滝がね、滝ですね、滝がね……スゥーッ……あるんですよぉ。
温泉ならこの先に、適温の湯が流れてる滝があるんですよぉ……?
ほぼ同時にその結論に達した三人と一匹は色めき立った。
「おっ、おじいさん! 本当ですか!? 浸かれる温泉があるんですね!?」
「はいはい、本当ですよぉ。ありますですよぉ」
「せっ、先輩!」
「ああわがってる! 行くでァエロハ! ワサオ!」
「よぉし! 行こう!」
「ワンワン!」
三人と一匹は満身に勇を奮い起こして立ち上がった。
◆
「いやぁーこんな気持ちいいところがあるなんて思っても見ませんでしたね! ようやく人間に戻ってきた気がしますよ!」
あはははは、と、あまりの爽快感に止まらない笑い声を響かせながらレジーナは笑った。
「いやぁ本当だな。なも、あそごで強情張らなくてもこんないいどごが近くにあるんでねぇがよ」
「オーリン、あのままあそこにいたらなにか大切なものを失うところであったな」
「いやもうだいぶ失った後でしたけどね。大人の尊厳とかね」
「言うなでぁ! やいレズーナ、何してるんだばもっとチチ出へ! 盛り上がんねぇでねぇがよ!」
「先輩こそ! 先輩が開チンした方がもっと盛り上がりますよ! 出せチン!」
「か、開チン……! ち、ちゃいろいの……! ハァハァ、うッ……!」
あはははは、と、ようやく人心地ついた面々は笑った。
森を吹き抜ける風、滝から上がる水しぶき、その滝壺に渦巻く温泉に肩まで浸かると、クリコの山中で蓄積した垢も疲労も気持ちよく剥がれていくのが感覚でわかる。
レジーナたちの他にもちらほらいる人に訊いたところによると、ここは大湯滝と呼ばれている場所のそうで、この豪快に流れ落ちる水はすべて温泉水なのであるという。
ほぼ熱湯であった大噴湯とは違い、ここの入浴に適したぬるめの水温で、周囲の人々はどちらかと言えば温泉というよりも水遊びをしに来たような格好である。
きゃっきゃと水を掛け合って遊んでいる小さな子どもたちを眺めていると、ようやく人里に降りてきたのだという安堵感が静かに胸を満たして、ようやく穏やかな気持ちになった。
ふう、と溜め息をついたあたりで、レジーナは「さて」と声を発した。
「ようやく垢も流れたところで……先輩、次はどこに行きます?」
そう水を向けてみると、オーリンは少し考えるような表情になった後、「そうだのぉ……」と呻いた。
「とりあえず、クリコで食料も食べ尽くしたからの。カワラケにでも行ってみんべか」
「カワラケ?」
レジーナが慣れ親しんだ王都の語感ではない、不思議な響きの言葉だった。
ぽかんとしているレジーナ越しにイロハが「カワラケ、か……」と先回りしたような表情で頷いた。
「聞いたことがあるな、カワラケ。聞くところによると、ヴリコ最大の地獄なのであろう?」
「じ……地獄って」
地獄。その仰々しい言葉にレジーナが顔を引き攣らせると、オーリンが「その通りだ」と肯定した。
「じ、地獄って……まさかめちゃくちゃ危険なモンスターがいるから地獄って、もしかしてそういう……」
「いいや違う。地獄ってへるのは、いわんば霊場のごどだ。アオモリのオソレザンと一緒、大陸の三大霊場なんだ」
オーリンは冴えた表情で説明した。
「活火山の有毒ガスが噴き上がっていて、木も草も一本も生えてねぇ砂漠みでぇな場所……そういうのを東と北の辺境では地獄って呼ぶんだ。そういう場所は霊的な磁場も高くての、死霊術師だちの修行の場所になってるんだな」
その言葉を聞いて、レジーナも昔王都で聞いたオーリンの言葉を思い出していた。この青年はふるさとのアオモリにあるというオソレザンで、そこを支配する偉大な死霊術師・シャーマンキングの下で修行したことがあるそうだ。
話によれば少しの時間でも生き残れたのが不思議なほどシゴかれたそうだが……まぁそれは余談というものだろう。
「まぁ霊場っては言っても、実際は観光地みでぇになってるらすぃがらな。少しぐらいだば食料も水もあるべよ。そこで人里に出るまで分の補給するべ」
「それじゃあ決まりですね。この後はカワラケの地獄を目指すってことで」
「ああ、もう少し浸かったら目指してみるべし」
大体の進路が決まったところで――ふと、レジーナの視界を何かが横切った。
ん? と振り返った先、滝壺の縁をぐるりと巡る踏み分け道に――不思議なものが見えた。
なんだ? 思わずレジーナは目を凝らした。
真っ白な上着に、ひらひらしていて真っ赤で、スカートともズボンとも取れるような衣服。
背中まで伸ばされた髪とすらりとした立ち姿から、どうやら女性であることがわかる。
立ち姿といい歩き方といい、どことなく隙というものを感じさせない、剣士のような所作だが――奇妙なのはその頭だ。
あれは――人間の頭には違いないが、なんだか変だ。
全体の髪の色はどぎつい金色なのに、生え際というか、頭のてっぺんが真っ黒。
まるでプリンのカラメルソースのような色合いだが、ああいう髪色なのだろうか。
いいや……違う。レジーナは思い直した。
あれは黒髮を金色に染めているのだ。
後から生えてくる、染まっていない黒髮のせいで、まるで頭がプリンのカラメルソースのように見えているらしいのだ。
「黒髮……?」
この世界では余程珍しい黒髮に、見覚えがあった。
レジーナは女性から視線を外して、何事かイロハと談笑しているオーリンの、黒く艶やかな髪を見た。
再び視線を元に戻したときには、女性は森の奥へと消え、姿がなかった。
頭のてっぺんの黒、その下の金色、女性が着た服の白と赤――ハレーションを起こしそうな色合いの女性の存在が、何故だか気になった。
「さぁ、そろそろ上がるか。今日の昼までにはカワラケに着くべし」
そう言って滝壺から立ち上がったオーリンの言葉に、物思いを打ち切ったレジーナも頷いた。
「たげおもしぇ」
「続きば気になる」
「まっとまっと読ましぇ」
そう思らさっていただげるんだば、下方の星コ(★★★★★)がら評価お願いするでばす。
まんつよろすぐお願いするす。





