「ドサ？」「ユサ」（「これからどちらへ行かれるんですか？」「ええちょっとこれから温泉に浸かりに行くんですよ」）
「こ、これがズンダーの離宮……！」
永遠に続くかと思われた山道、地元ではアキウ山地と呼ばれている山間部を馬車で抜けた先にあったのは、まさに別世界――。
ズンダー大公家の静養地であるというズイホーデン離宮は、白亜に輝く宮殿とは違い、漆黒を貴重とした静かな佇まいをしていたものの、その内装の豪華さは宮殿に匹敵、いや、それを凌いですらいたかもしれない。
何しろ、壁の装飾である金具には全て金箔が貼られ、エントランスの門にあしらわれている《クヨーの紋》はどうやら純金で出来ているらしい無茶苦茶さだ。
くるぶしまで沈んでしまいそうな分厚いカーペットをおっかなびっくり歩いた先には、実に涼し気に水を吐き出す噴水や滝が、そしてその下の池をスイスイと泳ぐ色とりどりの魚の姿があった。
屋内に噴水や滝があるだけでもだいぶ驚きだが、まさか池まであって、そこに魚が泳いでいるなんて。
んほぉー！ と目を輝かせて、レジーナは池の上を通された通路の上から池を覗き込んだ。
「おいレズーナ、あんま騒ぐんでねぇよ。俺まで恥ずかしいがらやめろっつの」
「だって凄いじゃないですか！ 建物の中を魚が泳いでるんですよ！ それにこの魚一匹捕まえて帰るだけでも一週間分の生活費にはなりますって！ ここにいるのがひぃふぅみぃ、えーっと、十二匹いるから、十二かける五万ダラコで……」
「お前そったなどご喜んでんだが……。欲張りっつうのがなんて言うのが」
「うむうむ、レジーナの驚きとはしゃぎぶりは当然である！ オーリンよ、そなたこそもっと驚いてはしゃいでもよいのだぞ！」
イロハは腕を組みながら満足そうに胸を反らした。
最初は傷だらけの掌を隠すために始めた行為なのだろうが、いつの間にかすっかり癖になっているものらしい。
そのせいでこの愛らしい顔が随分偉そうで小憎たらしく見えるのが、またいい。
「何しろこのズイホーデン離宮に招かれることができるのは、この大陸では王家を除けばかなりの高位貴族や上級の政治家に限られる！ そなたたちのような身分も地位も財産もないみすぼらしい冒険者がここのカーペットを踏めただけで孫子の代まで語り草にすべき名誉なのだぞ！」
「言うことが随分悪し様だね……まぁいいさ、名誉だごどには変わりねぇべし」
「わかっているならよい。ところでそなたら、湯浴みは好きか？」
まだ何か隠し種があるぞ、と言いたげな表情でイロハが言った。
え？ とレジーナが振り返るより先に、オーリンの目の色が変わった。
「え……なに、温泉あんだが？」
「もちろん。我がズンダー家の財力に不可能はない。そうでなければこんな山奥に静養地など建てるわけないではないか」
イロハはこれ以上得意げな顔はできまい、というような顔で、妖しく笑った。
碁石のようなオーリンの目が、きらきらと黒曜石のように輝いた。
「どうだ、入ってみたいか？ ん？」
「入る入る！ 俺温泉大好ぎだんだばってな！ アオモリの人間でばみんなとても温泉好ぎなんだっきゃの！ 早く入るべしよ！」
「ん、んん……？ 興奮するとそなたの言葉はいまいちよくわからんな。レジーナ、こやつは喜んでおるのか？」
「ええとっても！ 凄く喜んでます！ ちなみに動物も可ですよね！？」
「構わん、私が許すぞ！」
ワンワン！ とワサオが尻尾をちぎれんばかりに振り回した。
ちなみにワサオは男湯である。
◆
ズイホーデン離宮の温泉は――広かった。
美しい庭園の中、ズンダー名物であるという美しい月を見ながらの入浴は――まさに至上の快感であった。
そのあまりの広さに、まるで大海を前にした遭難者のような気持ちになり、安らぐと言うよりも心細さを覚えてしまったのだが、いざ湯に浸かるとそんな心細さはどこかへ消し飛んでしまった。
源泉かけ流しであるという温泉はとろりとした肌触りで、しかもこれがヌルヌルと滑って尻が落ち着く暇がない。
疲労回復だけでなく、美肌にも存分に効果があるという湯に浸かっていると、まるで疲労と一緒に自分そのものまで溶けてしまうかのようだ。
ほう、と溜め息をついて、レジーナは腕を擦った。
「最っ高……もうずっとここにいたい……もう明日からこの温泉なしで生きていける気がしない……」
吐き出した吐息は、すぐに山間部を吹き渡る夜風に掻き消されてしまう。
「あー、もう面倒くさい、ここに住みたい……布団と食糧持ち込んでここで暮らしたい……ここ出た後重力に逆らって歩ける気がしない。き、気持ちいい……」
ああ、と何度目になるかわからない官能的な溜め息をつくと、ごくっ、と、誰かが唾を飲む音が聞こえた。
ん？ と側を見ると、レジーナの側で湯に浸かっていたイロハが慌てたような表情になり、ぷい、と視線を反らしてしまった。
なんだろう、としばらく考えて、レジーナは自分の胸元に視線を落として、ああ、となんだか納得してしまった。
レジーナ・マイルズ、二十歳。
どちらかと言えば冒険者としては平均以下の能力しか持っていないこの乙女の、数少ない自慢の種。
それは、自身の肉体がかなりナイスバディの部類に入ることであった。
出るところは出て、引っ込むべきところは引っ込む、その選択を全く過たない肉体を、この乙女は何の偶然なのか持っていた。
そんな人が羨むような肉体を有することを、どちらかと言えば得なことであると理解できるようになったのはつい最近のことである。
昔は夏に薄着したときには男どもに凝視されたりして恨んだりもしたのだが、二十歳を越えると粘ついた視線にも流石に慣れても来る。
イロハはこの至って大人な身体を見て生唾を飲み込んだに違いなく、それを理解したレジーナは「やぁだ」と笑った。
「イロハってば、今見てたでしょ？ あなた意外にスケベね」
「あ、いや――な、何の話かな？」
露骨に慌てた表情でイロハは誤魔化した。
その慌て方が実に可愛らしく思えて、レジーナはまた笑った。
「こんな身体してても全然得なんかないわよ。治療中のスケベ親爺にどさくさに紛れて触られるし、肩は凝るし」
「む――そ、そういうものか」
「それに、イロハはまだ十四歳でしょ？ まだまだよ、まだまだ」
「そうか――私はどうしても身長がこれでな。自分が成長したところが想像できんのだ……」
イロハは自分の小柄にとことん嫌気が差したというように唇を突き出した。
「これでは大公としてナメられるとか以前に、女として少し恥ずかしいのだ。ミドルネームもゴロハチで可愛くないし、とどめに発現したスキルが【怪腕】だぞ？ ますます厳つくて嫌になる。やんごとない姫君からますます遠ざかる一方ではないか……」
イロハは口元を湯に沈め、ぶくぶくと泡を吹いた。
この少女にも一応、年頃の娘相応の悩みというか、可愛く美しくありたい、という願いがあるのだ。
なんだか妙に悩んでいる表情のイロハを可愛いやつだと思っていると、不意に、高い垣根の向こうから鼻歌が聞こえた。
ん？ と耳を澄ますと――どうやらこれは男が歌う鼻歌であるらしい。
そう言えば、この広い露天風呂は真ん中で男女が仕切られていて、それを分けているのは葦簀張りの垣根である。
ということはこの垣根の向こうで歌っているのはオーリンということになる。
温泉好きなのはさっきの反応を見れば明らかだが、鼻歌まで歌うとは。
どうやらオーリンは相当にご機嫌であるらしい。
全く、こっちでは自分の将来について真剣に思い悩んでいる少女がいるというのに。
悩みも疲れも忘れてビバノンノとは、本当に男は気楽なもんだ――。
ふと――妙な考えが頭に浮かんだ。
レジーナは湯の中に立ち上がった。
「イロハ、ついてきて」
「え？」
「ほら、さっさと立つ！」
え？ え？ と困惑しているイロハの手を引いて立たせ、レジーナは湯の中に立つ垣根の際まで来た。
さすが大公家秘蔵の離宮、と言えそうな熟練の技で張られていて、一部の隙もない。
なんとか指をねじ込んでみようともするが、葦簀は凄まじく頑丈であった。
悪戦苦闘している様子のレジーナを見て、イロハが不思議そうな声を上げた。
「レジーナ、そなたは何をしておるのだ？」
「何が、じゃないわよ。温泉というか、お風呂に来たらやることはひとつよ」
「はぁ――？」
全く訳がわからない、というような声を上げたイロハを、レジーナはこれ以上なく冴えた表情で振り返った。
「温泉といえば、ノゾキじゃない」
るるぶ回です。
「たげおもしぇ」
「続きば気になる」
「ロビーに鯉……フフン、あそこのことだな」
そう思らさっていただげるんだば、下方の星コ（★★★★★）がら評価お願いするでばす。
まんつよろすぐお願いするす。
