表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

61/87

ナボ・アズマスィベ(なんと心地よいのだろう)

クリコ魔高原の美しい紅葉を見ながら下山し、麓で野宿して一日。

レジーナ一行は遂にズンダー領を抜け、ようようのことでヴリコに到達した。




まだ奥深い山道を歩きながら、レジーナは顔の近くに飛んできたハエを手で追い払った。

ロクに湯浴みもしないままここまで来たせいで、身体はもう煤けるところなどないところまで煤けていた。

髪は脂と埃でべとつき、顔は垢にまみれ、饐えた匂いが身体からも服からも漂いまくっている。

イロハなどはその美しい金髪が多少くすんだのではないかと思えるほど埃まみれで、オーリンもいつもより黒ずんで見える。


ふわっ……と、山峡の道に風が吹いた。

途端に、思わず顔を背けたくなるような獣の臭いが全身から立ち上り、レジーナは顔をしかめた。

これが曲がりなりにも服を着て歩いている文明人の発する臭いだろうか。

真実、冬眠明けのクマの発する臭いである。


「温泉……温泉……」


足を引きずりながら、レジーナは我知らず呟いていた。


「温泉……温泉……」


オーリンが振り返った。

その煤けた顔に向かい、レジーナは繰り返した。




「先輩、温泉」

()温泉(ゆッコ)でねぇ」

「先生みたいなこと言わないでくださいよ」




レジーナは遠慮なく口を尖らせた。


「このままだとヴリコの人里に入れてもらえませんよ、我々。こんな垢まみれで山から降りてきたら宿取るだけで石投げられますよぉ」


レジーナは愚痴っぽく言い張った。

この状態ではとても宿を取るどころではないではない。

まずはなにはともあれ、この臭い身体をどうにかすべきではないのか。


「もう身体も痒いし頭も臭いし限界ですよ。ここはこんなクソ山ばっかりなんだから、どこかに温泉とかないんですか、もう……」


グズグスそう言うと、フフン、とオーリンが意味深に唇を持ち上げた。


「何喋ってらのやお前()。この音に聞こえた風呂(ゆッコ)マイスターの()風呂(ゆッコ)さも入らねぇでこの山道を素通りするわげねぇべや」


え……? とレジーナは驚いた。

その言葉に、イロハもはっとオーリンを見た。


「お、温泉の目星があるのか――!?」

「もぢろんだ。ヴリコには天然の湯ッコが多いんだど。しかもこごからすぐ近くだ。文字通り、浴びるほど湯さ浸かれるど」


その言葉に――むらむらとやる気が湧いてきた。

天然温泉、しかもすぐ近く――! その言葉に、死んでいた身体が再び生き返った。


「先輩、そこへ急ぎましょう! 温泉! 温泉!」

「おお、早く行こう! 温泉! 温泉!」

「ああわがってらってば。急ぐぞ、温泉(ゆッコ)! 温泉(ゆッコ)!」

「目指せ温泉! 温泉!」

「あともうひと踏ん張りだ! 温泉! 温泉!」

「もっと声張れ! 温泉(ゆッコ)! 温泉ゆッコ!」


道端でエサかなにかを漁っていたイノシシがぎょっと振り返る程の大声で温泉、温泉! と騒ぎ立てながら、レジーナたちはヴリコの田舎道を邁進した。







深い谷川に降りてゆく道に来た。

渓の流れる音が山峡に複雑に乱反射し、まるで唸り声のように聞こえてしまう。

遥かなる谷底の光景をきょろきょろと眺めながら、レジーナはオーリンを見た。


「ここが――温泉?」

「ああ、温泉だ。しかも世界に他さ例のない、珍しい温泉なんだど」


オーリンが顔の近くに飛んできたハエを追い払いながら微笑んだ。


「ここら一体の山には温泉の水脈がどこでも走ってるらすぃ。つまり辺りは温泉だらけってこどだな。中でも一番珍しいのがここ、オヤス峡の温泉だな」

「オヤス峡……なるほど、聞いたことがあるな」


イロハも顎に手を添えて考える表情になった。

と――そのとき、飛んできたハエがイロハの頭にとまって手をすり合わせた。

埃と脂で髪の金色がだいぶくすんでいるせいで、それはまるで……と思い始めて、レジーナは慌てて失礼な物思いを打ち切った。


「なんでも、谷深い道に温泉があると……ヴリコの知られざる名所であるとかなんとか……それがここか」

「ああ、そうだ。時にお前ら(おめだ)、湯浴み着は持ってらな?」

「え、ええ、持ってますけど……」

「ここらはどこでも混浴だべしの。そこらの岩陰で着替えでれ。()は……」


俺は、と言って、オーリンは大荷物をどさどさと地面に落とした。

ん? とオーリンを見ると、オーリンがいたずらを思いついた悪童の顔で振り返った。




「悪ぃども、()は先に行ってるがらよ」




え――? と驚いた途端、オーリンがローブの裾に手をかけ、スポーン! とばかりに半裸体になった。

うわっ! とレジーナは悲鳴を上げ、咄嗟にイロハの目を両手で隠した。


「わわ……!? れ、レジーナ、手を離せ! 見えないではないか!」

「せ、先輩、こんなところでダメですって! 先輩の裸体はなんだか妙にエロティックで教育に悪いんですから! 私は見ますけど! おほぉエッロ……! 蕾はほんのり桜色……!」

「おいレジーナ、手を離せ! そなた一人で楽しむつもりか、この卑怯者、手を離さんか!」

「あー気持ちいいでぁ……この垢染みた(かぷけだ)身体もすっぱ臭さ(すっけかまり)にも、もうほとほとうんざりこいでたんだ。お前ら(おめだ)は後で来い! ()が一番乗りだ!」

「い、一番乗りって……! 温泉なんてどこにも……!」

「こっちゃ来ッ! 温泉はある!」


そう言うなり、オーリンはローブを抱えたまま走り出した。

レジーナたちも咄嗟に荷物を捨て、湯浴み着だけを持って山道を走った。


「せ、先輩! どこ行くんですか!」

「ほれ見れ、レズーナ! 天然温泉だでぁ!」


オーリンが岩の奥を指した。

レジーナがそっちを見ると……物凄い光景が広がっていた。


「な、なにこれ……!?」


レジーナは思わず口をあんぐり開けた。




谷川に深く切り通された岩壁から轟音が轟き――もくもくと凄まじい量の湯気が上がっていた。

岩に大きく走った亀裂から吹き出す極太の水柱……もしかして、あれは湯だろうか?

いいや、湯に間違いはない。ここにいるだけで、吹き上がる湯気からほんのりと硫黄の匂いがするのだ。

普通は地面から湧き出てくるはずの温泉が――なんと切り立った渓谷の崖肌から真っ直ぐ横に向かって噴き出している。




オーリンが子供のように騒ぎながら説明した。


「ここがオヤス峡大噴湯だ! 温泉が岩壁から噴き出してる珍すぃ場所なんだ! まさに天然のシャワーだっきゃのぉ! 早くお前ら(おめだ)も早ぐ来い、これ浴びだらきっと答えられねぇ(こでらえねぇ)ぞ!」


天然のシャワー、オーリンのその言葉に疑いはない光景だった。

こんな奇観がこの世に存在するなんて……とレジーナが呆気にとられたのと同時に、キャホホホー! とオーリンが未開の裸族のような雄叫びを上げた。


「あっ先輩、もしかしてこれを知ってて……!」

「当たり前だぁ! 一番風呂は()がいただくでぁ!」

「あっズルい! 私たちだって……イロハ!」

「ああ、わかってる! さっさと湯浴み着に着替えて……!」




イロハがそう言ったときだった。

大噴出する湯に、いやっほうと飛び込んだオーリンの身体から激しく水しぶきが上がった。




「あっづぶあああああああああッ!!」




途端、オーリンが悲鳴を上げて遊歩道に転がった。

仰天しているレジーナたちの前で、オーリンは頭から濃硫酸をぶっ掛けられたかのように悶絶し、遊歩道を転がって川の中に落ちた。


「せ、先輩――!?」


慌ててレジーナが駆け寄ると、川からようよう顔を出したオーリンが、あああああ! と両手で顔を掻き毟った。


「目が! 目が煮えだァァァ! 熱っつ、熱っついぞこの湯! 誰がこんなごどしくさったってや!? お前()がァレズーナ!!」

「わっ、わけわかんないこと言わないでくださいよ! 先輩が抜け駆けするからでしょ! アンタが勝手に突っ込んで勝手に煮えたんでしょうが!」

「オーリン、あの看板を見ろ」


イロハのその言葉に、川に浸かったままのオーリンが顔を上げた。

湯が噴き出している地点に大きな立て看板があり、赤くて太い文字で注意書きがあった。




「えーなになに、『この噴き出る湯は摂氏98度の高熱泉であり、水圧も凄まじいため、入浴は不可能です。絶対に飛び込んだり触れたりしないでください。死の危険があります。絶対におやめください』……」




レジーナが看板を読み上げると、今まさにその湯に半裸体で飛び込んだアホな男はガックリとうなだれた。

このオヤス峡の話を噂には聞いていたのだろうが、その噴き出る湯がとても入浴には適さない温度であるとまでは――知らなかったのだろう。


折角ここまで来て……とレジーナがオーリンを憐れみの目で見ると、キッ! とオーリンの黒い瞳に意志の炎が燃えた。


「……負けでたまるか」

「え?」

畜生めが(ツボケがこのォ)……! こごまで来て温泉(ゆッコ)さも浸かれねぇってがよ! 強情(じょっぱり)ツガルもんナメんでねぇど腐れ湯ッコが! ()でば絶対(じぇってぇ)お前()に浸かってやるからなァ!」

「あ、ちょ、先輩……!」


オーリンが絶叫とともに川から這い上がり、うおおおお! という気合の雄叫びとともに、瀑布のような湯に突っ込んでいった。


どうしてそこまで――! とレジーナが驚き半分、呆れ半分でその背中を追った途端、噴出する湯に飛び込んだオーリンの身体が――バチュン、という鋭い音とともに弾き飛ばされた。


「うぇ――!?」


レジーナが悲鳴を上げる間にも、凄まじい瀑布に吹き飛んだオーリンが冗談のように宙を舞い、対岸の岩壁にビターンと激突した。




「先輩――!」




あまりのことに、レジーナは顔を覆った。


かはっ、という断末魔が聞こえた気がしたが、それがレジーナの空耳だったのかなんだったのか。

ともかく、それで完全に意識を消失したらしいことは間違いなく、岩壁から剥がれ落ちたオーリンの身体が、ドボン……と間抜けな音を立てて川に落ちた。

ピクリとも動かなくなったオーリンは、そのまま浮き沈みを繰り返しながら谷川の下の方へと流されていく。


ドラゴンをも降した男を倒すもの、それがまさか彼の愛してやまない温泉だなんて――。

諧謔的とも、皮肉とも思える光景に立ち竦むレジーナの前で、オーリンの身体は刻一刻と下流へ流されてゆく。


「たっ、大変……! 私、拾ってくる!」


そう言って、レジーナは慌ててオーリンの身体を回収しに川へ飛び込んだ。




「たげおもしぇ」

「続きば気になる」

「まっとまっと読ましぇ」


そう思らさっていただげるんだば、下方の星コ(★★★★★)がら評価お願いするでばす。

まんつよろすぐお願いするす。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
163794872.jpg?cmsp_timestamp=20211210120005

『じょっぱれアオモリの星』第1巻、2022年12/28(水)、
角川スニーカー文庫様より全国発売です!
よろしくお願い致します!
― 新着の感想 ―
温泉は、実は源泉から冷やして提供されているのだと…知る機会がないと分からないんだよなあ…(^◇^;)みんなそうだと思うよ
[良い点] 魔法で冷やすという考えに至らないオーリンが好きです。
[一言] 大きい氷の塊を魔法で打ち込めば良いのでは???
2022/03/28 21:43 退会済み
管理
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ