ブダ・ノ・アガンボ(豚の赤ちゃん)
「はぁ? ノゾキ――?」
「何をキョトンとしてるのよ。ノゾキって知らないの?」
「知っとるが、女が男湯を覗こうとする動機は知らんぞ」
イロハは困惑丸出しの表情を浮かべた。
ふん、とレジーナは鼻息を荒くした。
「だっていつも覗かれるのが女湯だけなんて不平等じゃない。たまには女が男湯を覗いたってバチなんか当たらないわよ。それに先輩だって同じこと考えてるかも知れないし。覗かれる前に覗くのよ」
「それは一体どういう理屈なのだ……?」
「それに相手はどうしたって先輩一人と犬一匹よ。いいじゃない相棒なんだから。相棒の棒を覗くぐらい減るもんじゃないわよ」
「それはそうだが……。いや、それはそうなるのか……? っていうか棒って……」
「いいからほら! イロハも協力しなさい!」
そう言うと、渋々、という感じでイロハが垣根の前に来た。
一応、タオルを身体に巻きつけ、レジーナは葦簀の中に指を突っ込んでなんとか隙間を開こうとするが、葦簀はなかなかに頑丈だった。
どこかのぞき穴のような隙間は……とあちこちを見てみたものの、生憎どこにも破れやほつれはない。
隙間がないなら上から……と思ったが、葦簀の垣根は二メートルほどの高さがある。
足をかけてよじ登る場所を探してはみたものの、踏み台になりそうなものは何もなかった。
かといって生け垣は竹の支柱で支えられているだけで、これに直接足をかけて登ることもできない。
「くそっ、ダメかぁ……」
「レジーナ……そなたはあくまでも諦めるつもりはないのか」
「ないわね」
即答すると、ハァ、とイロハが呆れたように溜め息をついた。
それを見ていたレジーナの頭に……ひらめいたものがあった。
「そうだ、肩車!」
「はぁ?」
「私がイロハを肩車すればいいのよ! そうすりゃ上から覗けるでしょ!」
その言葉に、イロハがキョトンとした表情を浮かべた後、まさか、という表情になった。
「えっ、覗くのは私なのか?」
「えっ、嫌なの?」
「ま、まぁ、嫌? ではないが……」
「興味がない?」
「興味……」
その言葉に、イロハが少し視線を明後日の方向にそらし気味にした。
ここだ、と察知したレジーナは畳み掛けた。
「たくましい胸板、六つに割れた腹筋、無骨な身体つき……」
まぁ実際、あのイモ青年の身体がそこまで彫像のように完成されているかは見てみないとわからないが、そんなものはリップサービスのうちだ。
あることないこと並べ立てると、イロハの顔がほんの少し紅潮した。
揺れている――目を見ればわかる。
「浮き出る血管、セクシーな場所にセクシーに走る傷跡、濡れて官能的にぬらつく鎖骨、髪の毛から滴る水滴……」
っつ――、と、イロハが手で口元を覆った。
興味がない、とはとても言えなさそうな表情だ。
ニヤリ、とレジーナは笑った。
「どうする?」
「き……興味、興味は、ある」
「決まりね」
「だっ、だが、見るのはレジーナからだ。私は今少し気持ちの整理が必要なのだ」
えっ? とレジーナは少し驚いた。
「私がそなたを肩車しよう。それでそなたがその目でオーリンの全裸体を見て、これはまさしく見る価値のあるものだと思ったら――その時は、その時は改めて、私にもその機会をくれないか」
まるで特攻を決意した戦士のような口調で、イロハは重々しく告げた。
そりゃこっちは構わないが――流石のレジーナも少しためらった。
「え――いいの? プリンセスが一般市民の下になるのよ?」
「そんなものは承知の上だ。必要な犠牲……その決断ができるのも私だけだ」
「私はそりゃ構わないけど……あなた、そうするだけの力は……ああ、そうだったわね」
「自分のスキルをこんな助平なことに使うのは申し訳ない気もするが……そなたを肩車するぐらい、今の私には造作もない事だ。そうであろう?」
イロハの目から、迷いが消えた。
それは死地に赴こうとする戦士の目――それなり以上の修羅場を掻い潜ってきた者しか持つことの出来ないだろう眼差しだった。
「決まりね」とレジーナはその覚悟に応えるつもりで頷いた。
「そ、それでは早速……レジーナ、足を開け」
「う、うん……」
レジーナの足の下にイロハの美しい金髪が来た。
そのまま、ぐっ……と力が入ったと思った瞬間、意外なぐらい簡単に身体が持ち上がった。
「おっ、おおっ――」
「どうだ、首尾は上々か」
「オッケーオッケー。十分よ。イロハ、もう二歩前進」
「わかった。床が滑るので慎重に行くぞ」
まるで作戦行動を展開するかのように、二人は密やかに会話を交わした。
レジーナの手が――垣根の上に回った。
そのまま身体を引き寄せ、女の自分には正しく禁足の聖域であろう男湯の空間に顔を突き出した。
「ど、どうだ?」
「待って。湯気が立ち込めててよくわからない。風風風風――」
念じるように呟くと、ふわっ、と夜風が吹き渡り、湯気が吹き散らされる。
どこだ、オーリンはどこだ――と探すと、意外なほど近くにオーリンがいた。
「あー、最高だでぁ……なぁワサオ?」
ワフゥ、と、頭の上にタオルを乗せたワサオがトロンとした目で応えた。
レジーナは完全に油断しているらしいオーリンを凝視した。
おお、これは――。
レジーナの血圧が、静かに上昇を始めた。
このイモ青年、どうしてなかなか、身体つきがしっかりしているではないか。
魔術師というものは概して肉体労働を嫌う傾向にあるが、影で隠れて地道に筋トレでもしていたのだろうか。
脂肪や弛みというものを一切感じさせない、引き締まった筋繊維の束で編まれたような――予想を上回って完成された裸体である。
「おぅフ――」
レジーナは漏れ出てくる溜め息を既のところで飲み込んだ。
覗かれていることなど露知らず、らしいオーリンは、そこで左手で自分の髪を掻き揚げ、はぁ、と熱い溜め息を漏らし、よく見れば長いまつ毛を震わせて目を閉じた。
腕から滴った水滴がオーリンの黒髪を濡らし、カラスの羽の如くに、てらてらと月明かりに輝いた。
この世界ではよほど珍しい黒髪だが、水に濡れるとこんなにエロ――いやいや、艶めかしいものだとは知らなかった。
髪をかきあげた時に腕に浮き出た筋肉も、なんだかひくひくと動いていて、生物的なものを感じて心臓に悪い――あ、乳首の横にホクロ発見。
「おおお……うほぉ……!」
自分の耳にも聞こえるほど、鼻息が荒くなってきた。
生まれてこの方、男の裸体などは父親のソレしか見たことのないレジーナである。
ほぼ初めて見る同年代の異性のあられもない姿に興奮するのも無理はなかった。
何度も何度も目をこすり、オーリンの裸体を好き勝手鑑賞する。
くそっ、湯気でそうなっているのか、まだ消え残っている理性が脳に認識させないのか、この位置からではオーリンの一番大事な部分がよく見えないではないか。
さっきまで極楽だとばかり思っていた、少し濁り加減の湯が、こんなに憎たらしく思えることはなかった。
「おおお……ぬおおおお……!」
人間が見ること、観察することのために死ぬことがあったならば、このときのレジーナは死んでいたかもしれない。
レジーナは今や全身を目にして、相棒の無防備な姿を観察するためのひとつの器官と化していた。
その唸り声を聞いて、イロハがたまらず叫んだ。
「どっ、どうなのだレジーナ!? そっ、そんなによいものなのか!?」
「いい、いい……! 凄くいい……! エッロ……!」
「そっ、そろそろ代われ! 今度は私が覗く! 下ろすぞ、よいな! 下ろすぞ!」
「まっ、待ってイロハ! お願い、あと少し、せめて先輩の本丸を落とすまで……!」
「本丸を落とすまでにいくらかかるのだ! 籠城戦には時間がかかる! 待っていられない!」
そう言って、イロハの身体が沈んだ。
あっ、待って――! 楽園追放に抗議する声を上げたレジーナは、たまらず垣根にしがみついた。
それがいけなかった。
一瞬でもレジーナの全体重を受け止めた垣根がたわみ、それを支えていた竹の支柱が呆気なくボキリと折れた。
「あっ――!」
思わず、レジーナは悲鳴を上げた。
その声に、はっとオーリンが顔を上げ――一瞬、バッチリと目が合ってしまった。
「れ、レズーナ……!?」
一瞬の浮遊感を感じた後、垣根は男湯の方向に倒れ始めた。
うわわわ……! と悲鳴を上げる間にも、垣根は容赦なく傾ぎ――遂に飛沫を巻き上げながら湯の中に倒れた。
ドボーン! という衝撃とともに、鼻から思い切り水を吸ってしまった。
つん、と鼻の奥に痛みを感じたレジーナは、手足をばたつかせてなんとか水面から顔を出した。
「う――! うぇぺぺ……! げほ、げほげほっ……! う、やだぁ……!」
激しく咳き込むと、ようやく人心地がついてきた。
レジーナが掌で拭いた顔を上げたところに――奇妙な物体があった。
「なにこれ……?」
思わず、レジーナはそれをよくよく観察した。
赤……否、茶色いのか、これは。
なんだか感じとしては、生まれたばかりの豚の赤ん坊のようなもの。
なんだか柔らかいような硬いような……よくわからない。
思わず人差し指でつんつんとつついてみると――指先に今まで一度も感じたことのない感触が伝わった。
「れ――!」
途端に、そんな悲鳴が頭の上から降ってきた。
ん? と顔を上げると――まるで熟れたリンゴのように真っ赤になったオーリンの顔があった。
え――!? と、全身の血液が沸騰した。
まさか、まさかこの豚の赤ん坊って……! とレジーナがその正体に思い当たる前に、オーリンが両手でそれを隠し、物凄い勢いで後退りした。
「レズーナ! ばっ――馬鹿たれこのォ――!! な、な、ななな、何すてらんだばお前! おっ、おお、お、男湯ば覗いでらったのが!」
え、今触ったよね? 二回ぐらいツンツンと。
赤面するよりも青ざめてしまったレジーナを、まるで怪物のように凝視して、オーリンはいちばん重要な拠点を両手で隠しながらもじもじと腰をくねらせた。
「せ、せんぱ……!」
「やがますぃ! 何が先輩だ! いっ、いいがらあっち向げこのバカコ!」
ものすごい声で叱責されて、レジーナは慌てて回れ右をした。
その間にタオルで隠すところを隠すような空白があり――やがて「この腐れモンが……!」という唸り声が聞こえた。
「あ、いや、先輩、これは別に先輩のあられもない裸体を覗こうとしてたわけじゃ……」
あはは、とごまかす声とともに笑うと、オーリンの目がレジーナを外れ、その背後に注がれた。
え? とレジーナも振り返ると――両手を口に押し当て、真っ赤になって震えているイロハがいた。
「え、エロハ――! ま、まさが、お前もが……!?」
愕然とオーリンが問うと、イロハは潤んだ目で、たった一言、絞り出すように言った。
「ちゃいろい」
その一言で、一瞬で全てを悟ったのだろう。
オーリンがますます顔を真っ赤にしてレジーナを睨んだ。
「このォ……! おっ、お前らはァ!」
その怒声とともに、バッシャア! と、顔に思い切り湯をかけられた。
うわぷっ! と顔を背ける間にも、どんどん湯をかけられ、思わず溺れてしまう。
「エロハっ、お前もだ! 喰らえ!」
そう言って、オーリンは両手で思い切りイロハに向かって湯をぶっかけた。
あばば! とそれをモロに顔に喰らったイロハが、急に正気に戻った顔でオーリンを睨んだ。
「なっ、何をする!?」
「何をするってこっつのセリフだ! お前も俺の裸ば見て喜んでらったんだべ! この湯ッコで頭ば冷やせ、このスケベ姫が!」
「あばぷ……! やっ、やったな! しかも二回も! そっちがその気なら私も受けて立つぞ! 喰らえ、プリンセス・スプラッシュ!」
「うぺぺ……! こっ、つぼけがこのォ! やるってな、上等だァ!」
バシャバシャ……と、オーリンとイロハは湯をぶっ掛け合って大騒ぎを始めた。
元凶、というか言い出しっぺはレジーナなのだけれど、その事など頭から消し飛んでしまったらしい。
なんだかイロハと先輩、本当の兄妹みたいだなぁ。
その様を見ていて、レジーナは少し安堵したような気持ちになった。
最初は色々将来について思い悩んでいるイロハを元気づけようと提案したノゾキだったけど、予想以上に効果を発揮したらしい。
ほう、と溜め息をついて、レジーナは夜空に浮かんだ月を見上げた。
その横で、呆れたように水掛け合戦を見ていたワサオが、ワフゥ、とひとつあくびをした。
シモネタ回です。
この物語で一番エロいのは多分オーリンです。
「たげおもしぇ」
「続きば気になる」
「エロハ」
そう思らさっていただげるんだば、下方の星コ(★★★★★)がら評価お願いするでばす。
まんつよろすぐお願いするす。





