メゴコ・ノ・チョンコ(愛されガール)
「先輩、ほらしっかりしてくださいよもう、いくらなんでもハイペースで飲み過ぎなんですよ」
「うぃ~……世界が回るじゃよ……ややや、悪いなレズーナ。真っ直ぐ歩いでらつもりだけどや……」
「全然真っ直ぐ歩けてないですよ。ほらもう、明日二日酔いになってても知りませんからね」
レジーナは小言を言いながら、ずっしりと重いオーリンの肩を苦労して支えた。
あの後、随分出来上がっていたオーリンはようようのことで潰れる気配を見せ始め、それをきっかけに宴会も終わりの雰囲気を見せ始めた。
潰れてしまったオーリンを見て、口ひげの男は最初用意してくれていた部屋へ連れて行こうとしたが、そこでオーリンがごねた。
身体が火照っている、どうしても夜風を浴びてから寝たい――。
酒の勢いもあり、こうなるとテコでも動かない強情張りがオーリンという青年である。
仕方なく足元もおぼつかない様子のオーリンに肩を貸し、広い宮殿を歩いてレジーナは外へと向かっている。
もう夜も深まっているためか、広い宮殿の廊下では誰ともすれ違うことはなかった。
結局、宴席を中座したイロハは、最後まで戻ってくることはなかった。
本当はもっとゆっくり話をしてみたかったのだが、彼女は大公息女、プリンセスなのだ。
マツシマに行っていた間、色々することも溜まっていただろうから仕方がなかっただろう。
今夜のお礼は明日、出発するときにすればいいか……と考え、オーリンを引きずって廊下の角を曲がった途端だった。
「レズーナ、黙って聞げや」
不意に――オーリンが急にしっかりした言葉でレジーナに耳打ちしてきた。
え? とその横顔を見た途端、オーリンがレジーナから肩を外し、しゃんと立ち上がって数歩歩いた。
「え、先輩――? 歩けないぐらい酔ってたんじゃ……」
「レズーナ、宮殿の人々には悪いけど……このままベニーランドば出るべしよ」
オーリンがぽつりと言い、レジーナはその背中を見た。
「ややや、すっかどこごには世話になってすまた。本当はうんと礼ば言わねばねぇども、明日になってあんまし土産だお礼だって貰っても足が重ぐなるだげだばってな」
急にさばさばした口調になったオーリンの言葉に、レジーナは目を丸くした。
「それに、今度行ぐのは王都でなくてヴリコの山ン中だ。そったら大金ば持ち歩いて落どしてもよくないべし。お前は納得でぎねぇがも知ゃねども……お礼のカネば貰うのはまだ今度でもいがべ?」
まぁ、それはそうだけれど……。
レジーナが無言を通すと、ふう、とオーリンが溜め息をついた。
「そいっだけでねぇど。今の歓迎ば見たべや。このまま明日の朝待ってれば、もすかすれば爵位だの名誉勲章だのって始まるがもわがんね。そんなごとになったらゆっぐり街も歩けなぐなるっきゃの。今のうちにさぱっとベニーランドば出はった方がいいど……」
「先輩――」
レジーナは真剣に驚いて、その背中に言った。
「先輩……先輩って、ものすっごく嘘が下手クソですね……」
えぇ? とオーリンが驚いたように振り返った。
レジーナはぎょっとしているオーリンの顔をまじまじと見つめた。
「顔に書いてありますよ、先輩。要するに、イロハと別れるのが寂しいから今のうちに振り切って出ちゃおうって、そう言いたいんですよね?」
ぎくっ――と、オーリンは視線を泳がせた。
嘘をつくのもヘタならば、図星を指されたときにごまかすのも下手くそだった。
まぁ、正直というかなんというか――レジーナはその間抜けな動揺を見て、思わず吹き出してしまった。
「もう……そういうときは強情張らないでそう言ってくれりゃいいんですよ。誰も笑いませんよ?」
「な――なんだやその顔。俺は別にエロハの事など一言も喋って――」
「はぁ、もういいです、先輩がそうしたいならそうします。頼りなくても相棒ですからね」
あはは、と全てを見透かした上で笑うと、オーリンがバツが悪そうに頭を掻いた。
どうやら、本当に今ので誤魔化しきれると思っていたらしいことがまた可笑しかった。
相変わらずこのイモ青年は可愛い所あるなぁ……とレジーナはしばらく笑い続けた。
「それに、先輩の気持ちもわかりますから。私だってあの子と別れるのは寂しいですし」
ひとしきり笑ってから、レジーナは視線を下に落とした。
この二週間、まるで実の姉妹のように仲良くなったイロハと別れる寂しさ。
それがまるで北風のように心の空虚に吹きつけるのを感じて、レジーナは頬を指で掻いた。
「あの子が冒険者なら仲間にも誘ってみるところなんでしょうけど――そりゃダメですよね。あの子はプリンセス、ズンダーの未来そのものなんですから。イチ冒険者の貧乏旅に付き合わせたら、私たち、大陸中のお尋ね者になっちゃいますからね――」
軽口を交えてみても、オーリンは無言だった。
オーリンはきっとレジーナと同じ、いやそれ以上に寂しさを感じているのかもしれなかった。
でなければ一芝居打ってまでこんなことは言い出さなかっただろう。
はぁ、と溜め息をついて、レジーナはオーリンの背中を拳で軽く叩いた。
「さ、そうと決まれば行きましょうか。抜き足、差し足で!」
雰囲気を変えるつもりで言った元気いっぱいの一言にも、オーリンはただ頷いただけだった。
そのまま、レジーナたちが宮殿の出口を目指して歩き出そうとした、そのときだった。
「何をコソコソ内緒話をしておる。丸聞こえだぞ、たわけどもめが」
背中にそんな声がかけられ――レジーナもオーリンも、はたと足を止めた。
振り返ると、例の如く腕を組み、腰に二本の木刀を差したイロハが、憤ったようなふくれっ面でこちらを見ていた。
「イロハ――」
それ以上、言葉の続けようがなかった。
先程見たときのような豪勢なドレスではなく、いつもの黄色い仕立ての服に身を包んだ、小柄な姫君の姿。
それはレジーナも見慣れた姿だったが、唯一違うのは、背中にどこかで見覚えのある鋼の剣を背負っている点だった。
「エロハ――お前、何する気だってや……!」
その佇まいを見ただけで、イロハがこれから何をするつもりでここにいるのか理解してしまったらしい。
オーリンは少し怒ったような顔と声でノシノシとイロハに歩み寄った。
「何を、とはご挨拶だな。これからそなたたちはヴリコ大森林に征くのだろう? 私も連れて行け、拒否することは認めぬ」
「何馬鹿喋ってんだや! 冗談でねぇど、連れて歩けるわげねぇべや!」
オーリンは苛立ったようにイロハを見下ろした。
「お前ば自分の立場ば忘れだってがや! 良が、お前は大公のお姫さんなんだど! こったら乞食みでぇな情けねぇ冒険者さ同行して歩くなんて喋んのは馬鹿もいいどごだずんだ! いいがらここに居ろ、な! なもお前までついで来るごどはねぇ!」
「レジーナ、簡単でいい。今の言葉を【通訳】せよ」
「えっと……とにかく冗談じゃない、って」
「ふん、どうせそんな事をぐじゃぐじゃ言っとるのだろうと思ったわ。では逆に問おう……オーリンよ、洒落や冗談で私がこんなことを考えていると――そなたはそう考えるのか」
イロハの声が低くなり、それと同時に、何かぞっとするような空気が廊下に吹き抜けた。
イロハの声に気圧されたかのように、オーリンの長身が少し怯えたようにたじろいだ。
今まで一度も見たことのない、憤怒の炎が燃える目で、イロハはオーリンの顔を見上げた。
「であればハッキリ言っておこう。そなたらが離宮で廃人同然にくつろいでおる間、ちゃんと私は悩んでおったのだぞ。大公息女として、そして一人の人間としてな。悩んで悩んで悩み抜いて――出した結論がこれだ。この結論を頭から馬鹿にすることは、いくらそなたでも赦さぬ」
威厳ある、ズンダーのプリンセスとしての声でそう言われ、オーリンも流石に顔色を変えた。
「私は確かにプリンセスとして周囲から崇敬される存在かも知れぬ。私こそがズンダーの未来の一部であるのかも知れぬ。だがな、ズンダーのプリンセスであることが、私の全てではない――そうであろう?」
まるで自分たちの何倍も大人びた大人のような口調だった。
説得ではない、オーリンやレジーナの短慮を嗜めるかのような声はまだ続いた。
「私は私であるはず。二本の足がついておってどこにでも行ける。ならば私がしばらく意志あってベニーランドを離れることになっても、それはズンダーの未来を紡いでゆくこととは矛盾しないはずだ」
「いや、それでもよ――!」
オーリンはほとほと困ってしまったかのような声で抗弁した。
それを見つめてから、イロハはやおら視線を自分の足元に落とした。
「私は――私の言葉は、アルフレッドの魂を救うことができなかった」
その言葉に、オーリンだけでなく、レジーナも息を飲んだ。
「私に、ほんとうの意味で力があったなら、アルフレッドを死なせずに済んだかもしれん。あの時、私の言葉がほんとうに人の心を捉える言葉だったなら――ううん、それだけではない。私が馬鹿でなかったら。アルフレッドの孤独を見抜き、それを癒やせていたなら、アルフレッドは、兄は――」
ぐっ、と、イロハが奥歯を噛み締めた。
それと同時に、イロハが背中に背負った剣が、鞘の中でカタカタと鳴った。
それはアルフレッドが帯びていた剣――彼の母親の、そして今や彼の形見そのものの剣だった。
「形だけの大公になって、それでなにになる。私が変わらないのであれば、またアルフレッドのような人間がズンダーに生まれることになる。私は――もう二度とあんな悲しい存在を生み出したくはない。私は……強くなりたい。兄をああしてしまった原因が地の果てにあるなら、その地の果てまでも追いかけたい。もう二度と見て見ぬ振りはしたくない」
イロハが顔を上げた。
「私は、自分がなりたいと願うものになりたい。そなたたちと旅をして、本当に力ある大公に、慈愛ある大公になりたいのだ。ダメ……かな?」
レジーナもオーリンも、しばらく無言だった。
この小さな体の一体どこに、こんな強い決意の言葉を吐かせる力があるのか。
真剣に不思議に思えるほど、イロハの今の声は澄んでいて、揺らがない芯を感じさせるものだった。
しばらく、沈黙が落ちた。
気の毒になるぐらい必死なイロハの顔を見て、オーリンが溜め息をついた。
「ダメだな。そいでばは、お前は連れて歩げね」
「オーリン……!」
「わい、そすたら顔すんな。何勘違いすてっけな。俺は何も絶対ついでくんなってば喋てねぇんずや」
え? とイロハが目を丸くした。
オーリンが足元にいるワサオを見て、それからしゃがみ込み、ゆっくりとその頭を撫でた。
「ワサオはアオモリの犬での。全部終わったら故郷のアジガサワー湊に帰してやんえばまいね。っつうごどは、おらだは最終的にアオモリに行くってごどだ。わがるな?」
わかるな? と言われても、オーリンの言葉の意味はわからなかったのだろう。
思わずポカンとした表情を浮かべたイロハに、オーリンは意味深な笑みを浮かべた。
「今からアオモリば目指せんば、ちょうどヒロサキ城の桜が満開になる頃合いだじゃな。そったな大公の使命だとかなんだとかってのは俺らパーツーには荷が重すぎるでの。もっと簡単にさ、ただヒロサキの桜ば見たいがら俺らさついで来るって喋んなら……いいぜ、止めねぇ。お前の好きにしたらいいべや」
あ、とレジーナは声を上げた。
星コなどよ、見上げでも仕方ねぇ。空でなくて地面もよっぐ見でみろ。ちゃんと同じぐらい綺麗な花コも咲いてるもんだ。ヒロサキの桜は綺麗なんだ――。
少し前、オーリンがマツシマでイロハに言った言葉だった。
手の届かない星ではなく、ちゃんと地上にある花を愛でろ。
あの心細い光量の焚き火を前にして、オーリンは確かにそう言ったのだった。
最果ての地、アオモリ。
そしてその地に咲き誇る、視界を埋め尽くさんばかりの満開の桜花――。
それを見に来るつもりなら止めない、ついてこい――その言葉はそういう意味だった。
イロハの顔が、パッと輝いた。
「見る――見るぞ! 私はヒロサキに行くのだ! 星のように美しいサクラを見る!」
イロハの元気な声に、オーリンが「決まりだなぇ」と頷いた。
やったぁ! とぴょんぴょん小躍りするイロハは、やっぱり大公息女というよりは、年相応の女の子に見えた。
「それでは――改めてよろしくだ! オーリン、レジーナ、そしてワサオ! この私、イロハ・ゴロハチ・ズンダー十四世が仲間になれば百人力ぞ! 光栄に思うがよい!」
その言葉とともに鼻息荒く胸を反らしたイロハを見て、オーリンが苦笑気味にレジーナを見た。
レジーナも思わずつられて笑ってしまうと、ワンワン! とワサオが嬉しそうに尻尾を振り回した。
「さ、そうど決まればとっとと行ぐか。ヴリコまでは遠いがらな――」
オーリンがそう言って歩き出そうとしたときだった。
「あ、ちょっと待て!」と急に真顔になったイロハがそう言い、オーリンが振り返った。
「その、な」
「なんだや?」
「ま、まぁ、マツシマでそなた、私の頭を、その――慰撫したではないか」
「はぁ? イブて?」
「なっ、なにを今更とぼけておる! 慰撫は慰撫だ! それで」
「はぁ」
「その――」
イロハはそこで多少何かを持ち直した表情になり、冴えた表情で言った。
「この大公息女の頭を犬コロ同然に慰撫するとは――無礼千万と言えば無礼千万の所業、衆目環視の状況下であれば不敬も不敬として素っ首叩き落されて然るべき行いである。だが正直、あの時私はそなたの行動に悪い印象は抱かなんだ。多少嬉しかったとさえ言ってやってもよい。そなたがその気であるなら、また折を見てこの頭、慰撫されてやることにやぶさかではないが――どうだ? よく考えて返答するがよい」
よくもここまで巧みな言い回しが出来るもんだと感心するほど、イロハの言葉は遠回しで、素直ではなかった。
レジーナとオーリンは顔を見合わせ、ワサオが発するハッハッという呼吸音だけが宮殿の廊下に響き渡った。
しばらく沈黙して――その沈黙に耐えきれなくなったのはイロハだった。
だあああ! とむしゃくしゃしたようにイロハは地団駄を踏み、プイッと顔を背けてしまった。
「もうよい! 今言ったことは忘れろ! 全く、このニブチン冒険者め……!」
「なんだ、要するに頭ば撫でろってごどがい」
ぽんっ、とオーリンの右手がイロハの頭に回った途端、イロハの顔がポポッと紅潮した。
「エロハ、今日がら俺どレズーナがお前の兄貴ど姉貴だ。こんたのでよげれば何度でも撫ででけるっきゃの」
ぐりぐりぐりぐり、と美しい金髪をもみくちゃにするかのように、オーリンの手がイロハの頭を撫でた。
何も言うことなく、黙って頭を撫でられているイロハが物凄く可愛く思えて、だんだんレジーナも辛抱たまらなくなってきた。
「おいレズーナ、なにぼさらどすてんだば! お前もエロハの頭ば撫でろ!」
「はいっ、喜んで!」
「な、いやそこまでは……!」
「よぉ~~~~~しよしよしよしよし! イロハ、これからよろしくね!」
「よぉ~~~~~すよすよすよすよす! 可愛い子可愛い子!」
「なっ、や、やめんか! 髪が、髪がほつれる! なにもここまでしろとは言っとらん! やめんかたわけども! ワサオ、顔を舐めるでない! んあああああ!!」
二人と一匹がかりでもみくちゃにされたイロハが悲鳴に近い声を上げるのが、しばらく宮殿の廊下を騒がせ続けた。
ズーズー弁丸出しの無詠唱魔導師と、その【通訳】を務める新人回復術士。
彼らが初めて迎えた人間のパーティメンバー、《大公息女》イロハ・ゴロハチ・ズンダー十四世。
彼らが生きた時代より更に後、東と北の間より集いし六人の賢者たち――通称「東北六賢」と称され、伝説となる最初の一人が、こうして無事パーティに加入した。
古式ゆかしきパーティ就任式です。
「たげおもしぇ」
「続きば気になる」
「まっとまっと読ましぇ」
そう思らさっていただげるんだば、下方の星コ(★★★★★)がら評価お願いするでばす。
まんつよろすぐお願いするす。





