ケパテ・コイヘ(いってらっしゃい)
「貴公は見送りに出なくてよかったのか」
将軍――豊かな黒髪の男が、相変わらず食事をやめない金髪の男――執政に水を向けてみた。
ぴたり、と食事の手を止めた金髪の男は――野太い溜め息を吐いた。
「我々が出たのでは、プリンセスの決意が揺らぐかもしれんだろう。ここで彼らを見送るぐらいがちょうどいい」
そう言って、金髪の男は窓の下を見つめた。
そこには、正門まで続いた広い通路を、まるで子供の徒競走のように必死になって駆けてゆく三人の若者の姿があった。
その背中を静かに見送っている金髪の男の横で、今度は黒髪の男が手元にある一枚の紙を見つめた。
『暫く留守にする。万事そなたら二人に任せた――イロハ』
相変わらず汚い字――否、普段よりももっと汚い字だった。
文字には、ペン先が何度も何度も紙を突き破った跡があった。
それどころか、中には二、三箇所、ペンが折れたと思しき逸脱がある。
自身に発現した【怪腕】のスキルをまだ使いこなせていないのは明らかだった。
きっと何度も何度も、力加減のわからない手で、苦労しながら書いたのだろう。
その下に赤いインクで捺された小さな手形を見つめて、黒髪の男はフフッと笑声を漏らした。
子供の頃は紅葉のような掌だと思っていたのに、いつの間にか随分大きくなったらしいな――。
プリンセスが子供の頃は、頭によじ登られ、この掌に髭を引っ張られるわ髪の毛を引きちぎられるわ、随分痛い思いもしたものだ。
それが今や立派に成長し、我々を振り切って広い世界に出ていこうとするなんて――子供の成長というのは本当に侮りがたいものがあった。
紙を脇に避け、足を組んで天井を見上げた黒髪の男に――不意に、金髪の男が言った。
「我々は――良い父親代わりではなかっただろうな」
「どうしたのだ急に」
いつになく感傷的な一言に、黒髪の男は半笑いの声で応じた。
「先代の大公は父子の情など解さない、冷酷なお方だった。あの子は父も母も知らずに育ったようなものだ。大公の死後は、せめて我々がその代わりになれればよかったのだろうが――」
「冗談はよせ。貴公のその仕事で何人殺めてきたか知れぬ顔で父親など。悪い冗談だ」
「そなたこそ、趣味で何人殺めてきたのか知れぬ顔をしておるではないか」
「ちょっと何を言っているのかわからないんだが」
「とぼけるな。何を言っておるのかわかっているはずだ」
いつになく真剣な口調で否定されて――黒髪の男も流石に観念した。
ぼんやりと天井を見上げながら、黒髪の男は深く頷いた。
「ああ、わかる。貴公の言っていることは――よくわかるともさ」
この十四年、プリンセスであるイロハと過ごした時間が、走馬灯のように駆け巡っていた。
その思い出をひとつずつ思い出しながら、黒髪の男は再び口を開いた。
「父親であれば、頭のひとつも撫でてやれればよかったのだろうがな。生憎我々は君と臣の関係だ。そう簡単にそうできるものでもない。本当の父子であればそうもしたのだろうがな――」
金髪の男は無言だった。
豪勢な食事を前にして、まるで虚脱したかのように空を見上げている。
このまんじりともしない空間で食事しても、普段通りに虚無とはならないことを理解したのだろうか。
「それが今や、あの子は立派に成長した。スキルの話だけではない。己で信頼できる仲間を見つけ、このベニーランドを出てゆく決意すら出来るようになった。あんなに小さかったのにな。ベニーランドからどころか、宮殿の外に一歩出るのも躊躇う臆病な子だったのに――」
広い正門前通路を駆けてゆく背中が、夜の闇に消えていくところだった。
しばらく寂しくなるな、と考えた金髪の男は、何度か無言で頷いた。
と――そのときだった。
コンコン、と部屋をノックする音が聞こえた。
入れ、と令すると、口ひげの男が恭しく腰を折った。
「プリンセスは行ったようだな」
「ええ、元気に出ていかれましたとも。ご覧になったでしょう?」
口ひげの男は柔和に微笑んだ。
そうだな、とひとまず安堵のため息をついて、金髪の男は口ひげの男を見た。
「万事、準備に抜かりはないな?」
「はい。既にベニーランド中がプリンセスの登場を待っていることでしょう」
「そうか。それでは――始めてくれ。プリンセスを盛大に送り出すのだ」
はい、と応じた男は、それきり無言で部屋を出ていった。
ほう、と何度目かの溜め息をついた金髪の男は、この数日間の騒動を思い起こして、思わず額に手をやって失笑した。
マツシマから帰ってきたプリンセスが、あの二人の冒険者についていきたがっているのは明らかだった。
きっとマツシマでそれなり以上に成長した彼女は、もっともっと広い世界を見て歩きたくなったのだろう。
随分頭を悩ませもしたが――あの子が幼い頃から一度言い出したことは絶対に曲げない強情張りなのはわかっていた。
将軍と二人で考え、それならばこれ以上なく盛大に送り出してやろうではないかと決めてから、はや七日になる。
彼らが離宮で疲れを癒やしている間、彼らが計画した見送りの案は――ベニーランド全体を巻き込む盛大なもの、実にウマーベラスなものになる予定だった。
こんな馬鹿馬鹿しいことを、たった一人のために、大真面目に企画した自分たちの親バカさ加減――。
この厳つい体躯と風貌でこんなことを考えたのが誰かに知れたら、きっと大笑いされるに違いなかった。
くくく……と失笑した金髪の男は、大きく息を吸い込んだ。
「あまり感傷にも浸っておられんぞ、将軍。あの子が帰ってきたときには、万事が平和でなければならんのだからな」
「わかっているさ、執政。我々は留守を預けられたんだ。あの子の帰る家は我々が護らねばならん。そうだろう?」
二人は顔を見合わせ、へらへらと笑いあった。
こうして執政と将軍という関係になって、もう何年になろうか。
相方、相棒、親友――それだけでは推し量れない関係であるお互いを見つめるうちに、それでもどうしようもない、我が子同然の存在が巣立っていったことへの寂しさが湧いてきた。
その寂しさに突き動かされるようにして、金髪の男は少し大きな声で言った。
「世の中に寂しいことは数多あるが、一番寂しいのは――」
金髪の男は目を閉じて、ベニーランドの夜に消えていった小さな背中を目で追った。
「――可愛い娘が旅立っていった時だな」
「間違いないな――」
その中に二人の男の一抹の寂しさをも溶け込ませながら、ベニーランドの密やかな夜は更に更けていった。
「たげおもしぇ」
「続きば気になる」
「まっとまっと読ましぇ」
そう思らさっていただげるんだば、下方の星コ(★★★★★)がら評価お願いするでばす。
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