ハヅァ・キタドゥ(登頂成功)
「オヤマーサハツーダイ! コウゴーウドーサー!!」
その唄は、春のクリコに朗々と響き渡った。
歌詞の意味はわからないが、とにかくの気迫と声量で、オーリンは全身でその不思議な響きの唄を奏でた。
「イーツーニナーノハイ! ナームキーンミョーチョーライ!」
唄い終わってから、ほう、とオーリンは溜め息をついた。
少し駆け足気味にオーリンの背中に駆け寄って、半笑いで訪ねてみる。
「それ、アオモリの唄ですか?」
「ああ、その通りだ」
久方ぶりに故郷のことを思い出したのか、少し照れたようにオーリンは笑った。
「アオモリにはオイワキ山っていう、アオモリで一番高いお山があるんだ。この唄はお山かげ――秋の初物を山の神様に届ける時に唄う唄だ。今年も里さ初物をありがとう、お礼に来ました――そういう意味の唄だ」
「ほぅ、アオモリにはそんな風習があるのか」
実に興味深い、と言いたげに、イロハもクスクスと笑った。
「オイワキ山のお山かげはな、アオモリで一番大きな秋祭りだ。山の神様は違うがもわがんねども、この山の女神様もこの唄ば聞いで喜んでくれればいいなってさ――」
大陸最果ての地、アオモリ。
冬は何メートルと雪が降り積もる不毛の大地であると――オーリンはかつて言っていた。
長くはないだろう秋の間の実りを喜び、これから到来する長い冬を思うのだろうアオモリの人々にとって、その恵みをもたらしてくれるオイワキ山は神聖な山であったに違いない。
今の今まで長く辛い冬を忍従していたレジーナにも、アオモリの人々がその唄に込めた切ないまでの思いがよくわかった。
「よし――先輩! 私もその唄歌います!」
「私もだ、オーリン! 歌詞を教えてくれ!」
「教えるも何も、俺の真似して唄えばいいだけだ。いぐぞ――」
再び、オーリンは唄い出した。
何度か繰り返し聞いて、レジーナたちもその唄を唄えるようになるまで時間はかからなかった。
久しぶりのアオモリの唄を聞いて嬉しかったのか、ワサオまでもが遠吠えでオーリンの唄に調子を合わせた。
懺悔懺悔 六根懺悔
御山八大 金剛道者
一々礼拝 南無帰命頂礼
歌声は、朗々と春の山に響き渡った。
何度も何度も、繰り返し唄うに連れ、山はまるで喜ぶかのように春風に騒いだ。
何度唄を繰り返したかわからなくなったとき。
オーリンがふと唄をやめ、ほう、と溜め息をついた。
「あそごが山頂だいんたな――」
その言葉に、レジーナとイロハは上を見た。
まだ消え残る雪の中、丈の低い草花の間に通った踏み分け道が、なだらかに曲線を描きながら、ある一点に向かって伸びている。
あそこが――クリコ魔高原の山頂らしかった。
「よし――! あと一息だ、雪で滑るなよ!」
あと少し、あと少しだ。
どくんどくん、と、レジーナの心臓が高鳴った。
踏み分け道を黙々と歩いて――レジーナは遂に山頂に立った。
『クリコ山頂』と、誰が建立したのかわからないが、そういう標識が立っていた。
「着いた――」
それしか言えなかった。
長い忍従のし通しだった道を思い、レジーナは高い空を仰いで、大きく溜め息をついた。
それと同時に、どさっ、と、オーリンが地面に座り込んだ。否――へたり込んだ、と言ったほうがただしかっただろう。
「あー、後はもういいな。しばらく山登るのは嫌だな。オイワキ山でもこんな酷い思いしたことねぇばってな……」
オーリンは苦笑しながら周囲の光景を眺め、レジーナもつられて下界を見下ろした。
眼下には春になりつつあるクリコの雄大な裾野が広がり、遠くには数日前、食事した店が見える。
その遥か向こう、ほとんど地平線に近い場所には、春霞に霞んではいたものの、百万都市ベニーランドの喧騒までもがおぼろげに見える。
山は吹雪けば地獄だが、晴れればこれほどまでに美しく世界が見えるものだとは、レジーナは知らなかった。
ハァ、と溜め息をついて、レジーナも地面に座り込んだ。
「もう――本当に死ぬかと思いましたね。正直グンマーよりキツかったかも……」
「グンマーって、あの秘境か。そなたらは始終こんな事をしておるのか?」
「そりゃあ冒険者だからね。冒険者は冒険するのがお仕事だし」
苦笑いすると、イロハは呆れたように頭を掻いた。
「やれやれ、とんでもない人間たちについてきてしまったようだな。こんなのが日常茶飯事とは……」
「そのうちあなたも慣れるわよ。私たちは慣れちゃったもの」
「こりゃレズーナ、こんたな登山は何度やっても慣れるわげねぇべな」
口を尖らせたオーリンの言葉に、あはは……と笑ったときだった。
不意に――ぶわっと風が吹き、レジーナははっと空を仰いだ。
霧だ! クリコがまたお色直しをしようとしているらしい。
オーリンもイロハも慌てて立ち上がり、表情を固くした。
「先輩――!」
「ああ、わがってる。こごは山頂だ。また真冬になったらひとたまりもねぇど」
「ど、どうしよう! 急いで下山を――!」
「いや――とにかぐどんな季節になるのが待つべし」
オーリンが落ち着いた声で宥めた。
遥か向こうからやってきた霧がすっぽりと辺りを覆い、山頂付近の視界がゼロになる。
お願い、どうか冬には戻さないで――レジーナは組んだ手を胸に押し当て、どこかから自分たちを見ているだろう山の女神に必死に祈った。
霧に包まれて、一分も経たないときだった。
不意に、真っ白い霧がピンク色に色づき始めた。
その光景に、レジーナたちは顔を見合わせた。
「この色……これはまさか――」
イロハが何かを思いついたような表情で呟いた、そのときだった。
ぶわあっと風が吹き、あっという間に霧が吹き飛ばされた。
途端に――鮮烈な赤が視界を埋め尽くした。
「あ――」
一瞬、心臓が止まるかと思った。
これはなんと――なんと美しい光景だろう。
今まで早春だったクリコの雄大な裾野が、今度は一面に紅葉していた。
鮮やかな赤を基調とした木々の葉が穏やかな秋風に揺れ、見渡す限りの山肌に、まるで高級な絨毯のように広がっている。
魂さえ奪われてしまいそうな絶景を前に、しばらく、全員が見とれてしまっていた。
「神の絨毯――」
不意に、ぽつりとイロハが呟いた。
「クリコの全山紅葉――ズンダーではとても有名な話だ。この山の紅葉は他よりも赤が強くて、そして世界に比類なく美しいと――」
イロハはふらふらと山頂の際に歩み寄った。
思わず、レジーナとオーリンも山頂から外界を見下ろした。
目の色覚が狂ってしまったかのような赤が、より一層鮮やかになった。
「ただでさえいつ現れるかわからないクリコにおいて、この美しい紅葉が見られるのは一瞬だ。気まぐれなクリコはその御姿を滅多に顕さないと言われる。その美しいことはまるで女神が織り成した絨毯のようであると――伝説には謳われておる。この、この絶景を山頂から見下ろした人間が、この世に一体何人いるだろうか――」
まるで魔物に魅入られてしまったかのような、ぼんやりとした口調と表情でイロハは説明した。
神の織り成せし絨毯――目の前の光景は、その伝説に疑いも偽りもないことを示して有り余った。
「やややレズーナ、この山のごどば、すっかどお前のお手柄だな」
オーリンがそう言い、えっ? とレジーナは驚いた。
「耳と口がついてれば女神様にだって話が通じるってな? お前がそう喋ったでねぇが。きっと神様にお前の願いや俺たちの唄が届いだんだびの。そうでなければこいは見られねがったど、俺はそう思うでぁ」
にかっと笑ったオーリンに、そういえばそんなことを喚いたような気もしてきた。
確かに、女神様はレジーナの熱い説得に心動かされ、そしてあのお山かけの唄を聞いて機嫌を良くし、普段は滅多にお目にかかることの出来ない光景を見せてくれたのかもしれなかった。
なんだか妙なところを褒められてしまい、レジーナは「そ、そうですかね、えへへ……」と頭を掻いた。
この三日間、ロクに湯浴みもしていなかったせいで頭からはやはりフケがパラパラと落ちたが、気分は爽快そのものだった。
「さぁて、山の女神様のご機嫌が変わらねうちに、この綺麗だ光景を見ながら御山ば降りるべし。ヴリコまではあと一息だ!」
その言葉に、おう! とイロハが応じ、レジーナも立ち上がった。
最後にもう一度、もう二度と見ることはないかもしれない神の絨毯を名残惜しく振り返る。
途端に、風が吹いた。風は尾根を吹き渡って駆けてゆく。
何故か――風の中に女性の声を聞いた気がした。
気まぐれで、圧倒的で、美しい女性の笑い声を。
コロコロと変わるクリコに大騒ぎしていた自分たちを、大笑いしながら眺めていたに違いない彼女の声を。
そして最後に、己の庭の最も美しい姿を見せてくれた、それはそれは粋で素敵な女性の声だった。
やってくれるよなぁ、神様――。
なんだか無性に可笑しく感じたところで、不意にオーリンが駆け出した。
「わわ、先輩――!?」
「なんだがさ力ば漲ってきたっきゃのぉ! さぁ麓まで走って行ぐでぁ! 競争だァ!」
「あっ、卑怯だぞ! ちゃんと競争だと言ってから始めよ!」
「そんな麓まで競争なんて! 子供じゃないんですから! ああもう、転びますよ!」
「ころんだって痛くねぇでぁ! 俺が一番だ! ……あ痛て! ころんだ!!」
「あーもう、言わんこっちゃない……!」
ギャーギャーと大騒ぎしながら、レジーナたちはクリコからの下山を開始した。
タイトルの「ハヅァ、キタドゥ」はリアル青森県民でも知らないかもしれません。
この挨拶は岩木山神社の奥の院に対する挨拶だそうです。
「初物をありがとう、お礼に参りました」の意味だそうですね。
「たげおもしぇ」
「続きば気になる」
「まっとまっと読ましぇ」
そう思らさっていただげるんだば、下方の星コ(★★★★★)がら評価お願いするでばす。
まんつよろすぐお願いするす。





